第二部 二章5『騎士は乙女を守り死ね』
※カイル視点――村の灯台麓
リアナが俺の元へ駆けてくる。
焦げた空気のなか、彼女の足音だけが鮮明に響いていた。
視線が肩に落ちた瞬間、リアナの目がわずかに揺れる。
言葉もなく、俺の手をそっとどけると、外套の裾を鋭く裂いた。
傷を覆っていた布がめくれ、むき出しの皮膚に冷たい風が刺さる。
焼けただれた右肩。
赤黒く腫れ上がり、肉の奥深くまで灼けるような痛みが滲む。
皮膚が脈打つたび、熱に似た鋭い痛みが全身を駆け抜けた。
リアナは黙ったまま、小さく息をついて呟いた。
「私は戦えない。……戦いの才能なんて、なかったから」
その言葉に、思わず顔を上げる。
だが、彼女は俯いたまま、それでも強い意志を纏っていた。
「だからこそ、自分の毒について、そして世界中の毒について徹底的に学んだ」
彼女はまっすぐエディオルを見据える。
その瞳に、怯えはなかった。
「……セーネ・マーガの毒は、この世界でも最悪に近い。でも、唯一の特性がある」
遠くを見つめるような声で、言葉を重ねる。
「このセーネ・マーガの星は、他の毒を受け入れない。まるで『自分こそが最強』だと誇っているみたいに」
「だから、自分以外の毒を拒絶する。他の毒は体に留めておけない。逆に言えば、私に癒せない毒は、この星自身の毒だけ」
……そうか。彼女も戦っていたのだ。俺の知らぬところで、ずっと。
視界の端で、エディオルが俺の隣のリアナを見つめて荒い息をついている。視線は合わないが、その手の震えが風に溶けた。
激しい動揺――それだけで、彼の崩れかけた感情が伝わってくる。
リアナは何も言わず、俺の隣に膝をつく。
そして、肩にそっと顔を寄せた。
「……少しだけ、我慢して」
その声のすぐあと、舌が焦げた皮膚に触れる。
ひやりとした感触。
一瞬、鋭い痛みが駆け抜けた。
「っ……!」
だが、すぐにそれは変わっていった。
舌が二度、三度と同じ場所をなぞるたび、灼熱が引いていく。
呼吸が少しずつ、楽になる。
痺れていた感覚が、ゆっくりと戻ってきた。
彼女の毒が、俺の中の毒を押し返していた。
理屈ではない。体が、それを知っていた。
エディオルは言葉を失ったまま、それを見つめている。
低く苦しげに、ぽつりと呟いた。
「……じゃあ、僕の中の毒は……君を、許すことも、抱くことも?」
その声には、もはや熱も怒りも含まれていない。
リアナは静かに立ち上がる。
「――だから私は、孤独に生きるつもりだった」
その静かな言葉に、エディオルの顔が凍る。
「それなら……なんで僕に優しくしたんだ! どうして、僕じゃないんだッ!」
叫びには、怒りと絶望が混じっている。彼の全存在が、泣き叫んでいるようだった。
「そんな私に、カイルは言ったの。『それでも一緒に居よう』って」
リアナは、微かに眉を寄せ、それでも毅然と告げる。
「貴方の星のことも、私は知ってる。『レキ・マーガの星』
……その毒は、貴方の死か、私の毒でしか消せないことも」
沈黙。震えるエディオルの瞳。
俺は痛みの奥で、奴へ視線を送った。
「だから――もう帰って。私は貴方のもとには行かない。
私は、カイルが望む限り、彼の側に居る」
そう言い放つリアナの目は、まっすぐで、どこか寂しげだった。
エディオルは苦々しい表情のまま、小瓶を抱え、俺を見据える。
目が合った。
その瞬間、俺の中で術が反応を始める。
この距離、この角度。この視線。
星『シ・ジョ・マーガ』の発動条件はすべて整っている。
視線拘束――エディオルの顔が、俺を睨むその表情のまま、動きを止める。
『シ・ジョ・マーガの星』
――この星の力は、まず第一段階として視線を拘束する。
この星が発動している時、俺の視線と重なった瞬間、相手は俺から目を離せなくなる。見えない鎖が、視線を縛る。これで、相手は目を逸らせない。
人は、視界を固定されると、なぜか全身が強張る。
その本来の効果は『視線』のみなのだが、これは哺乳類の本能なのだろう。
そして第二段階――呼吸の拘束。
この拘束を行う前には、相手の呼吸をよく観察する必要がある。
だが、ここで敵と呼吸のリズムを合わせてはいけない。敵の呼吸と逆を行うのだ。
敵が息を『吸う』とき、こちらは『吐く』。
敵が息を『吐く』とき、こちらは『吸う』。
そして、敵が息を吐き、肺の中の酸素量が少しでも減ったタイミングで、呼吸を『捕らえる』――それが俺の星の使い方。
……だが、俺は視線をそのままに、リアナへ声を掛けた。
「……リアナ、だいぶ楽になった。ありがとう」
火傷の痛みに耐えながら、歯を食いしばって立ち上がる。
毒は消えたが、右肩の痛みは残ったままだ。
だが、それでもこの男の前で、リアナの前で、これ以上膝をつくわけにはいかない。
額を流れる脂汗を拭いながら、俺は声を絞り出す。
「……リアナは、優しい。いや……優しすぎるんだ」
そう言いながら、俺は静かに剣を手に取り、肩の痛みに耐えつつ、背筋をまっすぐに伸ばし、まるでこの場の空気さえ凛と張り詰めさせるような、研ぎ澄まされた騎士の礼を堂々と示した。




