第八章9『この優しさを、運命と呼ぶのなら』
※シルバー視点――レスタリア聖域帝国、修道院、内部
昼光が修道院の中に差し込み、白い石床を照らす。
その光は、塵一つない空間をなぞるように、無音で流れていた。
剣を構えたままのマリーが、片膝をつく。
血を流しすぎて、もう立っているのがやっとなのだろう。
腹部の布はすでに赤く染まり、破れた袖口からは乾きかけた血が細く垂れていた。
それでも俺から目を逸らさない。
視線がぶれず、わずかに揺れる身体の中心で、明確に俺を捕らえていた。
傷ついた体で、まだ戦意を手放していない。
その構えは既に崩れているのに意志だけが地に向かい、想いだけが重力に逆らい、身体を吊っているかのように。
そんな彼女のすぐ傍で、オルディーヌが静かに動いた。
音も立てず、砂に染みる水のように俺の正面まで進み出ると、まっすぐに膝をつき頭を垂れる。
長い紫髪が肩から流れ落ち、柔らかく床に触れる。
ひとつひとつの動作が緩慢ではなく、明確な選択による所作だった。
俺は何も言わず、ただそれを見下ろしていた。
そのまま、彼女の声が静かに響く。
「……私は今代のヴィエル・マーガの持ち主、オルディーヌ・ラディセ。
この命と引き換えに、どうか、そこのマリーの命を……どうか、お助けください」
語尾にまで緊張の乱れはなく、節の一つひとつが均整を保っていた。
微かな息遣いすら、修道院の静寂に滲み込んでいく。
マリーが、声をあげる。
「やめてください……そんなこと、言わないでください……!」
剣を杖代わりにに身体を起こし、破れかけた裾からこぼれる血を踏みながら、それでも前を向いた。
喉を振り絞るような声だったが、その叫びは明確に届いた。
「私を……貴女の、剣として。せめて、最後まで……」
その言葉が落ちた瞬間、空気が僅かに振動したように感じた。
俺は無言で指を掲げる。
指先の動きに合わせ、銀糸が滑り出す。
淡くきらめく光が糸に沿って流れ、まるで空気が筋を持ったように室内を走る。
それは風もなく、音もなく、ただ直線的に展開していく。
「シルバーやめてッ! 貴方はそんな人じゃない!
星に抗って! お願いシルバー!」
ルーシェの声が飛ぶ。
正面やや左、駆けてくる足音。
衣擦れと靴音が不規則に混ざる。それはきっと焦りによるもの。
距離は十歩。踏み出すごとに加速している。
同時にマリーも動いた。
手から剣を離し、体重を傾ける。
制御しきれていない足取りでも、前へ進む動きだけは止まっていない。
――だが、俺の動きの方が早かった。
銀糸が風を裂く。
水平、斜め、交差。
複数の糸が瞬時に展開され、二人を正確に捉える。
ルーシェの足元に、マリーの肩に、それぞれ絡む。
糸は切り裂かず、ただ静かに、しかし強く止めた。
動きが止まり、空気が硬直した。
「オルディーヌ様、逃げて――ッ!」
張り裂けんばかりの声で、マリーが叫ぶ。
その叫びが鼓膜に残る中で、オルディーヌは顔を上げる。
目を閉じたまま、微動だにしない。
……覚悟の姿勢は、まだ崩れていなかった。
俺は短刀を抜く。
柄の感触、刃の重み、冷たさ――すべてがしっくりきた。
そして静かに短刀を逆手に持ち、そのまま上部へ掲げながら、俺は声を上げた。
「俺が……あのハゲ神の思うままに誰が動くかよ。
クソ馬鹿神どもがあああ!!」
そんな叫びとともに、刃を自分の胸に思い切り突き刺した。
熱が爆ぜ、皮膚が割れ、肉が裂ける。
そして……俺はそのまま横へ、衣服ごと引き裂く。
痛みが脳を焼いていく。その痛みに俺の息が止まる。
ったく……こういう裂傷は、何度やっても慣れないもんだ。
血が音を立てて石床に噴き出した。
そしてこの情景に、あいつら――ルーシェ、マリー、オルディーヌ。
誰一人として何も言わない。口を開いたまま、俺の胸から噴き出す血を眺めている。
いや、単純にこんな異常事態に、声を上げる事もできないのだろう。
床を血が、たん、たんと落ちる音が静かに響く。
さてギグ・マーガのクソ星よ、こんな俺をどう判断する?
目の前に死を覚悟した一人の乙女、更に言うならとびっきりの美人。
そして、そんな美人の前に……この俺、銀髪の二枚目シルバー。
なんせ目の前の美人は聞いてびっくり。
あの『ヴィエル・マーガの星』だ。本来なら大金星だ。
ところがどっこい。そんな星を眼前にし、自分の胸に短刀突き立てる美男子だ。
これで『喜劇』か『茶番』じゃなきゃなんだってんだ?
なんなら次は、この場でパンツでも下ろしてやろうか?
そんなバカげた事を考えていると、その裂けた胸から蒸気が上がる。
そしてそのまま血が止まり、裂けた肉が閉じていく。
「はっ……流石にそこまで空気の読めない星じゃねえか」
そんな言葉を独り言ちながらギグ・マーガの星は、何の拒絶もなく、ただ淡々と傷を塞いでいった。




