第二部 序章4『君は、ひとりだった』
※カイル十二歳時視点――エルストラン王国
王城での説明は、思ったよりも静かな空気のまま閉じられる。
だけどその静けさが、俺の中に不気味な根を張ったのは、村へ戻った日のことだった。
自分の『特別』が、村の空気をほんの少しだけ歪ませている。
帰ってきたはずの家も通い慣れた道も、どこか薄いガラス越しに見る世界のようで、どれだけ手を伸ばしても微かな冷たさを感じさせる。
「おめでとう」という言葉。でも、その背後にうすら寒い距離。
それは何かしらの期待、羨望、そして――警戒。
みんな笑ってはいたけれど、目の奥にはそんな別の色。
ただの思い込みだろう、そう何度も自分に言い聞かせる。
それでもこの、何か。
自分の背中に圧し掛かった奇妙な重圧感は消えなかった。
王城よりも、村の方がよほど残酷だった――
今思えばあの空気こそが、星の民として生きていく最初の試練だったのかもしれない。
祝福というより扱いづらい力を持った異物。
そんな目で見られている気がして、気づけば俺自身も静かに息をひそめながら空を見上げていた。
◇ ◇ ◇
そんなある日、村の用事で国境沿いの関門まで足を運ぶ事がよくあった。
夏の気配がようやく訪れた頃、陽炎が揺れる道を歩きながら俺は人の少ない隅へとたどり着く。
「……地図に雲の形も書いておくべきだったか」
そんな独り言が零れたとき、ふと何かの気配、関門沿いの石垣の影に小さな人影がひとつ。
儚い青紫の髪、華奢な肩、遠くを見ているようなまなざし。
――あれが、リアナとの最初の出会いだった。
目が合った瞬間、彼女はぱっと視線を逸らし、すぐさま物陰に隠れていった。
たったそれだけのやりとり。
なのに妙に胸がざわついた。
俺は彼女の背中をじっと見送っていた。
あの時の彼女は『誰にも近づかない』を徹底していた。
誰とも交わらず、気配すら消して生きているように。
それはまるで、自分が触れることそのものを罪だと信じているみたいだった。
◇ ◇ ◇
次の日も俺は同じように関門へと足を運んだ。
本当は用事なんて無い。
ただ昨日のことが、無性に頭から離れなかった。
彼女に会いたくて先日出会った場所へ向かうが、やっぱり関門や森が、自走して動いたのか、形が変わっている。
だけど迷いに迷い、そしていつの間にかたどり着いた、とある国境関門の片隅。
石垣の影。そこに彼女はいた。
その日は顔を上げなかった。俺が声をかけても返事はない。
ただ俯いたまま、ゆっくりとその場を離れる。
それでも俺は諦めなかった。
そして会うたびに出来るだけ自然な形で声を掛ける。
三日目「この辺の石塀は元気で良く動く。そう思わないか」
四日目「知ってるか、この辺は森も動く」
五日目「……先日、両親にお前は方向音痴だと言われた。方角で歌声が変わるらしい」
週が変わっても関門や石塀や森の樹々、挙句には山そのものが自走し、形を変えても彼女のために俺は向かう。
彼女は俺を見るたびに逃げる。
でも最初の日よりも逃げ方が……歩調が遅い。
背中を向けても、すぐには走り出さない。
声をかけるたび返事はなくても、彼女の足取りだけが少しずつ変わっていく。
誰も近づいてこないように、彼女はずっと壁を作っている。
でも――俺は『それでも近づいていい存在』になりたかった。
それが同情なのか憧れなのか、自分でも分からないまま。
◇ ◇ ◇
風が清しい、ある日の午後。
例によって、どこかの石垣の影に彼女。
でもその日は逃げなかった。
俺はいつもより小さな声で、そして何気ない言葉を以て話しかけてみる。
「……先日、自分の育った村が動いた。酷い話だ」
リアナは、俺の言葉に小さく首を傾ける。
それだけで、俺はなぜか心臓が跳ねる音を意識した。
俺は彼女の隣に腰を下ろす。
言葉はなかった。二人の間にひと時の沈黙が流れる。
それでもただ並んで座る時間が、妙に居心地がよかった。
目の前には、陽射しの模様が地面に揺れている。
風の匂い、遠くの人の声。
普段と変わらない日常のはずなのに、隣にいる彼女の気配だけが特別だった。
俺は、そっと手を伸ばす。
リアナが驚いたようにこちらを見る。
目が大きく見開かれ、少しだけ怯えている。
それでも、俺は手を引っ込めなかった。
「……無理にじゃない。
ただ……こうしていたいだけなんだ」
リアナの指先が少し震えている。
やがて彼女はそっと、震える指を一本だけ俺の手の甲にそっと触れる。
その瞬間、胸の奥で何かが灯るのを感じた。
初めは――同情だったのか、憧れだったのか。
それとも最初から恋だったのか。
星のせいで、誰にも触れられない少女が、
あまりにも小さく、儚く見えたから。
でも――あのとき、彼女が俺の手の甲へ指を送った瞬間、それは俺にとって天にも昇るような気持ちになった事は今もまだ、この胸の中だ。
彼女はひとりじゃなかった。
そして、俺自身もひとりじゃなかった。
◇ ◇ ◇
今、振り返っても思う。
あれが俺たちの関係の始まりだったのだと。
お互いの孤独に静かに手を伸ばした、あの日のぬくもり。
あの時の君の小さな指先は、今も忘れられない。
それが、俺にとって最初の希望だった。




