第二部 四章4『舞台女優は扉の取っ手を優雅に捻る』
※カイル視点――テオブルグ軍港、海上。
テオブルグ帝国――それは、歴史と鉄と秩序の名のもとに、陸を征し、海を縛り、天すらも掴まんとする国。
そして『マーガの戦い』の最中に於いては、明確な敵。
そんなテオブルグ国の港、しかも軍港に俺達三人は――不思議と真っ正面から向かっていた。
「……カイルの不思議という感想は一度置いといて、軍港の近くには、恐らくだが民間港もあるはずだ」
隣で、バラッドがいつもより低い声で呟いた。
「この船には軍装も、認可もない。速やかにそちらへ進路を変えるべきだ」
彼の言葉に、リアナが慌てて地図を開く。
顔を上げ、すぐに周囲の風景と照合しながら、とある方向を指差した。
「この方向に商港区画だと思える場所があるよ」
「うむ、よし、それでいこう」
ともあれ、舵を微調整しながら、俺たちは船を港の外縁に沿って滑らせていく。
ただの漁船風の船体ではあるが、敵国の港に無許可で突っ込んだ時点で、本来なら完全にアウトである。
ならば――演技だ。
「さて、そろそろ私達の共通設定を最終確認する必要があるな」
バラッドが振り返り、表情も声色も切り替えてくる。
「我々は『あくまで民間人』として、一時的に食糧と水の補給のため寄港するだけ……という体」
「うん、異論なし。で、私が……えっと、確か『リアン』だよね。田舎の貴族娘って設定で」
リアナが地図を折りながら、何となく肩をすくめてみせる。
しかし……田舎貴族とはやはり納得できない、リアナ程の可憐さなら、姫を名乗っても良いのではないか。
そんな事を一人考える所へ、バラッドも同じ様に設定を語り始める。
「では私は、その貴族令嬢に仕える『バラン』だ。
そして盲目の従者設定だから、そこは気をつけてくれ」
バラッドはすでに、口調まで変えて見せている。
「基本的にはあまり喋らないようにする。
口数を減らし、身を引いている者ほど疑われにくいものだ」
バラッドは『バラン』という名の従者か……何となくこれまで仲間として共に海旅を続けて来たものを、いきなり従者扱いというのも何か妙な感じだ。
最後にこの俺、カイルである俺の設定。
「そして俺――そのリアン嬢と『駆け落ちした騎士カイン』だな。
リアンとカインは何時か赤い屋根で白い壁の家に住み、庭にポインセチアの花を育てて幸せに生きるという、夢を持っているという追加設定はどうだろうか?」
……沈黙。からの、見事なまでのスルー。
リアナとバラッドは引き続き、設定を確認し合うように会話を続けている。
――何か面白くないのだが?
「いや、なぜ無視する? もしかしてラナンキュラスの花推しか!?」
「カイル、余計な物語を足さないで。ややこしくなるだけだから」
リアナがぴしゃりと断じ、バラッドも珍しく鼻で笑った。
そんなやり取りの最中――
「……波の音に違和感だ、左舷に船が接近」
バラッドが視線だけで指した方向に、黒と赤の旗を掲げた一隻の船が、音もなく近づいてくるのが見えた。
鉄装の甲板、鋲打ちの舷側、そして――規律正しい制服姿の警備兵たち。
「やばい、テオブルグの海上警備艇……!」
リアナの声がひそかに震える。
俺たちは、顔を見合わせたまま――次の一手を、同時に考えはじめた。
◇ ◇ ◇
「このルート……軍港に寄りすぎだが、何者だ?
軍港寄港許可はあるのか?」
隣に並走していた警備艇から声がかかった。
灰色の軍服を着た男たちが、双眼鏡でこちらをじろじろ見てくる。
あからさまに警戒心を持っているが……まあ当然か。
先ず俺達の船は、どう見ても軍用ではない。
船体もくたびれているし、誰がどう見ても商業的な商いの匂いはもちろん、漁を行う漁船、若しくは貴族の旅行という設定の匂いもしない、判り易く表現すると『ただの不審船』である。
「ご、ごめんなさい!」
先に声を上げたのはリアナだった。
予想以上にスムーズな対応。小さく頭を下げて、声も綺麗に震えている。
……舞台女優か? 実に可愛い。
「港の位置を……ちょっと見間違えてしまって……!
すぐに民間港のほうへ向かいますので、どうかご容赦を……!」
芝居ではない。たぶん本気で焦っているのだろう。
だがその姿が、かえって説得力を持っている。
その背後から、膝をついたまま、バラッドが口を開く。
「我々は、食料品の調達に伺っただけでございます」
完璧な従者ムーブ。
声の低さと抑揚が、何となく見えない筈の設定に安心感を与えてくる。
「……そうか。だが、今は警備重点期間中だ。念のため、中を改めさせてもらう」
やはり、検分は避けられなかった。
リアナがちらりとこちらを見る。
そしてバラッドの無言の肯定。問題ないという意味だ。
祖国の鎧や剣、リアナの巫女服も、樽の底に紛れている。
多少の偽装もしてある。……完璧だ。
バラッドが答える。
「構いません。中には干した魚と硬いパンぐらいしかありませんが」
駆け落ちの果てに、貧しい旅人になった感を強調していく。
そしてここまで貴族娘の『リアン』従者の『バラン』ときて、設定の妙を描く、この騎士『カイン』の出番という訳だ。
「では私が案内しよう。しかし可憐な妻の下着を見せる訳にはいかぬ故、この騎士カインがあぁぁぁああっ!」
ミミチチィィィィ! と俺の臀部から蠢く様な音が俺の背骨を巡る。
どうやらリアナもとい、貴族娘リアンの抓りが、俺の尻を蹂躙する。
というか、尻の肉が、ドアノブのように半回転しつつ、引き裂かれたのではないか?
あのかつて戦った、エディオルの『火の毒』よりも強烈な痛みが俺の尻を、まるで春の野山を駆ける少年少女の様にはしゃぐように駆けていく。
「……ご自由に、検分なさってくださいませ……」
声が笑顔に包まれているのに、まったく笑っていない。
つまり後から説教か……しかし説教しているリアナも、実は可愛いのだ。
警備兵たちは一瞬目配せをしたあと、頷いた。
「数名がそちらへ移る。下手なことをしなければ、すぐ終わる」
こちらへ向かってくるボートの音。
穏やかな海に、控えめな緊張が船上を走る。




