第九話 誰に仕える
三人の貴族は部屋へ入ると、セラへ礼をした。
続いて皇帝へ頭を下げる。
皇帝への礼の方が深かった。
貴族「皇帝陛下。お時間を賜りましたこと、恐悦に存じます」
先頭に立つのは、五十歳ほどの男だった。
即位式では、よく通る声でセラへの忠誠を誓っていた。
城内では、既に「皇帝陛下」という呼び方が使われ始めている。
本人が皇帝と名乗り、誰もそれを否定できなかったからだ。
ただし、アシュヴァルがアルディアの統治者になったわけではない。
国王の上に新たな地位を設けた記録も、彼に国政を任せた文書もなかった。
セラは立ち上がるべきか迷った。
自分への面会ではない。
しかし、ここは自分の執務室だった。
皇帝「座っておれ。貴様の仕事は終わったのか」
セラ「……まだです」
皇帝「ならば、続けよ」
貴族の笑顔が僅かに強張った。
セラがいることを歓迎してはいないらしい。
それでも何も言わず、皇帝へ向き直った。
皇帝「何用だ」
貴族「我々は、今後の国の行く末を深く憂慮しております。突然の代替わりに戸惑う者は少なくございません。地方への布告も、諸国への説明も、これからと伺っております」
そのとおりだった。
セラは帳簿を開いたまま、話を聞いていた。
貴族「このようなときこそ、確かな力の下に人が集うべきかと。我々は新王ではなく、皇帝陛下にこそ忠義を捧げたく存じます」
エーベルトが目を伏せた。
侍従長は扉の脇で動かない。
つい先程、自分へ忠誠を誓った男だった。
その男が今、目の前で別の相手へ仕えたいと言っている。
セラは貴族を見たが、相手は一度もこちらを見なかった。
皇帝「ほう。では、何を捧げる」
貴族「我らの領地、兵、財。そして、この身の全てを」
皇帝「それは元より我のものであろう?」
男の口が止まった。
皇帝「我のものを並べ、我に何を売り込んでおる」
貴族「売り込むなど、滅相もございません。我々はただ、新王の下ではなく、陛下の御威光の下で、お役に立ちたく――」
皇帝「貴様が誰の下に立ちたいかなど、我は尋ねておらぬ」
三人は黙った。
セラは皇帝の次の言葉を待った。
自分に従えと命じるのだろうか。
それとも、無礼だと殺すのだろうか。
どちらも、この男ならできる。
皇帝「忠義を捧げると申したな。我から何も得られずともか?」
貴族「も、もちろんにございます」
皇帝「爵位も庇護も、あの女を退ける約束もない。それでもか?」
今度は、すぐに返事がなかった。
皇帝の名を使うこと。
その力に守られること。
あるいは、セラを王位から退けること。
彼らは何かを期待して来たのだと、セラにも分かった。
貴族「……陛下のお役に立つ機会を賜れれば」
皇帝「ほう?」
男は口を閉じた。
後ろの二人も顔を伏せている。
皇帝「よい。忠義は受け取ってやろう」
貴族「ありがたき――」
皇帝「ただし、貴様らの算段まで引き受けた覚えはない。我が傍らに侍ることも、我の名を掲げることも許しておらぬ。忠義を申した。それだけだ」
三人は、もう笑っていなかった。
アシュヴァルは術式の写しを取った。
貴族たちは深く頭を下げ、セラにも礼をして退出した。
*
セラ「……受け取るのですね」
皇帝「何をだ」
セラ「忠義です。あの方々の」
皇帝「差し出されたのでな」
セラ「あれは、私を退けるための――」
皇帝「知っておる」
セラは言葉を止めた。
この男が、見抜いていないはずはなかった。
皇帝「我が、貴様を庇うとでも思ったか?」
セラ「……違います。彼らは、あなたの名を都合よく使おうとしたのです」
皇帝「ゆえに、言葉のとおり受け取ってやった。何も得られずとも捧げると、自ら申したであろう」
確かに、男はそう言った。
爵位も庇護も、セラを退ける約束もなくても、と。
セラ「彼らが、本当にそうすると思いますか?」
皇帝「さあな。それを見せるのは、あれらの役目だ」
セラは閉じた扉を見た。
即位式でも、守る、仕える、従うという言葉を受け取った。
だが、その者たちが実際に何をするかは、まだ分からない。
皇帝「しかし、聞いておったか?あれらは貴様には仕えたくないそうだ」
—―皇帝は鼻で笑った。
セラ「聞こえていました」
皇帝「では、どうする」
腹は立っていた。
恥ずかしくもあった。
だが、そのまま何かを命じれば、後で困ることになる。
セラは帳簿を引き寄せ、エーベルトへ向き直った。
セラ「先程の続きをお願いします」
財官「……どこから、ご説明いたしましょう」
印をつけた免税の項目を指した。
そこに記されているのは、今、皇帝へ忠義を捧げた男の家だった。
セラ「ここです。当時の約束と、今も続いている負担を教えてください」
怒っているから調べるのではない。
面会の前から、確認すると決めていたことだ。
セラは説明を書き留めるため、ペンを取った。
*
日が傾く頃、セラは礼装を着替え、イレーネと共に城の裏庭を歩いていた。
短い間だけでも外の空気を吸いたかった。
厩のそばを通ると、年配の厩番が帽子を取った。
厩番「へ、陛下」
セラ「何か?」
厩番「お給金のことで。その、お手配くださったと聞きまして」
セラ「支払いは、先王陛下のご承認です」
厩番「ですが、陛下が急がせてくださったと。助かりました。家の者に、いつだと聞かれておりまして」
男が頭を下げた。
自分の金ではない。
自分一人で支払ったわけでもなかった。
それでも、この男の役には立ったのだ。
セラ「……いえ、こちらこそ、お待たせしました」
厩番は顔を上げ、ぎこちなく笑った。
セラも笑い返し、仕事へ戻る男を見送った。
数歩進んだところで、白い外套が見えた。
アシュヴァルが庭に立っている。
セラ「……何か?」
皇帝「何も」
問い直すより先に城の扉が開き、侍従が早足で近づいてきた。
侍従「陛下。国境の関所より、急ぎの報告がございます!」
セラ「何があったのですか」
侍従「隣国側にて、通行の取り決めが一時停止されております」
セラ「……理由は?」
侍従「王位継承の確認が取れないため、と。荷を留め置かれた商人たちが、王国としての対応を求めております」
セラは差し出された書状を開いた。
即位を認めないとは書いていない。
敵意を示す言葉もなかった。
ただ、確認が済むまで通行を認めないと記されていた。
その間にも、人と馬には食事が要る。
売るはずの品は関所で待たされ、届け先には荷が届かない。
セラ「これは、いつからですか?」
侍従「昨日の朝より続いております」
即位式より前だった。
セラが城で式の手順を覚えていた間に、国境では荷車が止められていた。
皇帝「どうやら、貴様を認めておらぬ者は、ほかにもおるらしいな」
セラは書状を畳んだ。
礼装を着て、冠を戴き、臣下の誓約を受けた。
それでも国境の向こうでは、自分の名で荷車一台を通すこともできない。
セラ「執務室へ戻ります」
侍従が頷いた。
アシュヴァルも、当然のようについてくる。
この男が命じれば、関所の兵も隣国の王も従うのかもしれない。
だが、皇帝は書状へ手を伸ばさなかった。
セラも差し出さず侍従へ尋ねた。
セラ「この取り決めに詳しい方を呼んでください。止められている荷と待たされている人数も知りたいです」
侍従「承知いたしました」
城内へ入ると、窓の外で鐘が鳴った。
新王の即位を祝う鐘だった。




