第二部一章4『君よ、どうか笑ったままで』
※カイル視点――港、早朝。
朝の空気は冷たく澄んでいて、港の石畳を踏みしめる足音がやけに響いていた。
日雇いの仕事は、今日も変わらず早朝から始まる。
依頼内容は資材運び。重い麻袋とさらに重い責任を背負って黙々と働く。
声をかけられても、なるべく目を合わせないように気をつけるのが最近の癖。
俺のマーガの星の力――『シ・ジョ・マーガの星』
他者の視線を捕らえ、その後その他者の呼吸を捕らえる星。
それが不用意に発動しないよう、俺はいつだって視線の制御に意識を割いている。
「なあ、聞いたか? 昨日の話……」
「変な話だよな。商店街で二人の男たちが、道端で急に苦しみ出して、その後に原因不明の高熱と神経の痙攣で死んだってさ」
「何かの持病が悪化したとか、そういうのじゃねぇのか?
まあ、何にせよ気味が悪いな」
周囲のざわめきが、何やら騒がしい。
しかし、内容的に俺には関係の無さげな話だ。
「カイル、そっちのロープ運んでくれ!」
「了解だ」
黙々と手を動かす。
この時間は好きだ。余計なことを考えずにすむから。
◇ ◇ ◇
昼になり、ひとまず作業が中断された。
俺はいつも通り一時帰宅し、敷地の門扉を開けると――
敷地の庭先で、シーツを広げ干しているリアナの姿が目に入る。
日差しの下で布を広げる動作は、なんというか……妙に、可愛い。
無防備に見えて、実際は計算しているわけじゃないんだろうけど可愛いの権化だ。
俺の胸の奥がじんわりと温かくなる。
「あ、おかえりカイル。お昼できてるよ」
その一言に思わず笑みがこぼれる。食卓に並んだ料理。
どうやら指先を切った傷が、完全に癒える迄は惣菜屋のものらしいが、きれいに盛り付けられていて、リアナの几帳面さが感じられる。
几帳面さも可愛い、そして可愛いの権化、つまりゴンゲーだ。
静かな昼。柔らかい風。そこに居る彼女。
この幸せが、ずっと続けばいいと思った。
◇ ◇ ◇
食後、再び午後の仕事の為、港に向かう道すがら、俺はまた何時の間にか移動した港を探している。
「……またか」
慣れたように、海の匂いを頼りに港を探し、歩き始める。
(まあ、遅れなければいい)
そんなことを思った矢先、胸の奥に奇妙なざわめきが走った。
胸じゃない……星だ。俺の中の星が、何かに脈打つように揺れている。
理由もわからず、ただ“何処かへ急がなければ”という感覚だけが強くなる。
その時だった。道の反対側を歩く一人の男と、すれ違う。
黒いフードに黒い服。
まるで影のようなその存在は、すれ違った瞬間に風も、何も巻き込まないまま、俺の視界の風景から消える。
何者か――思考がそこに至る前に、ふと昼に見たリアナの姿が脳裏に浮かぶ。
(……俺は、守れるのか?)
頭を振って、自分を落ち着かせる、気づけば港に到着していた。
時間にも、どうやら間に合ったようだ。
◇ ◇ ◇
※カイル視点――港、夕刻。
日が傾きかける頃、その日の作業が終わる。
俺は支給された日当を受け取り、労働者たちに軽く会釈しながら港を後にした。
石段を上り、見慣れた道を通って自宅へ向かう。
無事、自宅にたどり着き、玄関前に立ちノブに手をかけようとした瞬間――
あの時の、日中全身を駆け巡った、あの違和感がまた襲ってくる。
鋭く、深く、脊髄を駆け上がるような寒気。
急いでドアを開ける。
「あ、カイルおかえり。今日は迷わなかったんだね、良かった」
台所から聞こえるリアナの声に、一瞬気が抜ける。
「……あ、ああ。当たり前だ。俺がリアナまでの道を間違える訳が無い」
「もう、馬鹿言ってないで。先に湯あみして、着替えも用意してるあるから」
普段通りの声、普段通りの笑顔。
だが、俺の背中にはまだ、あの冷たさが張りついていた。
◇ ◇ ◇
※黒服――港町、夕刻
黒服の男が、田舎町の通りをひとり歩いている。
日暮れどき。仕事を終えた労働者たちが三々五々、他者との笑い声や雑談、愚痴、ため息と共に家路につく中、彼だけがその流れに逆らうように歩を進める。
店仕舞いを始めた商店の灯りが次第に消え始め、それと反し酒場の灯りがともされる。
その灯りの煌めきが、黒服の足元にぼんやりと影を落とす。
音も立てずに周囲とすれ違っていく黒い影。
誰も気に留めることはない。けれど、その空気だけが、どこか異質。
黒いフードの奥、わずかに唇が動く。
「……リアナ。君に、会いたかった」
その呟きは、誰にも聞かれず、夜のざわめきの中に溶けていった。
夜の気配が、そこに影を落とした。




