第八章10『ただ服が裂けただけの日』
※シルバー視点――レスタリア聖域帝国、修道院、内部
修道院の薄暗い廊下に、ようやく静寂が戻る。
石造りの壁がほんのり冷えつつも、そこに漂っていた空気も、ようやく落ち着きを取り戻す。
「とりあえず無事で良かったぁぁぁ……」
どっと肩の力が抜けて、俺は壁にもたれながら深いため息をついた。
視線の先、俺の胸に抱きついたまま、無言で身を預けるルーシェの姿。
さっきからずっと謝りっぱなし、けど何だかルーシェに謝られると調子が狂うな。
そんな事を考えつつ、その見繕いを眺めると――見慣れないルーシェのメイド服。
だが妙に似合っている。まるで最初からそれが彼女の制服だったかのように。
「あ、メイド服ルーシェか……。
フッ、許可してやろう。お前にこの、銀月の天使を世話する栄光を――」
ドスッ。
言い終える前に、ボディに強烈な一撃が突き刺さる。
ルーシェの容赦ないボディブローが俺の内臓を直撃。
……ちなみに若干、手首の捻りから来る、捩りまで繰り出しつつ。
荘厳な教会に似つかわしくない、鈍い音が響きわたり、俺の肝臓が高音で悲鳴を上げた。
俺は悶絶しながら二つ折りのまま沈黙。
声すら出ない。痛覚が絶賛デモ行進。
そして俺の肺は、絶好調でストライキである。
「うっし! 気持ちの切り替え済んだわ。
とりあえずバカは後回しね。あっちの治療が先!」
そう叫ぶと、彼女は廊下の端へと駆けていく。
倒れた黒髪のメイド――あの戦いの相手、マリーの元へ。
◇ ◇ ◇
一方、少し離れた場所では、オルディーヌとマリーが言葉少なに向き合っていた。
つい先ほどまで、命を懸けた壮絶な修羅場が繰り広げられていたとは思えないほど、今は静かで――どこか儀式めいた空気すら漂っている。
ルーシェは既に、マリーの元へ駆け寄りながらすぐさま治療に取りかかる。
服の裂け目から見える傷は深いが、手際よく処置が進んでいた。
あの顔色や容体を見る限り、命に別状はなさそうだが……
一応、かなりの血を流しているだろうからな。
念のため、後で村の医者に診てもらうよう手配するべきだろう。
そんなことを考えながら俺はゆっくりと視線を、あの女性へと移す。
――オルディーヌ・ラディセ。
そう名乗っていたはずだ。
間違いない。あの人がマーガの星の持ち主だ。
けれど不思議なことに、これまでのような『避けがたい交差の宿命』とでも呼ぶべき――あの緊張感が、まるで漂ってこない。
試しに俺は、短刀で自分の指先を、ほんの少しだけ切ってみる。
その指先からは普通に血がにじむ。
だがその傷は、あっという間に消えていった。
つまり、俺の『ギグ・マーガの星』は何時も通りという事だ。
先程、自分の胸を切り裂いた時にも、違和感は感じていた。
何だかんだ付き合いの長い、クソ星だ。
その回復具合から考えるに、こいつは……戦う意思が、そもそもこの場ではまったく無い。
「……何時も通り回復は絶好調、か。
やっぱりシリアスモードのカケラもねぇな」
ぽつりと独り言がこぼれる。
自分の中の星は沈黙したまま、今は戦いを求めていない。
その感覚がどこか奇妙で――そして少しだけ、優しく感じられた。
その時、教会の外がざわつき始める。
「シルバー! ルーシェ!」
ナディアの姉御らしき声が、出入口方面から響く。
一気に乗り込む見知った面々、その先頭には……やはりナディアの姉御か。
そしてその背後には、星局の護衛や関係者たちが慌てて駆け込んでくる。
――咄嗟に俺は、声を張っていた。
「ナディアの姉御以外、一度全員外に出ろ!!」
一瞬の間を置き、護衛たちは「えっ、えっ」と困惑しつつも、きっちり俺の叫びに従って廊下を出ていった。
教会の中には、再び静寂が戻る。
◇ ◇ ◇
ナディアだけが残り、やや険しい表情で俺に問いかける。
「……どういうつもり? なぜ人払いなんて?」
俺は静かに息を整え、彼女を正面から見据えた。
「姉御、驚かずに聞いてくれ。――あの紫髪の美人。
今代の『ヴィエル・マーガ』だ」
ナディアの目が静かに、しかし確かに見開かれた。
「……確証はあるの?」
「本人が先ず、そう名乗った。
そして俺自身、その恩恵を肌で感じてここまで来た。疑いようがない」
ナディアが鋭い目で顔を寄せながら、更に声を絞りながら俺に問いかける。
「あの娘と戦ったのか?
その胸の裂けた服の部分は彼女が?」
「ああ、ただし戦った相手はあそこで、ルーシェが治療している黒髪のメイドのほうだ。
ついでにこの胸を切ったのは、自分だから気にしないでくれ」
手短に経緯を説明する。
まあ、実際は死にかけたし心も身体もあちこち痛かったけど――。
まあ……その辺は華麗にカット。
ナディアは腕を組みながら、じっと俺を見つめる。
「……その時あの、ヴィエル・マーガの持ち主と、戦うべき流れに行かなかったの?」
「まったく無い。出会うべきだと促された感覚はあるが……。
ついでにさっき、自分の指をちょっと切ってみたが普通に回復している。
もしや……ギグ・マーガの星は――」
一呼吸置く。
さて、どう言ったもんかねぇ。
「……美人に弱いんじゃないか?」
そんな俺の言葉にナディアの顔から一瞬で、感情が消える。
そして――
ゴッ!!!
問答無用の拳が、俺のこめかみに炸裂した。
◇ ◇ ◇
気がつけば、俺は教会の壁にめり込んでいた。
天井が、霞んだ視界の向こうで静かに揺れている。
けれど――そんな中でもひとつだけ、ふと俺の中に浮かんだ想いがあった。
あの子が、マーガの星の持ち主でありながら俺との戦いに至らなかった理由。
まず、俺が自分の胸を切り裂いた事が、あの子との戦いに至らなかった理由ではないと思う。
それは多分、あのオルディーヌって子はもしかしたら……そもそも誰かを傷つけるという発想にすら辿りつかないほど――優しいんじゃないか。
視界の隅にルーシェとオルディーヌの姿が映る。
二人は寄り添うように、静かに何かを話していた。
言葉までは聞こえない。
でもきっとルーシェの事だ……
きっとあのオルディーヌとかいう子に、何度も何度も謝っているのだろう。
けれどそんなあたたかな空気だけで、胸の奥がほんの少し溶けていくような気がする。
十二歳の時に星を得て、それから何年もの間、情報が無かったという事は……恐らく完全に引きこもる形で、ここに身を隠していたんじゃないか。
それが……ルーシェ自身からしたら、マーガの戦いに引きずり込んでしまったかのような感覚もあるかもしれん。
これも、マーガの星同士の宿命なのか。
そんな事を一人考えながら、この世界の潮流の蠢きに少し背筋が寒くなるのだった。




