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第十九話 剣聖の警告


 クラウス・ラゼルが王宮へ戻ったとき、ベルトラン二世はまだ執務の間にいた。

机にはアルディアの地図が広げられ、向かいにダリウス・ヴァルケン将軍が立っている。


 ダリウスは、入ってきた剣聖を見た。

疲れているのとも、戦場から戻ったときとも違う。

普段は落ち着いている青年の、見たことのない顔だった。


国王「どうであった」

剣聖「先に、申し上げておかねばならぬことがございます」

国王「聞こう」

剣聖「銀髪の男には、手を出してはなりません」

国王「それは先ほども聞いた。問題は、あの男が戦に加わるかどうかだ」

剣聖「いえ、その認識では足りません」


 クラウスは将軍を見た。

声を強めたわけではなかったが、ダリウスは黙っていた。

この男が、根拠もなく同じ警告を重ねるとは思えなかった。


剣聖「陛下。あれを、人の強さを量る尺度に置いてはなりません」

国王「……何だと?」

剣聖「神そのものが、人の姿を取って現れた。そのようにお考えください」


 国王はクラウスを見つめた。

風の大精霊の加護を受けた、歴代最強の剣聖。

その男が、神と呼んだ。


国王「滞空の術だけで、そう申しているのではあるまいな」

剣聖「はい」

国王「何を見た」

剣聖「私の加護も、〈剣理〉も、何一つ捉えられぬまま、背後の椅子が潰れました」

将軍「背後を取られたのか」

剣聖「いいえ。男は私の目の前に座っていました」

将軍「術の起こりもわからなかったのか?」

剣聖「はい。何も分かりませんでした」


 クラウスは、見たことをそのまま告げた。


剣聖「私が剣を抜けるかどうかの問題ではありません。剣を抜くという行為が、何の役に立つのか。それすら見当がつかなかった」


 国王はしばらく黙っていた。


国王「お前が、そこまで言うか」

剣聖「他国にも知らせる必要がございます。暗殺、拘束、力を試すために兵を差し向けること。そのいずれも、決して行わぬようにと」

国王「他国にまでか?」

剣聖「はい。あの男を怒らせたとき、失われるものが、手を出した国だけで済むとは思えません」


 椅子が潰れるまで、何も分からなかった。

あれが人でも、建物でも、止める方法を思いつかない。

どこまでできるのか、その限界も見えていなかった。


剣聖「世界そのものを危うくするかもしれぬ存在です。その可能性を、私には否定できません」


 国王は杯を持ち上げたが、口をつけなかった。

ダリウスも、黙って聞いている。


国王「……では、女王には手を出せぬと?」

剣聖「男は、自分が女王の護衛だと考えること自体を、不敬としました」

国王「守るつもりはないと?」

剣聖「我らの争いごときに、なぜ自ら手を下す必要があるのか。そう申しておりました。それ以上の保証を求めたことが、私の過ちでした」


 国王はアルディアの地図へ目を落とした。

小さな国だが、街道と関所を押さえている。

先王は交易の条件を一つずつ確かめ、肝心なところでは譲らなかった。


 今、その王はいない。

代わりにいるのは、何も掌握できていない、近衛出身の女だった。


国王「かの男を、戦力として数えなくてよいというだけではないのか?」

剣聖「「いえ、敵も味方も関係なく、かの存在に対し深く関わるべきではありません」


 国王はゆっくり頷き、杯を置いた。


国王「分かった。かの男には触れるな。こちらがアルディアへ出す兵にも、そこは徹底させる」


国王は地図の脇から、一通の文書を引き寄せる。

そこにはオスヴァルトの名があった。


 即位後、アルディア王国はヴァルゼン王国の保護を受け入れる。

交易の取り決めを改め、安全保障について協議する。

まだ公にはされていない計画だった。


国王「だが、オスヴァルトには必ずアルディアを取り戻してもらう」


 クラウスは二人の顔を見た。

皇帝への警戒で止まった話が、再び動き始めている。


 銀髪の男は戦わない。

その言葉だけなら、誰にでも理解しやすい。


 —―だが、


 その男を怒らせてはならない。

こちらの言葉の重さを、今後の世界がどこまで保てるか。


クラウスは、王と将軍の顔を見た。

見届けなければならなかった。


――戦場で敵を斬ることとは、別の、人間の務めとして。



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