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第二話 王命を待つ者たち


 最初に聞こえたのは、誰かが嘔吐する音だった。

柱の陰で若い侍従が口元を押さえ、隣の男がその背を支えている。

床には、まだベルント伯爵の身体が横たわっていた。

貴族たちは互いに距離を取り、誰も遺体へ近づこうとしない。


 戦場でも人は死ぬ。

矢を受けた者も、馬に踏まれた者も見てきた。

だが、ここは王城の謁見の間だ。

朝には侍従が床を磨き、燭台の煤まで拭っていた場所に、今は誰も運び出せない遺体がある。


皇帝「いつまで突っ立っておる」


 セラの肩が跳ねた。

アシュヴァルは長い脚を組み、玉座の肘掛けに片腕を預けていた。


皇帝「貴様が王であろう?」


 広間の視線が集まった。

セラは答えられず、無意識に騎士団長を見る。


 近衛の務めなら分かる。

王の進む先を確かめ、危険があれば排除し、命令が下れば従う。

配置へ戻れ、扉を固めろ、陛下に随行しろ。

今までは団長が指示を出してくれた。

だが、目が合っても何も言われなかった。

彼もまた、セラの言葉を待っていた。


セラ「……伯爵を、お運びしてください」


 数人の侍従が顔を上げた。

しかし動かず、セラから玉座へと目を移す。


皇帝「我の顔に、何か書いてあるか」

侍従「い、いえ、その……」

皇帝「命じた者に答えよ。鬱陶しい」


 侍従たちは慌てて頭を下げた。

その一人がセラへ向き直る。


侍従「お運びしても、よろしいのでしょうか」

セラ「…はい。丁重に。ご家族への知らせも……」


 そこで言葉が止まった。

誰が、何と伝えるのだろう。

召喚された男を咎めたため、殺されたと。

その男が王を退け、自分を王にしたと。


団長 「侍従長。まずは別室へお移しせよ。ご遺族への通知は、その後だ」

侍従長「承知いたしました」


 団長はセラへ軽く一礼した。


団長「…陛下。それでよろしいか?」


 一瞬、王を見そうになった。

聞かれているのは自分だと気づき、セラは頷く。


セラ「……はい。お願いします」


 侍従たちが動き始めた。

魔術師が倒れた仲間を助け起こし、騎士が扉の前へ移る。

貴族たちは声を潜め、隣の者と何かを話していた。


 セラはエルドリック三世へ向き直った。

彼は階段の下に立ち、足元の王冠を見つめていた。

拾おうとはしなかった。


セラ「…陛下」


 玉座で皇帝が笑った。

前王の頬が僅かに引きつり、セラは言葉を止める。


セラ「……まずは、控えの間でお身体を休めてください」


 前王は彼女を見た。

セラはその視線を受け止めたまま、立ち尽くす。

自分から望んだのではない。

そう言いたかったが、言ったところで何も戻りはしなかった。


 やがて前王は顔を背けた。

侍従長がそばへ寄り、低い声で何かを告げる。

二人が広間を出ていくまで、セラは呼び止める言葉を見つけられなかった。


     *


 別の控えの間へ通されてからも、セラは椅子に座れずにいた。

机には水差しと三つの杯が置かれている。

窓際には騎士団長が立ち、その向かいで宮廷魔術師長が杖を支えていた。

年老いた彼女の指は、まだ小さく震えている。


団長「まず、確認する。なぜ、あの男には勝てぬと判断した」

セラ「……団長も、ご覧になったでしょう」

団長「伯爵が殺されるより前の話だ。お前は召喚が終わった時点で、既に様子がおかしかった。〈危険察知〉か」

セラ「…はい」

魔術師長「そなた、そのスキルを持っておったのか。等級は?」

セラ「…最後の鑑定では、中位と」


 魔術師長は考え込んだ。

団長はセラから目を離さない。


団長「…何を感じた」

セラ「……どこへ逃げても、意味がないと。あの方が私を殺すと決めたら、扉の外でも、城の外でも同じだと感じました」

魔術師長「そこまで分かるスキルではなかろう」

セラ「…承知しています」


 〈危険察知〉は相手の強さを数値で示す力ではない。

危険の正体を自分が読み違えることもある。

経験の浅い頃、森で警告を受け、魔獣がいると思って剣を抜いた。

実際にあったのは、足元に隠された古い落とし穴だった。


セラ「ですが、あれは……」


 言葉が続かなかった。

あの冷たさを、どう説明すればよいのか分からない。


魔術師長「お前が感じたことを、そのまま事実と決めつけることはできぬ。じゃが、ベルント伯は死んだ。近衛も我らも、何一つできぬまま床へ伏した。それも事実じゃ」

団長「未知のスキルか」

魔術師長「少なくとも、わしはあのような力を知らん」

団長「勇者固有の力という可能性は?」

魔術師長「古い記録には、召喚された者が、この世界では得られぬ力を授かった例もある。じゃが、今回もそうなのかは分からぬ」


 団長はしばらく考え、二人へ告げた。


団長「…正体が分からぬ以上、兵力でどうにかしようとは考えん。刺激を避けるよう、城内にも徹底させる」

魔術師長「それから、鑑定じゃな。応じるかどうかは別として、力の性質だけでも――」


皇帝「何を量るつもりだ」


 セラは振り向いた。

いつの間にか扉が開き、アシュヴァルが立っていた。

その肩越しに、廊下を守る近衛の青ざめた顔が見えた。


セラ「……いつから、そこに」

皇帝「貴様らが、我をどう扱うか相談しておった辺りからだ」


 ほとんど最初からではないか。

セラは口に出しかけた言葉を飲み込んだ。


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