第七幕:黒騎士、爆誕
あれから一週間が過ぎた。
私は今、王宮へと向かっていた。
しかも、淑女としてはあるまじきことに、廊下を駆け足で進んでいる。
……どうして!
どうしてこんなことに!!
「陛下! 陛下ぁぁぁ!!」
私は勢いよく執務室の扉を開け放った。
「……なんじゃ、騒々しい」
国王陛下は書類から顔を上げると、面倒くさそうに私を見つめた。
「今、治水関係の書類に目を通しておるところでな。わし、忙しいんじゃが?」
「そんなことはどうでもいいのですっ!」
「……は?」
「それよりも! なぜ白騎士様の称号が黒騎士になったのですか!?」
「…………」
国王陛下は、しばらく私を見つめていた。
「……治水がどうでもいいって、お前……」
やがて、深々とため息をついた。
「それでも公爵家の者かいな……」
「今はそんなことを議論している場合ではありません!」
「……わしはむしろ、治水のほうが大事なんじゃが」
「黒騎士ですわよ!? 黒騎士!!」
「……ああ、その件か」
国王陛下は、ようやく納得したように頷いた。
「新しい法律を作ったまでじゃ」
「なっ!?」
私は思わず息を呑んだ。
「で、伝統はどうされたのですか!?」
「……伝統を作っておるのは、わしの一族じゃし?」
「…………」
「そもそも、白騎士の称号を作ったのも、わしの御先祖様じゃぞ?」
「…………」
「ならば、黒騎士の称号を作っても問題あるまい?」
「そ、そのような横暴が許されるとお思いですか!?」
私が声を荒らげると、傍らの宰相が静かに口を開いた。
「……エレオノーラ様」
「なんですの!?」
「一応、この御方、国王陛下であらせられますからね?」
「知っておりますわ!!」
「……でしたら、もう少し敬意を払っていただけると……」
「心の問題です!!」
「……またそれですか」
宰相は、疲れ切った表情で額を押さえた。
国王陛下も、深々とため息をつく。
「……大体、お前が連れ戻してきたんじゃろうが」
「それはそうですが!」
「白騎士では、例の古い法律に抵触する。じゃから、新たに黒騎士の称号を設けた。それだけの話じゃ」
「ですが! 黒などという不吉な色を、王国の騎士の象徴にするなんて!」
「……別に黒でもよかろう?」
「なりません!!」
「……なぁ、宰相」
「……はい、陛下」
「……わし、今まで何回この話をした?」
「……少なくとも、十回以上は」
「……もう飽きたんじゃが」
「私もです」
「お黙りなさい!!」
「ひぇっ!」
「ひぇっ!」
まったく!
この方々は、国家の威信というものを何だと思っているのでしょうか!
すると、宰相が一枚の書類を取り出した。
「……ちなみに、今回制定されたのは、王国騎士法の特例規定です」
「……特例?」
「はい。白騎士とは別に、黒騎士の称号を新設いたしました。こちらは下着の色について、一切の制限を設けておりません」
「…………」
「これにより、元白騎士殿は合法的に黒い下着を着用できます」
「…………」
なんということでしょう。
ついに、この王国は……。
黒いおパンツを公認してしまったのです!!
「……陛下!!」
「なんじゃ?」
「そのような法律、今すぐ撤回してくださいませ!!」
「……嫌じゃ」
「なぜですの!?」
「……面倒くさいからじゃ」
「国家の威信に関わるのですよ!?」
「……国家の威信よりも、今は川の堤防のほうが心配なんじゃが」
「堤防など後回しでよろしいでしょう!?」
「よくないわ!!」
国王陛下が、とうとう声を荒らげた。
「来月には雨季が来るんじゃぞ!? 堤防が決壊したら、何百人もの民が困るんじゃ!!」
「…………」
「それなのに、お前は朝からパンツ、パンツと……!」
「……で、ですが……」
「……なぁ、宰相」
「……はい、陛下」
「……この国、本当に大丈夫なんかのぉ?」
「……陛下がしっかりしていただければ、なんとか」
「……わし、頑張っとるよな?」
「……ええ。少なくとも、パンツの色で国家反逆罪を適用するよりは」
「…………」
な、なんですの、その言い方は!
まるで私が、国家を混乱させた元凶のようではありませんか!
……いえ。
確かに、少しばかり騒動があったことは認めますけれど。
ですが!
純白を守ることは、決して間違っていないはずですわ!
「……とにかく!」
私は扇子を広げ、毅然と言い放った。
「黒騎士など、私は認めません!」
「……別に、お前に認めてもらわんでもよいし」
「なっ!?」
「……国王じゃし、わし」
ぐっ……!
こ、この国王……!
ここに来て、身分を盾にするなんて!
なんと卑怯な……!
すると、国王陛下が何かを思い出したように顔を上げた。
「……そうじゃ。せっかくじゃから、本人にも聞いてみるかの」
「……本人?」
「うむ。黒騎士を呼んでまいれ」
国王陛下が近衛兵へ命じた。
そして、しばらくして。
「お呼びでしょうか、陛下」
執務室に、一人の騎士が姿を現した。
白騎士様だ。
……いえ。
今は、黒騎士様とお呼びするべきなのでしょうか。
しかし、その姿を見た私は思わず目を瞬かせた。
「……あら?」
白い鎧。
白い外套。
以前と何ら変わらない、純白の姿。
「……白騎士様?」
「おお、エレオノーラ。来ていたのか」
「……どういうことですの?」
「何がだ?」
「黒騎士になられたのでしょう?」
「ああ、そうだ」
「……なのに、なぜ鎧は白いままなのですか?」
「……別に、鎧まで黒くする必要はないだろう?」
「…………」
……え?
「……陛下?」
「……なんじゃ?」
「……黒騎士なのに、鎧は白くてよろしいのですか?」
「……よいぞ?」
「……なぜ?」
「……別に、法律で決めておらんし」
「…………」
私は、しばらく考え込んだ。
白い鎧。
黒い称号。
そして、黒いおパンツ。
…………。
……あら?
それでしたら……。
外見だけは、以前の白騎士様と何ら変わらないではありませんか!
……いえ!
ですが、それでは……!
「……白騎士様!」
「今は黒騎士だぞ」
「……黒騎士様!」
「なんだ?」
「なぜ、鎧だけは白いままなのですか!?」
黒騎士様は、少し考え込んだ。
そして、真剣な表情で答えた。
「……エレオノーラ」
「……はい」
「俺は、何者にも染まらない黒を信条としている」
「……存じております」
「だが、鎧まで黒くしてしまったら……」
「……しまったら?」
「……誰が白騎士だったと気づいてくれる?」
「…………」
「…………」
「……そこですの!?」
「大事なことだろう?」
「大事じゃありませんわ!!」
すると、国王陛下が横から口を挟んだ。
「……まぁ、鎧を新調する予算も惜しいしの」
「……陛下?」
「今は治水に金がかかるんじゃ」
「…………」
「……なんじゃ?」
「……そんなに治水が大事ですの?」
「大事に決まっとるじゃろうが!!」
ああ、もう!!
なんということでしょう!
この王国は、どうしてこうも黒いおパンツに寛容なのでしょうか!
私は深いため息をついた。
そんな私の様子を見て、黒騎士様が静かに微笑んだ。
「……まぁ、いいじゃないか。エレオノーラ」
「何がですの!?」
「俺は黒騎士になった。これでもう、誰にも咎められることなく黒いパンツを履ける」
「…………」
「お前も、これで安心だろう?」
「安心できるわけありませんでしょう!!」
「……なぜだ?」
「なぜって……!」
私は言葉に詰まった。
だって……。
確かに、この方は王都へ戻ってきてくださいました。
称号も復活しました。
外見も、以前と何ら変わりません。
……ですが。
黒なのです。
おパンツが、黒なのです!!
そんな私を見つめながら、黒騎士様は不敵に微笑んだ。
「……エレオノーラ」
「……なんですの?」
「俺は黒騎士になった」
「……ええ」
「ならば、お前もそろそろ黒を認めてくれてもいいんじゃないか?」
「…………」
「それとも……」
「……それとも?」
「お前の国家機密とやらを、先に明かしてもらうか?」
「…………っ!?」
なっ!?
こ、この男……!!
ま、まさか……!
私のピンクのおパンツの件を、まだ覚えていたなんて!!
……いえ、知られてはいないはずです。
ですが、これ以上追及されれば、いつ秘密が露見するかわかったものではありません。
「……なぁ、宰相」
「……はい、陛下」
「……また始まったぞ」
「……そうですね」
「……わし、治水の仕事に戻ってよいか?」
「……どうぞ。私も書類を整理してまいります」
「お待ちなさい!!」
「……なんじゃ?」
「まだ話は終わっておりませんわ!!」
「わしの仕事はいつ終わるんじゃぁぁぁ!!」
国王陛下の悲痛な叫びが、執務室に響き渡った。
……まったく。
この国の未来が、心配でなりませんわ。
◇
「……ところで、エレオノーラ」
「今度はなんですの!?」
黒騎士様が、何やら考え込むように顎へ手を添えた。
「……パンツの色なんだがな」
「……はい?」
「もしかしたら、ピンクもいいかもしれん」
「…………」
…………。
「……は?」
今、この男は何と?
「いや、だからな」
黒騎士様は、さも当然のように続けた。
「だって、お前はピンクが好きだろう? お前に見られるなら、ピンクのパンツもいいかと思ってな」
「…………」
…………。
な。
なななな……!?
「……いいわけあるかぁ!?」
私は思わず叫んだ。
「まだ黒の方がマシだわ!! 女子の特権のピンクの下着って、おま……おま……!」
「……駄目か」
黒騎士様は、少し残念そうに肩を落とした。
「俺なら可愛いものを着こなせると思ったんだが」
「着こなさなくてよろしいでしょうが!!」
「そうか。似合うと思ったんだがな」
「何を根拠に!?」
「俺は顔がいいだろう?」
「……自分で言うな!!」
……ああ、もう!!
なんなんですの、この男は!!
黒いおパンツを履いているだけでも問題だというのに、今度はピンク!?
ピンクですわよ!?
あの可愛らしい色を、この男が!?
しかも、自分なら着こなせるなどと……!
…………。
……まぁ、確かに。
この方のお顔立ちは、非常に整っておりますけれど。
白騎士だった頃から、王都の女性たちに大変な人気がありましたし。
……い、いえ!
そういう問題ではありませんわ!!
「……しかし、エレオノーラ」
「なんですの!?」
「お前はピンクが好きなんだろう?」
「……っ!」
「ならば、俺がピンクを履けば喜んでくれると思ったんだが」
「…………」
なっ……。
な、なんということでしょう。
この方は……。
私を喜ばせようとして……?
…………。
い、いえ!!
だからといって、殿方がピンクのおパンツを履いていい理由にはなりません!!
「……なぁ、宰相」
「……はい、陛下」
「……なんか、話がややこしくなってきたのぉ」
「……ですね」
「……黒が駄目ならピンクというのは、どうなんじゃ?」
「……少なくとも、黒騎士殿は歩み寄ろうとしておられますね」
「……じゃよなぁ」
国王陛下は、私へ視線を向けた。
「……エレオノーラよ」
「なんですの!?」
「……お前、ピンクは好きなんじゃろ?」
「……ええ、まぁ……」
「……ならば、よいではないか」
「よくありませんわ!!」
「……なんでじゃ?」
「ピンクは女子の特権なのです!!」
「…………」
「…………」
国王陛下と宰相が顔を見合わせた。
「……なぁ、宰相」
「……はい、陛下」
「……白騎士は白でなければならんのじゃったな?」
「……はい」
「……黒騎士は黒でもよいんじゃな?」
「……はい」
「……では、男がピンクを履いてはならんという法律は?」
「……ございません」
「…………」
国王陛下は、再び私へ視線を向けた。
「……エレオノーラよ」
「……はい?」
「……今度は何の法律を持ち出すつもりじゃ?」
「…………」
…………。
なんということでしょう。
国王陛下が、私を法律を振りかざすだけの女だと思っているではありませんか!
「失礼な!! 私とて、法律だけで物事を判断しているわけではございません!!」
「……じゃあ、何で判断しておるんじゃ?」
「心の問題です!!」
「もう、その心をどうにかしてくれんか!?」
国王陛下が頭を抱えた。
すると、黒騎士様が静かに口を開いた。
「……まぁ、いいさ」
「……何がですの?」
「お前が嫌だと言うなら、ピンクはやめよう」
「……っ!」
ああ……。
ようやく理解してくださったのですね……!
「……ありがとうございます、黒騎士様」
「ああ。なら、黒のままでいいな?」
「…………」
…………。
「……白は?」
「嫌だ」
「……ピンクは?」
「お前が嫌だと言っただろう?」
「…………」
ぐっ……!
こ、この男……!
完全に逃げ道を塞いできましたわね!?
「……ところで、エレオノーラ」
「……なんですの?」
「先ほど、黒の方がマシだと言っていたな?」
「…………」
……あ。
「……なぁ、宰相」
「……はい、陛下」
「……今、黒の方がマシと言ったよな?」
「……確かに、そうおっしゃいましたね」
「……ついに黒を認めたということかの?」
「……大きな進歩ですね」
「な、何を勝手に解釈しているのですか!?」
私は慌てて扇子を広げた。
「黒を認めたわけではありません! ピンクよりは、という意味ですわ!」
「……じゃあ、黒でよいのでは?」
「よくありません!!」
「……なぁ、宰相」
「……はい、陛下」
「……わし、もう何が正解かわからん」
「……私もです」
まったく!
どうして、この方々はこうも極端なのでしょうか!
黒よりピンクが許せないからといって、黒を認めたことにはなりません!
……いえ。
もちろん、ピンクそのものは素晴らしい色なのです!
女の子が身につければ、可愛らしく、華やかで……。
……あぁ、もう!
考えれば考えるほど、わけがわからなくなってきましたわ!!
そんな私を見つめ、黒騎士様は満足げに微笑んだ。
「……それにしても、エレオノーラ」
「……なんですの?」
「お前がそこまで俺のパンツにこだわってくれるとはな」
「…………」
「愛されているようで、嬉しいぞ」
「……っ!?」
なっ……!?
こ、この……!
「誰がパンツを愛していると言いましたの!?」
「俺ではないのか?」
「…………」
…………。
あ。
…………。
私は思わず口を閉じた。
……この方は。
こういうことだけは、平然と口にするのです。
人がどれほど悩んでいるのかも知らずに。
黒だの、白だの、しまいにはピンクだの……。
けれども。
私がこうして怒鳴っている間も、この方は楽しそうに笑っている。
その顔を見ていると、なぜだか胸の奥が温かくなるのです。
……まったく。
本当に、困った方ですわ。
「……エレオノーラ?」
「……なんですの?」
「顔が赤いぞ?」
「お黙りなさい!!」
私は勢いよく扇子を広げた。
ああ、もう!!
この男には、一生勝てる気がしませんわ!!




