第九章2『動き出す星々:スポ・マーガの星』
※レン・バーラッド視点――グレイジア諸侯領、森林。
朝焼けが、森の輪郭を淡く染めていた。
ひとつ深く、息を吸い込む。
吐き出し、そして――止める。
木々の隙間から見る、向こうに一匹の大きな熊。
次の瞬間、僕は目の前の巨体に矢を放つ。
風を裂いた矢が、熊の肩に深々と突き刺さる。
だがそれで、この熊の命は終わらない。
その判断より先に一歩踏み込み、僕は背に携えた槍を引き抜いた。
その熊の視線に籠る、僕への敵意。
スポ・マーガの星――発動。
その瞬間、世界が緩やかに歪みはじめる。
周囲を舞っていた木の葉がゆっくりとした速度へ変わり、その動きはまるで緩やかな舞踊の手のひらのように、視界を回り出す。
熊の唸り声は水中に沈んだ泡のように、くぐもって僕の耳に響く。
足元の草が『ざりい』と踏み込む感触より、少し遅れて耳に届く。
時間が遅くなったわけじゃない。
これは、僕の脳が極限まで研ぎ澄まされて世界が遅く感じる――
これが、スポ・マーガの星の恩恵。
この力は、危機に応じて静かに目を覚ます。
僕の中に眠るもう一つの生のように。
けれど、その力を振るうたびに思う。
これは本当に自分なのだろうか?
それとも――星という異物に動かされているだけなのか。
粘るように歪んだ時の中で、熊が爪を振り上げる。
動きは滑稽なほど緩慢。
泥が乾いた爪先のひび割れまで、はっきり映る。
でも――油断できない。僕の体はただの人間。
こんなぬるい速度の一撃でも、僕の身体を掠めればそれで終わる。
ならば一閃。
緩やかな世界の中で、槍を『ゆっくりと』構え、熊の喉元めがけて突き出す。
その世界で槍を振るう感触、肉を突きさす感触は、固い粘土を押し潰すように重たく鈍い。
じゅくりじゅくりと。抵抗を削るように槍がゆっくりと、熊の喉奥へと沈んでいく。
―― ド ス 。
乾いた音が鳴り、その巨体が崩れ落ちる。
そして、僕の星の力がすっと引いていくのを感じる。
恩恵、解除。
流れ込んでくるのは、ただの静寂。
僕はひとつ深く息を吐く。
熊の亡骸を見下ろしながら、周囲に耳を澄ます。
戻ってきた森の音。
夜明けのざわめき。鳥の声。風の匂い。
獲物が倒れ、世界がまた元の速度に戻っている。
僕はぽつりと呟く。
「……ちょっと派手すぎたかもな」
その声に応えるように、仲間たちの声が後ろから届く。
「さっすがレンさん!
矢で肩狙って、槍で仕留めるとか神業すぎる!」
「俺なら初手で死んでた……マジで人間じゃねぇよあれ」
「熊って、あんなデカかったっけ……?」
「いや、なんか……戦ってたっていうか舞ってたよな。
間違いなくレンさん、舞ってた!」
笑い声が上がる。
軽口が飛び交い、誰もが安心した表情を浮かべている。
僕は苦笑しながら肩をすくめる。
でも――胸の奥には誇りではなく、広がるのは空白だった。
これは『戦い』じゃない。
ただの『狩り』だ。
彼らの目には一瞬の出来事に見えたかもしれない。
でも僕の中では、あの数秒が、何倍もの濃さと長さを持って流れていた。
すべてがスローモーションで流れる中、僕だけが誰よりも孤独。
「……でもまあ、これで今夜は肉に困らないな。
火の番、誰か代わってくれる?」
「やだよ! 熊の霊が出るって話、俺ガチで信じてるから!」
そんな軽口が、ほんの少しだけ心の張りをほどいてくれる。
星の恩恵を得て、戦えるようになった。
でもそれを誇りに思えたことは、一度もない。
ただ、生きるために。食べるために。
僕の村では、それが普通なのだ。
狩りは日常で、飢えはすぐそばにあった。
選ばれたから戦えるわけじゃない。
戦えない奴が、生き残れなかっただけ。
誰かが傷つく前に自分が代わる。それだけのこと。
――その時、仲間の声が響き渡る。
「レンさん!」
斥候のひとりが森の奥から駆けてくる。
「前線に奇妙な斬撃痕を発見したらしい!
地面が、まるで巨大な刃で削られたような……」
僕は眉をひそめ目を細める。
……もしや他の星の民か。
この領域でそれが確認されたということは、戦争が現実として動き出しているということ。
そこへ別の斥候が、息を切らして到着する。
「南方からテオブルグの帝国軍が、こちらの方角へ進軍してるらしい!
星の民が混じっている可能性があるらしいぞ!」
空気が変わる。
仲間たちが無言で顔を見合わせる。
先ほどまでの笑顔が、ぴたりと凍りつく。
誰もがわかっていた。
冗談を言える空気ではなくなったことを。
僕は空を見上げる。
朝の空は曇りもなく、ただ静かな青。
でも風はざわついている。
胸の奥――星が明確な警鐘を鳴らし始める。
心臓の鼓動が、ひとつだけ強く鳴る。
その振動が全身を貫いた。
僕は、拳を強く握りながら呟く。
「……行かなくちゃならないかもな」
きっともう、狩人ではいられない。
◆【グレイジア諸侯領】
◆レン・バーラッド(スポ・マーガの星の民)
所属国:グレイジア諸侯領
年齢:16歳前半
身長:165cm
髪の色:長い金髪(後ろで束ねている)
瞳の色:金色
体型:小柄で細身
一人称:僕
主人公への呼び方:未遭遇(シルバーと未対面)
星:スポ・マーガ
恩恵:殺意を持った攻撃がスローモーションに見える。ただし防げるかは本人の技量次第。
※スポ・マーガ詳細
恩恵内容:殺意、敵意を持って向かってきた相手の攻撃がスローモーションに見える。
実世界では普通に動いて見える。あくまで思考が早くなっている
発動条件:相手が明確に「殺意」「敵意」を持っていること




