第六章7『舞ったのは糸か、心か』
※シルバー視点――マクガイア王城、闘技場。
糸を指先ではじく。
その瞬間、重力がほどけた。
ミルカと俺、ふたりの身体が銀糸に導かれ、宙を舞い始める。
舞踏のように回転しながら、空中で交差。
銀糸が足を、背を、腕を支え、重力の法則を裏切る。
彼女の髪が月を受けて揺れ、俺の銀糸が空に星座を描く。
今、この空はふたりのものだと錯覚するほどに。
外からの叫びが、割れそうなほど耳を打つ。
いつの間にか、ギャラリーが増えていやがる。
「止めろシルバー!!」
「もう無理だ、それ以上はッ!!」
……やかましい。まだ終わっちゃいねぇよ。
銀糸はまだ緩んでいない。
けれど俺の指は、さっきから微かに震えていた。
終わりは俺が決める――そう思っていた、なのに。
「シルバー!! おい……もう、やめてくれよ」
マクレーン教官の声が、どこか震えていた。
あの人の泣きそうな声なんて、聞いたことがないな。
――ったくずるいな。
そんなことを思った瞬間――俺の中の何かが切れ、そして銀糸の張力が切れる。
一瞬だった。
俺自身が糸を制御しきれず、張力が切れた。
闘技場の周囲を覆っていた銀糸が、風に解けるように音もなく崩れ落ちる。
張り詰めていた空気が緩み、まるで舞台の幕がそっと下ろされたように。
その隙を突くように、何かが飛び込んでくる。
「っ……シルバー!!」
マクレーン教官だった。
そのまま俺とミルカの間に突っ込み、強引に引き剥がす。
俺の手や背中から伸びる銀糸に目もくれず、マクレーンは両手を傷だらけにしながら、それでも俺を背中で受け止めた。
視界が傾く。地面が近い。
……ああ、俺は、舞台は崩れたのか。
ミルカの手が、指の隙間からすり抜けていく。
その最後の指先の感触と、温度だけが自分の手に残る。
「その女を抑えろッ!」
複数の足音が近づく。
俺の頭の横で、ミルカが引き倒されそうになっていた。
「――止めろッ!!!!!」
叫んだ。俺の喉が焼けるほどに叫んだ。
「……美男子と小娘が、ちょっと本気で遊んでただけだ。
ミルカには何の罪もねえ……これは、俺が背負うべきもんだ。
こいつは……ガキの頃の、俺なんだ」
誰に届いたかなんて、知ったこっちゃねえ。
でも、今だけは言わなきゃいけなかった。
あの時間は俺のだ。
俺が、決める。そして俺にしか救えない。
右腕が重い、血が垂れている。
目の前も赤く染まっている。
いつもなら――こんな程度の傷、すぐに塞がっていたはずなのに。
(……治らねえ)
ああ、そうか。星が動いてない。
胸の奥に、その実感が静かに沈む。
美男子と小娘の遊びにマジになりやがって、しょっぱい星だ。
でも、もうどうでもいい。
「だからさ……マーガの星共は……モテねぇんだ……。
レディに優しくするってこと、忘れてんだよ……」
俺は崩れるように倒れこむ。
背中が砂に沈む。夜空の月が……近い。
銀糸がまだ空中を漂っている。それが妙に綺麗で――
……そうか、これが『気絶』ってやつか。
星を得てからこんな風に落ちるのは、初めてかもしれないな。
なんだ、案外あっさりしたもんだな。
そんなことをぼんやり考えていると――
ふと横から何かが駆けてくる気配。
ミルカだった。
何かを叫びながら、こちらに駆け寄ってきている。
声はもう届かない。でもあの顔は確かに叫んでいた。
唇の動きと、目尻に滲んだ光だけで、それが本気の叫びである事を理解した。
はっ……最後の最後に、本気になりやがって。
伸ばされた手が、俺に届きそうで届かないまま揺れていた。
それが、俺の、その日の最後の記憶だった。
◇ ◇ ◇
「何が起きた……?」
「今の、見たか……」
「あいつ、血だらけじゃ……」
闘技場の縁にいた兵士や訓練生たちが、ざわめきを抑えきれずにいた。
どよめき、戸惑い、恐れ。
誰もが口を開きたがらず、でも誰かに何かを問いかけたくなるような空気。
その中にただひとり。
月の下、戦いの幕が下りたその空間。
銀の糸が、ゆっくりと音もなく崩れていた。
かつて空を駆けた光の軌跡。
いまはもう力を失い、光も失い、ただ舞い落ちる埃のように。
空には、まだ星があった。
だが、それはもう何も語らない。
砂に沈んだシルバーの身体。
その背に、途切れかけた銀糸がまるで毛布のように、静かに覆いかぶさる。
月明かりが、その銀の背を静かに撫でていた。
生かされているのか、ただ夢を見ているだけなのか――
星すらも、何も語らなかった。
その隣で、ミルカが地面に座り込んだまま。
何も言わず、ただじっと、ぼうっとシルバーの顔を見つめていた。
伸ばしたままの手は、未だ彼に届かないまま、空気をつかんでいるように。




