第三部五章3 『赤髪が触れた悪夢』
※シルバー視点――ハルメリオス騎士国、山間の広場
一気にこちらへバラッドが駆ける。
地を蹴る音が夜気を裂き、砂煙が舞い上がる。
赤髪のドレッドが弧を描き、鈴の音がかすかに鳴り響いた。
「本気かっ!?」
思わず叫び、俺は即座に指を動かし糸を放つ。
銀糸が五本、夜を貫き、篝火を断ち切るように張り巡らされていく。
その勢いのまま、俺の身体は糸に引かれ宙を舞った。
距離を取る――緊急回避だ。
チリーン。
澄んだ鈴の音が響く。
音の主、バラッドは冷静そのものだった。
「……ふむ。やはり団長の糸繰りは見事だ。実に参考になる」
その落ち着いた声でまさか戦闘中に講評を入れてくるとは、こいつ本気で分析してやがる。
その言葉と共に、バラッドは俺の張り巡らせた銀糸の一本へ歩み寄り、槍の柄で軽く突いた。
「おまっ……そこは――あいだぁあああっ!!」
どしゃん。
瞬間、糸の支点が弾かれる。
身体を支えていた均衡が崩れ、俺は華麗な弧を描いて宙を舞い、そのまま――地面に叩き落された。
地鳴りのような音が夜を揺らし、土埃がふわりと舞った。
……背中が死ぬほど痛い。
「支点・力点・作用点からの力学滑動を利用して、敵を締め上げたり、自分を吊ったりする構造か。うん、理に適っている」
分析を始めるな。ここは実験場じゃない。
俺は地面に手をつき、むくりと上体を起こした。
「……そうかい。だけど俺の糸繰りは、そんなに安直じゃないぜ」
口元に笑みを浮かべつつも、俺の内心は少しピキピキカチンである。
銀糸を操るこの技は、単なる仕掛けじゃない。
心と直感、そして俺のビューテホーさがあってこその美技なのだ。
「それは実に興味深い。
さあ――続きを始めようか、シルバー団長」
鈴が再び鳴る。月光が槍の先に反射し、彼の義手がきらりと光った。
バラッドの表情には、静かな闘志が宿っている。
俺は息をひとつ吐き、そして息を止める。
軽く指を弾き、再び銀糸を空に放つ。
篝火の炎がその線に反射し、夜の空間を編むように輝いた。
「いいだろう。だが、そう簡単に捕まえられると思うなよ?」
指先を鳴らし、張り巡らせた糸をわずかに引く。
だが同時に――地面の下で微かな異音。
……なるほどな。
「さて。お前のお得意様は罠設置だったな、バラッド」
目を細め、唇を吊り上げる。
最初の矢の時点で嫌な予感はしていた。
つまり、こういうことだ――
「既にこの広場一帯、ぜんぶお前の実験場ってわけか」
月光の下、鈴が三度鳴る。
俺の足元で、土が小さく沈んだ。
◇ ◇ ◇
※バラッド視点――ハルメリオス騎士国、山間の広場
団長の指先から放たれた銀糸が、夜空を縫うように走った。
一瞬にしてこれほどの構築を成せるというのは、どれほどの鍛錬と、どれほど密な感覚の積み重ねによるものか。
音で感じ取るだけで息を呑まざるを得ない。
団長は、己の呼吸のように、まばたきをするように、この糸を操る。
「……私が同じような糸を張るとするなら、多少の時間を要するのだがな」
思わず口から漏れる。
私の罠も糸や紐の原理を借りるが、これほどの精緻な構築を、瞬時に成すことは到底できぬ。
彼のそれは、技巧というよりも――究極にまで研ぎ澄まされた、感性の極地。
「なら、これならどうよっ!」
シルバー団長の声が弾け響く。
その声に呼応し、私の中の世界が構築され、その中で団長の銀糸の一本が、団長自身の腰に絡んでいく。
そのまま勢いを全身に乗せ、彼の身体を空へと舞い上げる気配。
月光の下、糸の線が描く軌跡。
周囲の音を分析する限り、重力を裏切るように、恐らく彼は――飛んでいる。
風を裂く音。その風切りが耳をかすめた瞬間、位置を測る。
足音は消え、周囲の銀糸の軋む音が耳に入る。
やはり厄介だ。
「ぬぅん!」
槍の柄で衝撃を受け流す。
続くのは団長の蹴り。鋭い。重心の移動まで正確だ。
「おっと」
軽口を返す余裕があるあたり、まだ余裕は見せているのだろう。
ふむ、思った通り近接へ誘い込むか。
「……やはり器用だなバラッド。
ある意味、俺たちよりも世界が見えているんじゃないか?」
団長の言葉に、思わず私の口の端が上がる。
それは皮肉か……いや団長の性格上、素直な賞賛であろうな。
「フッ……目の見えぬ者は、どのような夢を見ると思う? 団長」
「……そういえば考えたこともないな」
だろうな。普通の者はそうだ。
視える者ほど『見えぬ世界』を想像できないものだ。
「……視覚以外の情報で夢を『感じる』のだ。聴覚、嗅覚、そして手触りや味覚。
人は、見えぬ世界でも世界を描ける。見えぬ者にとって夢とは――音と匂いや触覚、味覚等の感覚から積みあがった、記憶の織りなしのようなもの」
言葉と同時に、私は鈴を鳴らす。
澄んだ音が夜の空気を震わせ、周囲の輪郭を伝える。
篝火の熱、風の流れ、土の匂い、糸の震え。
全てが重なり、ひとつの世界が形を成す。
視界の代わりに、音と感覚が私の地図を描いていく。
「視覚以外でも夢に触れる事が出来る――それが例え悪夢であろうとも」




