第十話 止められた荷
執務室へ戻ったセラは、関所からの書状を机へ置いた。
隣国側が通行の取り決めを停止し、商隊が足止めされている。
理由は、アルディアの王位継承について正式な確認が取れていないためだという。
セラ「即位の知らせは、届いているのですよね」
侍長「代替わりの知らせは、三日前に出しております。使節は本日の式にも参列しておりましたが、本国への報告には日数がかかります」
セラ「ですが、荷が止められたのは昨日の朝です。式が終わる前から止めていたのでしょう?」
侍長「はい。通常の継承で同じ措置が取られたことがあるか、過去の記録を調べさせております」
通常の継承。
自分がそうでないことは分かっていた。
王家の血も引かず、王になる準備もしていない。
だが、そのために商人の荷まで止められるとは思わなかった。
窓際では、アシュヴァルが黒い椅子に座っていた。
庭からついてきたまま、召喚術式の写しを読んでいる。
セラ「こうなることも、お考えだったのですか」
皇帝「我が言えば、皆が喜んで貴様へ跪くと思うておったか」
セラ「思っていません。ですが、少しくらい手を貸そうとは――」
皇帝「荷を止めておる国へ申せ。我に言って何とする」
セラ「あなたが王をやれと言ったんでしょうが!」
侍従長が顔を上げた。
アシュヴァルは声を上げて笑った。
皇帝「うむ。よく覚えておるではないか」
セラ「忘れられるわけないでしょう!」
皇帝「では働け。貴様の臣下を待たせるでない」
セラは言い返すのをやめた。
この男と争っている間も、関所では荷が止まっている。
セラ「現地の話を聞きたいです。戻ってきた商人がいれば、会えるようにしてください」
侍長「手配いたします」
*
商人は、日が落ちる前に王城へ通された。
上着は整えていたが、靴には乾いた泥が残っている。
セラへ即位の祝いを述べたものの、顔には疲れが見えた。
セラ「挨拶は結構です。関所で何が起きているのか、聞かせてください」
商人「昨日の朝から、向こうの関所が通行証を受け付けなくなりまして。こちらの証文と荷の目録だけでは通せぬと、別の許可を求められました」
セラ「どのような許可ですか」
商人「それが、はっきりせんのです。本国の指示だと言うばかりで、誰に願い出ればよいのか、いつ通れるのかも分かりません」
セラは手元の書状へ書き足した。
通行再開の条件も、期限も示されていない。
セラ「荷は何を?」
商人「私のところは染料と織物を。ほかには油、酒、生ものを運んでいる者もおります。荷が動かなくても、馬の餌代も、御者や護衛への支払いもかかります」
男は一度ためらってから、顔を上げた。
商人「恐れながら、私どもには王がどなたであろうと、まず荷が通ることが大事にございます」
侍従長が男を見た。
商人は慌てて言葉を継ぐ。
商人「いえ、ご即位に異を唱えるつもりでは――」
セラ「分かっています。続けてください」
商人「……取引先には、日を約束しております。遅れれば、次は別の商会へ頼むと言われるかもしれません。今の損だけで済む話ではないのです」
謝れば済むことではなかった。
この男は、荷を通す方法を求めて来ている。
セラ「通るための条件などは、本当に何も言われなかったのですか」
商人「一つだけ。向こうの商会に保証してもらえば、話が早いかもしれぬと」
商人が告げた名を、侍従長が書き留めた。
セラ「そこへ頼めるのですか」
商人「頼めぬことはないでしょう。ですが、ただではございますまい。保証のために金を払い、利益が残るかどうか……」
セラは商会の名を見た。
通行証は認められないのに、その商会の保証なら通れる可能性がある。
王位継承の確認と、何の関係があるのだろう。
セラ「お話は分かりました。ほかに待たされている方々のことも、分かる範囲で教えてください」
*
隣国の駐在使節は、その日のうちに来た。
即位式で見た男だった。
セラへ丁重に礼をし、斜め後ろの皇帝にも頭を下げる。
セラ「国境の通行について伺いたく、お呼びしました」
使節「ご心配はもっともでございます。ただ、今回の措置は陛下の即位を否定するものではございません。新たな統治の下で、従来の取り決めが維持されるか、確認が必要なのです」
セラ「取り決めは維持します。こちらから変更を申し入れたこともありません。それで、荷は通りますか」
使節「陛下のお言葉として本国へ伝えますが、判断については私からは何も」
セラ「いつ返答が来るのですか」
使節「可能な限り速やかに」
目の前の男と話しているのに、肝心な答えは全て本国にある。
待つ間に増える商人の負担を、誰が引き受けるのか。
セラ「先王の代に結んだ取り決めは、王が代わるたびに止められるものなのですか」
使節「通常であれば、継承の手続きと共に確認されます。しかし、このたびは事情が異なりますゆえ」
セラ「何が異なるのか、説明してください」
使節は一度、皇帝を見た。
アシュヴァルは口を挟まず、二人の話を聞いていた。
使節「貴国の有力諸侯の間でも、今回の継承には疑義があると伺っております」
セラ「……誰からですか」
使節「外交上、申し上げることはできません」
セラ「では、どのような疑義なのですか」
使節「詳しい内容についても、差し控えさせていただきます」
セラ「相手も内容も知らされず、私は何を説明すればよいのですか」
使節「陛下のご不快は、理解いたします」
セラは言い返しかけ、止めた。
腹は立っていた。
だが、自分が怒っていることと、商人の荷を通すことは別だ。
皇帝「貴様を王と認めるか、随分と大勢で相談しておるらしいな」
セラが顔を向けるより先に、使節が口を開いた。
使節「恐れながら、一点伺ってもよろしいでしょうか」
問いはセラへ向けられていた。
使節「こちらの御方は、今後、貴国の軍事や外交へ関与されるのでしょうか」
セラは答えに迷った。
皇帝に何を頼めるのか、相手も知ろうとしている。
関与すると答えれば、この男の態度は変わるかもしれない。
だが、セラに約束できることではなかった。
皇帝「我の用向きを、そこの女に尋ねて何とする」
使節「失礼いたしました。では、皇帝陛下に――」
皇帝「我は貴様へ話を求めておらぬ。そこの者と話しておったのであろう。続けよ」
使節は一礼し、セラへ向き直った。
皇帝から答えを得ることは諦めたらしい。
セラ「通行再開を早める方法は、ないのでしょうか」
使節「新たな友好を示す合意があれば、本国も確認を進めやすくなるかと」
セラ「合意とは?」
使節「関税と商会の通行保証について、以前より協議していた件がございます」
使節は懐から書状を出した。
既に用意してあったものだった。
関税の引き下げ。
特定の商会を介した通行保証。
荷の確認手続きを簡略にする取り決め。
その中に、商人から聞いた商会の名があった。
セラ「先王陛下は、これを受け入れていたのですか」
使節「協議を続けておりました」
セラ「では、合意したものではないのですね」
使節「はい。陛下にも、ご検討いただければと存じます」
荷を止め、その後で望んでいた条件を出す。
受け入れれば早く通せると、そう言っているのだ。
セラ「本日中の返答はできません。先王との交渉記録を確認します」
使節「無論でございます。十分にご検討ください」
使節は急かさなかった。
待つ間に困るのは、こちらだった。
*
使節が退出すると、セラは二枚の書状を並べた。
関所からの報告と、新たな条件を記した提案。
どちらを読んでも、荷をいつ通すかは書かれていない。
セラ「先王陛下との交渉記録を集めてください。それから、この商会が国内の誰と取引しているのかも」
侍長「承知いたしました」
セラ「関所で待たされている商隊の数と、荷の種類も確認してください。傷みやすい品や、宿と飼料が足りているかも知りたいです」
侍従長が書き留める。
セラは地図を広げてもらい、王都から国境までの道を確かめた。
街道警備で通ったことのある道が、途中まで続いていた。
皇帝「今度は、何を考えておる」
セラ「関所へ行きます」
侍従長が顔を上げた。
侍長「陛下が、直接でございますか」
セラ「ここで返事を待つだけでは、いつ荷が動くか分かりません。現地の役人と商人に会って、何が起きているのか確かめたいです」
侍長「でしたら、まず騎士団長とご相談を。道中の警護も整えねばなりません」
セラ「はい。呼んでください。交渉の記録も、出発までに読めるようお願いします」
アシュヴァルが地図を見た。
皇帝「使いを待たず、己で出向くか」
セラ「待っている人たちがいますから」
王位を認めるかどうかの話を、商人に解決させるわけにはいかない。
少なくとも、現地へ行けば彼らの話を直接聞ける。
止めている側にも、説明を求められる。
セラは関所の位置を確かめ、侍従長へ向き直った。
セラ「馬の用意もお願いします」
*
王都を離れた先王エルドリック三世は、夕刻、用意された宿所へ入った。
踏み台へ足を置くと、召喚の日に打ちつけた膝が痛んだ。
部屋は清潔で、暖炉には火が入っていた。
卓には水と酒がある。
不自由のないように整えられていることが、かえって腹立たしかった。
旧臣「陛下」
王都から追ってきた旧臣が、部屋へ入って一礼した。
まだ、「陛下」そう呼んでくれる者はいる。
エルドリックは椅子へ座った。
先王「王都は、どうなっている?」
旧臣「即位の儀は、滞りなく完了しているようです」
先王「……あの女が、玉座に座ったか」
旧臣「はい」
近衛へ取り立てた頃のセラを思い出した。
緊張で固くなり、褒賞を告げても先に部下の功績を挙げる女だった。
悪い騎士ではなかった。
だから側へ置いた。
旧臣「現在は隣国との通行の件で、陛下の交渉記録を取り寄せているとのことです」
先王「交渉の記録を?」
旧臣「はい。財務官らへ経緯を確かめていると聞いております」
ヴァルゼン王国は、代替わりを待っていたらしい。
――やるだろうと思った。
あの国は機会を待っていた。
何度、同じ要求を形を変えて出してきたことか。
セラには分からないだろう。
剣を握って立っていれば済む相手ではない。
王座は座るだけの椅子ではないのだ。
先王「今になって記録を読むのか。いつも隣についていただろうに」
旧臣「陛下のご判断を、深く知ろうとしているのでしょう」
そんな言葉で、気持ちが和らぐものではなかった。
自分の国。
自分の玉座。
自分の玉座へ座った女が、今度は自分の残した記録を使っている。
腹立たしいことではあるが、
――王になれと、従えと、それを命じられたのは陛下でございます。
あの女にそう言われたら、何も答えられない。
旧臣「王都には、今も陛下を案じる者がおります。王家の方々も、このたびのことを受け入れてはおられません。お戻りを望む者は、少なくございません」
エルドリックは暖炉を見ていた。
火の向こうに玉座が浮かぶ。
そこに座る女の姿を、彼はまだ一度も見ていなかった。
その姿を思い浮かべようとすると必ず別の男が現れた。
白銀の髪。銀の瞳。
己の玉座へ、初めからそうであったかのように腰を下ろした男。
エルドリックは膝の上で手を握った。
あれは、何なのだ。
勇者ではない。
それだけは、もう分かっている。
では、皇帝とは?
どこの国を治め、どれほどの兵を持ち、何を求めてこの世界へ来た。
考えるたび、最後の問いで思考が止まった。
――来たのではない。自分が呼んだのだ。
先王「あの男は、今も城にいるのか?」
旧臣「はい。召喚者は依然、セラ・ヴァルドの側に度々姿を現すと聞いております」
先王「そこで奴は何をしている?」
旧臣「それが政務を執っている様子はなく、誰を通じてあの男に話をすべきかも、未だ定まっておらぬようです。もしかすると、女騎士を王座へ据え背後から国を支配するつもりなのかもしれませぬ」
先王「違う!」
返事は思ったより速く出た。
旧臣が顔を上げる。
王を操り、官吏を掌握し、軍を従える。
面倒な仕事を他人へ任せ、実権だけを握る者は歴史に幾らでもいた。
だが、あの男は違った。
誰を従わせるために、自分以外の誰かの名を借りる必要がない。
先王「……遊んでいるのだ。私の国で――」
口にした途端、胸の内で煮えていたものがはっきりと形を取った。
旧臣は黙った。
先王「セラを王に据えれば、誰が怒り、誰が従い、どこから崩れるか。奴はそれを眺めている」
笑い声を覚えている。
――励めよ、新王。
あの愉快そうな声を、覚えている。
自分の治世も、セラの忠義も、臣下たちの恐怖も、皇帝には面白い見世物だったのだろう。
先王「許されると思うか?」
旧臣「ゆえにこそ、陛下のお戻りを――」
先王「戻って、どうする?」
旧臣の言葉が止まった。
先王「セラを退け、王家の者を立てる。よかろう。その後、あの男へ何と申す?」
返答はなかった。
先王「兵を集めるか?王都の守備隊、諸侯の私兵、辺境へ置いた部隊まで呼び戻す。そして国中の兵を揃え、王城を囲むか?」
言いながら、その光景を思い描いた。
槍の穂先が並び、弓兵が弦を引き、魔術師が術を備え、騎馬が門へ向かう。
王として、何度も地図の上で動かしてきたものだった。
勝つために何が要るか。
どこへ兵を置きどこを捨てるか。
その程度の判断ができぬまま、何十年も国を治めてきたわけではない。
人も見てきた。忠臣を装う者。
誠実ではあっても、任せてはならぬ者。
口数は少なくとも、務めを違えぬ者。
見誤ったことはある。
それでも、自分の目が何の役にも立たぬと思ったことはなかった。
だからこそ、分かる。
あの男を前にしては、兵の数を数えること自体が、何かを間違えている。
ベルントの死を思い出した。
長く宮廷へ仕えた伯爵だった。
家の歴史があり、領地があり、彼の言葉で動く者たちがいた。
その全てが、あの一瞬には何の意味も持たなかった。
男は、指一本動かしていなかった。
殺すと告げることさえ、しなかった。
ただ、いたずらにベルントが死んだ。
その後で全員が床へ伏したとき、エルドリック三世は初めて自分が何へ命令したのかを悟りかけた。
――正体が分かったのではない。
分からぬまま、逆らってはならぬと知った。
降伏が早すぎた。命惜しさに、王位を捨てたのか?
そう言う者もいるだろう。
では、あの床へ伏してみればよい。
玉座から引きずり下ろされ、己の指一本、思うように動かせなくなるまで。
あの銀色の瞳で、返答を待たれてみればよい。
何を差し出せるかと問われ、国も財も名誉も、口へ出すことすら愚かだと悟るまで。
先王「……国中では、足りぬ」
旧臣「では、他国と手を結ぶことも視野に――」
先王「足りぬ!」
声が震えた。
怒りだけではないと知られたくなくて、エルドリックは卓の下へ手を下ろした。
先王「諸国が兵を一つにまとめ、名高い英雄を全て集めたとしても……」
そんなことは実際には起こらない。
何年も交渉しようやく一つの条約を結ぶ。
それが人の国だ。
だが、仮にできたとして――。
大陸の王たちが剣を揃え、神殿の術者が祈りを重ね、名高い英雄の全てが集まったとして。
あの男が、玉座から立ち上がるだろうか。
玉座の背から、身を起こすことさえするだろうか。
エルドリック三世には、その姿を想像できなかった。
浮かぶのは、脚を組んだまま笑う顔だけだった。
先王「世界が束になったところで、あれを討てるとは思えぬ」
旧臣は反論しなかった。
王位を奪われ、国を弄ばれている。腹の底が焼けるほど憎かった。
だが、憎い相手へ勝てると信じ込むほど若くはなかった。
旧臣「……では、我々は――」
王都では、自分を戻すために動く者がいるのだろう。
王家を守るためか、自分の地位を取り戻すためか。
その者たちは、セラだけを見ているのだろう。
若い女騎士。家格も低く統治の経験もない。
――退けやすそうな新王を。
先王「動く前に確かめよ。あの男が何を望み、何を許すのか。何も分からぬまま、事を起こすな!」
旧臣が深く頭を下げた。
エルドリックは窓の外へ目を向ける。
暗闇の向こうに王都がある。
自分の城がある。
――そこでは今夜も、あの男が笑っている。




