◆第九章1『既に私は神の敵ですわ』
※ラスティーナ王女視点――レスタリア聖域帝国 ラディセ公屋敷。
クロヴィス・ラディセ大公と、再び対面する。
場所は大公邸の中で、最も格式の高い部屋のひとつ――帝国来賓の間。
重厚な扉をくぐれば深い色合いの調度品と、静謐な空気が広がっている。
この来賓の間への入室は初めてではない。
だが、これほどの緊張を肌で感じたのは今日が初めてだった。
すでに席に着いていた大公へ、私は礼を尽くしながら歩み寄る。
そして私の懐から取り出した文書――ルーシェ発見の報告文を差し出す。
「ご確認ください」
無言で手を伸ばす大公。
その動作には一切の揺れがない。
封を切り、眼だけが走る。
やがて大公の視線が上がる。
「……人払いを」
その大公一言に従い、レスタリア側の護衛や補佐官たちが静かに部屋を退室する。
私は一礼し、自国の随行員たちにも目線で促し、同じ様に退室を促す。
「皆、下がって」
私の指示に応じて、全員が退出する。
残ったのは、私と大公、そして沈黙を守る侍女ひとり。
広すぎる空間に、張りつめた沈黙が降りた。
「……確認されました、あの星の名が」
『ヴィエル・マーガ』
その『最強』のマーガの星の名を、私はあえて口にしなかった。
だが大公は、すでに理解されている。
伝書、過去の歴史書に記されたのは、大公の愛娘に宿る、あまりにも苛烈な力。
今さら隠す意味も、探る必要もなかった。
「……あの子には、重すぎる星だ」
そう呟いた大公の声は、硬質な沈黙の中に、わずかな影を落とす。
「彼女は貴族として、そして星持ちとしても優しすぎる。
……本当にいい子だ。だからこそあの星とは相容れない」
静かで、諦念に近い声。だがそれは逃げではない。
すべてを背負う覚悟の声――父の声だった。
「その優しさゆえに、ルーシェ嬢と共に監禁を?」
私の問いに大公は椅子の背に身を預け、短く息をついた。
「面識はない。だがオルディーヌからの伝書にはそう記されていた。
娘は命を奪うなと諫めたと」
「しかし――記録上、彼女はすでに『故人』のはず」
大公は、沈黙で返す。
答えは要らなかった。ただ視線を逸らしただけで、十分だった。
私は話題を切り替える。
「地政的な観点から、現状をお話しします」
口調を整え、私は公的な顔を取り戻す。
私の本領と役割は、政治と戦略。
「現在、テオブルグ帝国の軍事活動が、東大陸において活発化しています。
星の特定が急速に進み、陸路での殲滅行動が確認されています。
おそらく、大陸内の掃討を終え次第、次は海を越えるでしょう」
私の言葉に大公の瞳がわずかに細くなる。
「その航路上に位置するのが、我がマクガイア、ハルメリオス騎士国、アスプレディア共和国。
そして――貴国レスタリアです」
一拍、間を取る。
「ゆえに四国は今、時を争わずに連携すべきです」
そしてもう一つ。
「報告を一つ。ハルメリオスの星と、我が国の星はすでに接触済み。
接触後にも生存が確認され、同盟交渉も継続中」
言葉を重ねると、大公は小さく息を吐いた。
「……酷いものだ。最弱の星ギグ・マーガ、最低の星エセイ・マーガ、そして最弱と相性最悪の星ギ・ガ・マーガ……その上で我が娘が決して使わぬであろう最強の星ヴィエル・マーガか」
皮肉のない声だった。怒りでもない。
ただ、事実を冷静に整理する者の言葉。
「――さて。着地点は?」
大公の私へ問う声は低く、鋭い。
「マーガの理は、ただ一つ『一人生き残れ』
我らはそれに、どう抗う?」
私はカップに口をつけた。
渋みと微かな甘さ。苦味が喉の奥に静かに残る。
「……ラスティーナ王女?」
大公の問いかけに、私はカップを置き、ゆっくりと息を整える。
そして大公の目をまっすぐ見据えて、言葉を告げる。
「いっそ終わらせずにおく……という選択肢もあるのでは?」
それは命令でも、提案でもない。
「私はもう……神の理の外に立つ者――神の敵となる覚悟をしております」
ただ私が望む未来。
それだけを静かに宣言したのだった。
◇ ◇ ◇
部屋に静寂が満ちる。
終わらせなければ良いのでは――
その言葉の意味は、確かに大公へ届いている。
だがあまりに重すぎて、軽々しく言葉にできるものではない。
私は窓の向こうに視線を向けた。
夕光は空をゆるやかに染めながらも、この屋敷に差す光は鈍く影だけが天井に滲んでいる。
この部屋に漂うのは、重い沈黙と過去の亡霊のような気配。
この場には、歴史の重みと覚悟が息を潜めている。
我がマクガイア王国は世俗国家でありながら、星の理を神の名と結びつける文化を排してはいない。
だが、レスタリアのような宗教国家にとって、星とは『神の摂理』そのもの。
それでも私はあえて口にした。
理の名を借りて命を奪う正義より、戦わずにすむ方法を選ぶために。
星の民である限りマーガの星の民は、他のマーガの星の民を殺す運命にある。
けれど、そうでなければならないと――誰が決めたのだろう?
「……五十六年前」
ようやく大公が静かに口を開く。
「ヴィエル・マーガの星が、テオブルグに降りた。
帝国の軍部は歓喜に沸いたそうだ。自国に『最強の祝福』が与えられたと……」
一拍置き、大公の声が低く響く。
「すぐさま彼らはそれを運用した。
他国の星を調べ、戦力を分析し、誰をどこにぶつければどう損耗するか――。
それらを全てを数値化、情報化、整理し……祈らせた」
その声音には、冷ややかな怒りが滲んでいた。
「星を兵器と見做した。
いや、神の理さえも戦略の一部に組み込んだのだ」
私は唇をきゅっと噛み締め、そして絞り出すように語る。
「……だからこそヴィエルの星は、簡単に公にすべきではないと私は考えています」
大公は答えなかった。
ただ無言のまま、思考の深奥に沈んでいるようだった。
「あれは戦力であると同時に、マーガの戦いのある意味象徴です。
各国が恐れる火種――力と恐怖、両方の意味を持つ。
テオブルグはそれを理解している」
私は顔を上げる。
「だからこそ、誘拐や脅迫といった手段すら選ばない。
手に入れるためなら、どんな非道も躊躇しない国です」
その言葉に、大公が短く肯定の吐息を漏らす。
「ああ。あの国にとって『目的のために手段を選ばぬ』は正道であり常道……そして神の威だ」
その一言で、場の緊張がわずかに弛んだ気がした。
私は言葉を重ねる。
「ゆえに、私たちは他の星と手を結ぶべきだと考えています。
すでに四名の星との接触を進めていますが、必要とあらば別大陸へも足を運ぶ覚悟です」
大公がくっと口元を緩めた。
「ふっ。乙女が見る夢物語だな」
私は軽く微笑んで応じる。
「大丈夫ですわ。
私の国のマーガの星は『人を魅了する力』には、かなり長けておりますので」
「……尚更タチが悪いな」
笑みが交差する。
だが、その穏やかな時間も長くは続かない。
私は湯の温度を確かめるように一口、茶を含んでから――
「もしご意向があれば、非公式にでも我が国へご訪問を。
名目は静養でも視察でも構いません」
その言葉に、私はさらに一言を添える。
「そして……もし必要とあれば、オルディーヌ様の保護。
それを我が国で承る用意があります」
それは提案というより、判断を委ねる言葉だった。
オルディーヌという名は、レスタリアにおいて既に『死者』
それを再び表に出し、どこに保護するか――
その爆弾の取り扱いを、大公自身の手に預けるという意味でもある。
彼の国の軍制では、長期的な庇護は困難。
そしてその星が公になれば、テオブルグのみならず諸国が動く。
聖域帝国の地政では、それらと正面から渡り合うには分が悪い。
ならば――
内陸の要衝、政治的緩衝地として機能しうるマクガイア王国こそ、安全地たり得る。
『争いを避ける』という選択肢を実行できる唯一の国。
これは誘いではない。
戦火を未然に防ぐ布石であり、信頼を試す賭けでもある。
どこまで私を信じるのか。
どこまで人を信じるのか――
大公の視線がわずかに揺れる。
そして次の瞬間、彼は、ふっと口元に笑みを刻んだ。
「……王女。貴女、実はかなり面倒な女傑ですな」
私は微笑む。
「そうでしょうか? 私は結構尽くすタイプですのよ。
特に、理より人を選びたいと思った相手には」
部屋を満たす沈黙は、もはや断絶ではなかった。
静けさの中に、確かな通じ合いの余韻が残っていた。




