第二部 序章5『方向音痴だから、優しくするべき人を間違えちゃったのね』
※リアナ十二歳時視点――エルストラン王国、国境沿い
星を授かったその日から、そして王都での説明以降、私は自分の血が毒であることを、理解していた。
誰かと触れれば、その人を傷つけるかもしれない。
そう思った瞬間から、私は誰とも目を合わせず、肩が触れそうな距離でさえ息を詰めるようになった。
星の洗礼は祝福であるはずだった。
けれど私の世界はむしろ、意図的なまでに音を殺したかのように静かになった。
家族の手はあたたかいはずなのに、どこか遠い。
村の人たちの声も、私を気遣ってくれるけれど、その輪の中心に私はいなかった。
星を授かってから、私は人との距離の測り方を常に考えていた。
どこまで近づけば、相手が怖がるのか。
どこまで下がれば、忘れられるのか。
そうして、私は日々をやり過ごしていた。
◇ ◇ ◇
ある日の午後、国境沿いの関門近く、使いの用事で足を運んだ。
私の国とカイルの国は元々交流は盛んで、この関門自体そこまで警備も厳しくなく、私は日陰を求めて軽い足取りで国境を超える。
石垣の影で、しばらく時間をやり過ごす。
人通りの少ない場所で、気配を消して立っているのが癖になっていた。
ふと気づくと、視界の端に誰かがいた。
見慣れない少年。
制服の裾が泥で汚れ、地図を広げてきょろきょろと辺りを見回し、更に上空を見上げている。
何で地図を見ながら、上空を眺める必要があるんだろう。
そんな事を考えている私の元へ……近づいてくる。
私は本能的に一歩身を引く。
目が合いそうになった瞬間、石垣の裏へと滑り込む。
息を止める。
けれどその少年は、少し首を傾げながら、また別の方向へ歩いていった。
私の心臓が妙に早く打っていた。
翌日、また同じ場所で彼とすれ違う。
今度は確かにこちらを見てる。
けれど、やっぱり私は逃げることしかできなかった。
その次の日もその次も。
何度も何度も声を掛けられた。
彼は「この辺の石塀は元気で良く動く、そう思わないか」なんて最初は言うもんだから、何かの冗談かと思った。
その翌日には「知ってるか、この辺は森も動く」と、声をかけてきたものだから、本気で危ない人かと思った。
更にその翌日には「……先日、両親にお前は方向音痴だと言われた、方向が歌う訳ないだろうに」と言われたので、ああそういう人なんだと理解した。
最初、私は追われているのかと、しばらく本気で考えていた。
だけどそもそも、その少年は地図を開きながら何度も迷っていた。
行きたい場所に辿りつけず、同じ場所を何度も回り、たまに空へジャンプしたり地面をノックしていた。
……まさか、迷っていただけ?
私を追ってきたのではなく、偶然、間違えて追いついていただけ?
あ、いやでもいくら迷っても人はジャンプしないし、地面をノックしたりはしないと思うけど。
そんな風に思ったら胸の警戒が少しだけ緩んだ。
星の力でも、人の優しさでもない。
ただの間違いだったのだと。
それがなぜか可笑しくて、少しだけ心が軽くなった。
◇ ◇ ◇
ある日の夕方、雨上がりの市外れ。
また、あの少年が現れた。
何かにつまずいて転んだのか、泥だらけの足元で。
いや……きっとどこか道ならぬ道を真顔で歩いてたんだろうな。
そんな情景に私は、つい声をかけてしまった。
「……泥、ついてるよ」
言葉を発した瞬間、自分でも驚いた。
ずっと、誰にも自分から声をかけたことなんてなかったのに。
少年はこちらを見て、少しだけ笑う。
彼の笑顔はどこかはにかむようで、でもその笑みが変に心に残った。
それが、二人の最初のまともな会話だった。
会話の中身なんてどうでもよかった。
ズボンの裾が泥だらけの彼を見ていたら、
なんだか、何か言わなきゃって思ってしまった。
きっと足が濡れていたから。
それだけの理由。
だけどその日、私は自分の声が外に出ていく感覚を、はっきりと覚えている。
◇ ◇ ◇
それからというもの、
その少年は何度も同じ場所に現れた。
出会うたびに、少しずつ言葉を交わすようになった。
「今日も、ここで迷ってたの?」
「ああ……だけどあっちが北だ、間違いない」
「えっと、そこ、えっと……空」
「東西南空?」
会話は他愛もなかった。
でも、声をかけられても逃げなくなった自分に気づいていた。
距離はまだある。
手を取ることも、近づくこともまだできない。
けれど、不思議と隣にいるだけは受け入れられた。
あの人の優しさは、たぶん誰か『もっとふさわしい人』の為のはず。
けれど――間違えて私に届いてしまった。
でも私はそれが、ずっと嬉しかった。
誰かの手を握る勇気はなかったけれど、
隣にいるぬくもりだけは、ずっと憶えている。
◇ ◇ ◇
今、振り返ると、
あの日々は私にとって不思議な奇跡だった。
自分の毒を、誰かに近づけてはいけないと思い込んでいた日々。
でも偶然の足取りが、少しずつ私の世界を変えてくれた。
方向音痴だから、きっと優しくするべき人を間違えちゃったのね。
でも、わたしにはそれが、いちばん嬉しい間違いだったの。
星の光が、遠くで静かにきらめいている。
だけど、あのときの私はもう、孤独だけでできている存在じゃなかった。
偶然に感謝したい。
そんな気持ちが、今の私を支えている。




