第六章5『月の王子様は、高血圧になんてならない』
※シルバー視点――マクガイア王城、闘技場。
鍵が音を立てて外れると、重い扉がわずかに軋んだ。
鉄鍵がカチリと音を立てて外れると、その重厚な扉から闇にひそかに、裂け目が出来るかのように。
「……アンタ、そんな所に鍵隠してるの?」
俺が壁の装飾裏から取り出した鉄鍵に。
ミルカが訝しげに指を差す。
「……フッ、月明かりが差し込む舞台。
銀糸を舞わせるには、ちょうどいいと思ってな」
「くっさ死ね」
……悪態二連発とは未熟な。
ルーシェなら拳が既に四発。
ナディアの姉御なら無言で脳天ペン。
ラスティーナ王女なら何故か脳内の娘たちが、反抗期を起すぞ。
つまりその程度の毒じゃ、銀月は狼狽えない。
俺は気にせず扉を開き、白く照らされた石の闘技場に音もなく歩を進める。
石と鉄と砂。静寂に沈んだ舞台に、俺たちの足音だけが響く。
「武器は?」
「え? ああ……あたしはこいつ」
ミルカは腰から短刀を二本取り出し、くるくると刃面を見せつける。
その刃が月を鈍く反射し始め、俺の目を薄く刺す。
「……意外だ」
「でも、こっちも意外だった。
アンタみたいな馬鹿臭い、ナルシスト糸クズ馬鹿なら『君とは戦いたくないでゴザル』とか言い出すかと思ってた」
「もしも言ってたら?」
「殺してた」
満面の笑み。
俺は無言で、銀糸を周囲に走らせる。
「月光の下、月明りを纏いながら舞う刃と銀糸。
悪くない組み合わせだと思わないか?」
俺はじりりと足を踏み出す。
砂の音が、静けさに沈む。
「さあ――美しき断罪の舞踏を共に踊ろう」
俺は右手をミルカへ向けて、差し出す。
ミルカは短刀を構えて、沈黙のまま。
俺の右手から銀糸が放たれる。
月明かりにほとんど映らないそれは、空気に緊張を生む。
合図も何も無い。
ミルカがただ前へ出る。直線の踏み込み、短刀が空を裂く。
俺は攻めない。ただ捌く。
糸の引力で軌道を逸らし、殺意の角度を変える。
触れずに止める、傷つけずに導く。
ミルカの動きは最早、迷いがない。
荒削りだが真っ直ぐで――美しい。
数合交えたところで、俺はふと足を止めた。
「ピンキーポイズン……その手袋、外してくれないか?」
「はあ? なんで?」
「美男子の礼儀ってやつさ。
俺の中の銀光の王子様が、そう言ってる」
「うわ、きもちわる」
そう言いつつも、ミルカは大げさにため息をつきながら手袋を外した。
それを軽く宙へ放る――そして金属音が重なる。
手袋の鉄鎖が空を切り、月の光を一閃だけ刻んだ。
そんなミルカの振る舞い。
そんな情景に俺は一歩下がり、左足を引いて胸に手を当てながら、軽く頭を垂れる。
月明かりの中。
ささやかに、ミルカへ送る舞踏礼。
ちらりと視線を送れば、ミルカが目を細めにやりと笑った。
ミルカはスカートの端をつまみ、少し足を引いて――静かに、同じように礼を返した。
そのままミルカは右手の短刀を、軽く一回転させる。
そしてそのまま、ためらいなく――その柄を、口に咥える。
左手の短刀はそのままに、再度構える。
つまり、エセイ・マーガの恩恵たる右手は……フリーってこった。
まるでそれが当然の準備動作であるかのように。
けれど、口元の表情はほんの少しだけ――いたずらっぽい。
とりあえず俺はミルカの、その所作が終わるのを見届けた。
――見届けた後、俺は一瞬で間合いを詰めミルカの空いた『右手』を取る。
二人の指と指が絡み合う。
ミルカの目がわずかに見開かれた。
何かを言いかけたような、けれど言葉にできない、そんな気配が揺れる。
それは世界で最も忌まれた右手。
『最低の星』と呼ばれた、エセイ・マーガの星の宿る手。
けれどいま、その手は――たしかに、温かかった。
乱暴でも、強引でもなく。
ただ、踊りに誘うための手。
ミルカはほんの一瞬だけ眉を寄せ、そしてわずかに肩をすくめる。
口元に浮かんだ苦笑は、どこか照れ隠しにも見えた。
拒まない――それが、すべてだった。
歩幅を合わせて回る。視線が交差する。
月明かりの中、肌と空気の距離が近づく。
刃が喉元をかすめる。けれど届かない、届かせない。
自然と笑いがこみ上げる。
ミルカの左手の短刀は俺の上半身を狙い、口に咥えた短刀は俺の顔や首元を狙う。
それはまるで、熱いキスをおねだりするかのように舞台は巡る。
「ハハッ、意外と簡単だな」
握った手の指を動かし、糸が放たれる。
風を切り、空間を裂いて――舞台が動く。
ミルカと俺二人が宙を舞いながら、くるくると回り出した。
「ダンスってのは――」
その時、不意に視界が滲む。
空気が重くなる。まぶたが落ちるように重い。
「……ッ」
片膝をつき、なんとか意識を引き戻す。
ミルカの気配が、すぐ近くに残したまま。
咥えた短刀の奥で、ミルカの呼吸が揺れ始める。
肩が微かに震え、目が、こちらの手元を凝視している。
――自分の中から出た呪いを、初めて現実として見たのだろう。
言葉はなく、けれどミルカの表情はすべてを語っていた。
彼女はゆっくりと繋がれた、自分の右手を引こうとした。
けれど、その動きはあまりに弱く途中で止まる。
迷いと困惑、そして……どこか情けなさのような色が滲んでいた。
それでも俺は手を離さなかった。
彼女も、引ききらないままに、俺とミルカはダンスを続ける。
フッ……これが最低の星の恩恵――エセイ・マーガか。
なかなかやるじゃないか。
だが――この銀月、そんじょそこいらの健康優良児じゃないもんでね。
それに銀月の王子様に……生活習慣病なんて似合わない。
俺の全身から、うっすらとした蒸気があがり、少し体調が楽になる
そしてミルカの手を握ったまま、俺は静かに一歩踏み出す。
ミルカの足元が舞うように回る。
銀糸がそれを支え、彼女の体が宙を切る。
まるで、星と星が――軌道を交差させるように。
そこへミルカの短刀が、俺の上半身を、まるで流れ星のように掠めていく。
言葉ではなく仕草で誘う。
それが、最弱と最低の、星の交差。
マーガの戦いだった。
「踊りってのはな、星が軌道を逸れて別の星と交差する、ほんの一瞬の奇跡。
続けようぜ、最弱と最低――この夜空の片隅で。
誰にも見せない、俺たちだけのダンスを最後まで。」
そんなカッコいい台詞を語れちゃう俺を、短刀の柄を咥えながら死んだ目で俺を見つめるミルカ。
その視線は、如実にこんなメッセージを俺に送る。
『何でそんな台詞、真面目な顔で言えるの? バカ糸』
フッ……やはりこいつは間違いなく性格悪いな。




