◆第七章1『夜に呼ばれて』
※シルバー視点――マクガイア王城、屋根。
王城の屋根の上で夜風に吹かれていると、ふと、あの夜のことが胸をよぎる。
両親を失った、あの夜。
俺は何も言えず、ただ村の道に立ち尽くしていた。
十歳の俺が生まれ育った村の片隅。
誰の灯りも届かない場所に、ひとりきりの姿を浮かべていた。
夜の村。家々の窓からぽつぽつと灯りがこぼれている。
笑い声。食器の触れ合う音。湯気の匂い。揺れる影。
――そのすべてが遠かった。
窓のひとつひとつに、小さな物語が詰まっているように見える。
輪の中で語り合う誰か、湯気の立つ食卓。
まるで、絵本の中の風景みたいだった。
どこからか犬の鳴き声が聞こえ、裏手から流れてきた洗い物の音と誰かの笑い声が交差していく。
それは、自分には決して届かない日常の音。
暗闇の中を一人歩く孤独より、灯りのある場所にいながら、そこに入れないと知る方が、ずっと堪える。
そこには「誰か」がいる。
けれど、その場に「俺」はいない。
俺は両親を失った翌日から雨の日も、風の日も、畑に出て、水を汲み、納屋を掃除していた。
そうしているうちに大人たちの仕事が、いつしか俺の日常の一部になっていた。
「偉いなあ」「無理するなよ」「今度、うちで飯食ってけよ」
みんな優しかったんだ、本当に。
けれどその声は、どこか遠くて、何か……夢の中の音みたいに聞こえるだけだった。
「うん」「大丈夫」
俺の言葉は口先だけで、自動的に零れていく。
俺に優しい言葉をかけてくれる人が安心してくれると、俺も安心したふりができた。
……けれど、心の底から安堵したことなんて一度もない。
家に戻れば、誰もいない部屋。
父の笑い声も、母の煮込みの匂いも、もうどこにも残っていない。
優しさに触れるたび、心の奥がひりつく。
いない人の気配を思い出してしまうから。
だから俺は、笑った。
泣かないために、笑っていた。
誰かが俺の心に直接触れる前に、先回りして。
誰かの「重荷」にならないように、自分を演じていた。
ある晩、俺は灯りを作ってみようと思った。
自宅で一人、ろうそくをいくつも灯しながら、椅子を窓辺に置いて食器を並べる。
そして、誰にも見られないように、笑顔のままに。
周りの家々のように、ささやかな明かりに包まれれば、もしかしたらほんの少しだけ、心もあたたまる、そんな気がして。
でも――炎が揺れるたびに、増えていったのは影ばかりだった。
右へ、左へ、いくつも揺れる影が胸の奥をざわつかせていく。
「ああ、違うな」
そんな単純な事に気づくのに、時間はかからない。
俺の灯りは、誰かのためのものじゃない。
そして、俺には、誰の光も届いていない。
そんな風に、思い込んでいた。
夜が深くなるほど、影の輪郭は濃くなっていく。
揺れも激しくなり、部屋中に孤独なだけの自分の存在が増殖していくようで。
俺はただ黙って、それを睨んでいた。
今、十六歳の俺はあの日の夜を思い返していた。
王城の屋根の上で、夜風に吹かれながら。
胸が、少しだけ痛む。
「……ルーシェ、クラリスおばさん、フィルじいさん、レーナさん……村のみんな」
「みんな、ごめんな」
「優しかったのに……俺、ずっと、ひねくれてた」
今の自分から、あの頃の自分を見つめ直すと――また別の痛みが湧いてくる。
あのとき、俺は誰の負担にもなりたくなかった。
笑顔をつくって、強く見せて。
そうすることでようやく、目の前のパンを罪悪感なしに食べられる気がして。
けれど、そんな笑顔では誰にも本音を伝えることができなかった。
ただ静かに「気づかれない寂しさ」を周囲に滲ませていただけ。
――今なら分かる。
優しさに背を向けていたのは誰でもなく、俺だった。
ルーシェの親御さん。村の人たち。友達の家族。
みんな、俺を温めようとしてくれていた。
それなのに俺は、作り笑いでごまかし、平気な顔をして、また夜ごとにひとり、影を睨む。
それでも――あの夜、窓の灯りに憧れた俺がいた。
誰かの中に入れなかったけれど、外から光を見つめていた。
……あの灯りはまるで、声を持たない誰かが「ここにいるよ」と告げる印のように思えた。
だからこそ羨ましかった。その輪の中で名前を呼ばれる誰かになれたなら、と思った。
でも俺の名前は、どの家の窓からも呼ばれなかった。
夜の空気に吸い込まれるように、ただ消えていく存在だった。
それでも、どうしても目を逸らせなかった。
灯りを見つめていたのは、諦めていたからじゃない。
本当は――そこに入りたかったからだ。
入りたくて、届かなくて、でもそれを誰にも知られたくなかった。
だから俺は笑った。心に触れさせないための盾として。
それでも今、ここには――言葉を交わさずとも伝わるものがある気がした。
風がそっと髪を揺らし、屋根の上を通り過ぎていく。
この場所の静けさは、あの夜の孤独とは違っていた。
王城の屋根から見える、城下の灯りは、いまも遠くで瞬いている。
けれど、今の俺はもう、それを外側から見ているわけじゃない。
夜は、まだ続いていく。
けれど今は――誰かの光になれる場所に、俺は立っているのだろうか。




