◆第八章1『神意の向こうに、旗を立てよ』
※シルバー視点――マクガイア王国、軍務省、会議室。
扉が閉まる音が、石造りの壁に鈍く響く。
重厚な円卓を囲むのは、王女、俺。
部屋の隅には、例によってナディアが無言で立っている。
相変わらず無表情だが――目だけがやたらと鋭い。
あの目はだいたい「これから嫌な話が始まるわよ」というサイン。
そんな事を考えながら、俺は小さくため息を飲み込んだ。
そのとき、扉がもう一度開いた。
入ってきたのは、軍務省付き戦略担当官――マルカス准将。
五十前後だろうか。白髪混じりの短髪に整った軍服。
無駄なものを嫌う性格が、立ち姿からも伝わってくる。
「几帳面オーラ」って言葉があったら、たぶん辞書にこの人の顔が載ってる。
マルカスは何も言わず、卓上に地図を広げた。
一礼のあと椅子には座らず、そのまま語り始めた。
「軍務省付き戦略担当官、マルカス・ヴァレンティアです。
本日は各地の動きを整理し、今後の対応をお伝えします」
声は低く、無駄な抑揚がない。
だが、妙に耳に残るタイプの声だ。
「……戦争の原因とは『あの国の小麦がうまそうだったから』などと、シンプルな風に語られたりします。ですが現実はもっと厄介です」
そう言って、マルカスは懐から小さな磁石らしき塊と、鉄の重しを取り出す。
地図の上、ふたつの国を示す位置に置く。
「確かに欲しいという本音はある。けれどそれだけじゃ戦争は始められない。
始めるには、もっともらしい理由――つまりは大義名分」
磁石を指で押さえながら語り、そして手を離す。
磁石が鉄片に向かってすべる音がして、カチン、と吸い付いた。
「こう言われています――マーガの星は互いに引かれ合う、と」
……さんざんこれまで、何度も言われてきた言葉。
ディオンの件で、身を以て体感済だ。
マルカスは磁石を見下ろしながら、静かに続ける。
「星の戦いには、最初から神の意志という、強すぎる理由がついてくる。
欲しいとか、戦いたいとか、そんな人間的な理由すら超えて――
『これは神が望んだことだ』と、言えてしまう」
部屋の空気が、わずかに冷たくなった気がした。
「ただし忘れてはならない。
マーガの戦いは、本来『個人と個人』の争いであること。
星を持つ者同士の、限定的な衝突――そういう建前です」
マルカスは磁石が通った線を指でなぞる。
その磁石の走り抜けた線は……地図の上で既に二国を跨いでいる。
「でも現実には、そうならない。
星持ちが動けば、家族、仲間、軍、支援者、補給――全部が連動して動き出す」
「神のために戦っているつもりでも、外から見ればただの軍事侵攻にしか見えない」
「でも、それでも言えてしまうんです。
『これは神の導きだ、引かれ合う星同士の道筋だ』と」
誰も反論しなかった。
マルカスの声は静かだが、その静けさが逆に重い。
「だから止められない。
たとえ他国が非難しても、最初から正当な理由が用意されている。
それが神の意志という前提の前に、人ごときの言葉では覆せない」
俺の背中にじわりと冷たい汗がにじむ。
マルカスの指が、地図の端をなぞる。
「この星の意志は、国境を越え、大陸を越え、いずれは海をも越える。
その途中で何が起ころうと、越境でも挑発も。
すべて神の導きとして処理されてしまう」
王女も俺も、黙ってその指の先を見つめていた。
「だからこそ、同盟が必要なのです」
マルカスの声が少しだけ強くなる。
「どの国と組むか。どの星を誰が持つか。
そしてその星が当たりか外れか――それがすべてを左右する」
「外れを引いた国は即座に動き出す。どう交渉するか。どこに押しつけるか。
星はそこにあるだけで争いの火種になる。利用され、捨てられ、また拾われる……それが政治側から見た、星です」
場に重たい沈黙が落ちる。
マルカスは再び地図のある一点を指さし、視線を向ける。
「……最近、軍の動きが活発になってきた国があります。
海の向こう、大陸の別端にある帝国――テオブルグです」
その名前を聞いた瞬間、王女の指先がわずかに動いたのを俺は見逃さなかった。
空気がぴんと張りつめる。
俺は、場の緊張をどうにか緩めようと、口を開いた。
「……なあ、ルーシェは?
いたら途中で絶対ブチギレてたろ」
くすっと、小さな笑いが漏れる。
ようやく少しだけ、空気が動いた。
そんな俺の軽口に、ナディアが静かに答える。
「少し長めの休暇を取ってるわ。
親戚の結婚式で他国に行ってるって話よ」
そう言って地図の一角を指差す。
マクガイアから船で二日ほど。
テオブルグとは別の大陸の沿岸。
「……たしか、レスタリア聖域帝国だったかしら。
休暇は二週間の予定よ」
また少し、部屋の空気が落ち着いたような気がした。
でも――その静けさの底には、変わらぬ不安が残っていた。




