◆第二部一章1『朝、焼き魚、微妙な距離感』
※カイル視点――港町
ぱち、ぱち。
焼ける魚の音が、まだ眠気を引きずる壁の向こうから響いてくる。
……リアナだな。
あの律儀な火加減は、どう考えても彼女の手による生活音。
網に向かい、礼儀正しく握手でも交わすように、片面ずつ丁寧に焼いているはず。
それだけじゃない。
音にまで性格が宿るなんて、あるんだろうかと思ってしまう。
しかも、なんというか……可愛い。もう、音そのものが可愛いのだ。
彼女が焼いてるってだけで、魚の焼ける音にすら愛嬌が乗る。
本来ならドア越しに聞こえる、焼き魚から生まれた音に可愛さを感じ始めたら、本来なら自分の頭を疑う所なのだろう。
でもリアナだから仕方ない。
彼女の焼き魚の音までも可愛いのは、世界の摂理のひとつなのだろう。
――今日もいい朝だ。
◇ ◇ ◇
朝の光が、台所の床を淡く照らしていた。
すべてが静かに目覚めかけているような、そんな時間。
カウンターの向こうで、リアナが小さな網を持ち上げ、焼き加減を真剣な顔で確認している。
もう反則級に可愛い。
『可愛い』に手足が生えて、魚を焼いてる。
つまり……何だこれ、天使が魚を焼いているのだ。
身を返す動きが妙に慎重で、少しだけ緊張しているようにも見える。
目は合わない。いや、合わさないのだ。お互いに。
「もうすぐ焼けるから」
火に視線を向けたまま、リアナが言った。
この声がまた、なんというか耳にやさしい。
「了解。水、汲んできたぞ」
「ありがとう」
井戸から汲んできた水を壺に移し、俺は席につく。
空気はすでに、香ばしい匂いに包まれていた。
「朝からずいぶん気合入ってるな」
「手を抜いたら、魚に申し訳ないから」
リアナの言葉だ、きっとその通りなのだろう。
俺が同じ立場なら、たぶん途中で味見という名のつまみ食いを始めてしまう。
リアナの真面目さは尊敬に値する。
尊敬できて可愛い。
これはもう無敵の属性じゃないか。
「……たまに、本気で可愛さ職人目指してたんじゃないかと思う」
「その顔、やめてってば。
一見褒めてるけど、ぜんっぜん信用できない」
「いや、本当にそう思ってるのだが」
「それはそれでダメなんだよ……もう」
ため息まじりに、リアナは焼き上がった魚を木の皿に載せて運んできた。
ほんのりと焦げ目がついた表面は適度にてかっている。
その身を切り割ると、湯気とともに脂がじゅわりと染み出す。
「……おお」
「失敗作だけど、まあ食べられるよ」
「いただきます」
うまい。可愛い。文句のつけようがない。
……今日も、やっぱりいい朝だ。
◇ ◇ ◇
ちなみにこの家の近所には、一匹だけ妙な猫がいる。
白と黒と茶の混じった三毛猫で、どう見ても野良には見えない。
やけに毛並みが良くて、存在感まで妙にしっかりしている。
けれど、そいつは――魚を焼いていても、絶対に近づいてこない。
その理由は、おそらく俺。
リアナの魚を盗もうとしたその瞬間、俺は全力で追いかけた。
当たり前だろう。リアナの焼いた魚だぞ。
星の力を発動しかけ、猫の視線を固定し、身動きできぬ猫に向かい抜刀寸前。
俺は何時の間にか、猫の視界を本気で『拘束』していた。
結果、リアナに怒られた。
「動物相手に本気で斬るってどういうこと!? 信じられない!」
声の調子が微妙に上ずっていて、怒っているのに耳の先が赤い。
目も合わせてこない。
……正直、ずっと見ていたかった。
あの時も、やっぱり思ったのだ。
――可愛いな。
猫はあれ以来、俺の視界に入るたびにすごい勢いで逃げていく。
狙われた記憶が、たぶん本能レベルで刻まれてるのだろう。
……まあ、あれは正当防衛だった。
猫は全然可愛くないが、今朝のリアナはいつも通り可愛かった。
やはり猫は可愛くないのだが。
◇ ◇ ◇
あの逃走劇から、すでに二週間。
俺とリアナは、海沿いの小さな田舎町に身を潜め、偽名での生活を送っている。
かつての名も、星も、すべて置いてきた。
けれど――それでも、俺たちは完全に普通にはなれない。
俺の星『シ・ジョ・マーガ』
視線を合わせた相手の呼吸を縛り、命のリズムごと支配してしまう力。
リアナの星『セーネ・マーガ』
その体液が猛毒となり、血や汗に触れるだけで相手を蝕む恩恵。
だから、俺たちは。
目を合わせないように。
肌が触れないように。
愛しいのに、近づけないまま、生きている。




