第五話「決戦」後編
膝が、地面から離れなかった。
頭の奥で、耳鳴りがしている。庄野の足音が、近づいてくる。
――ここまでか。
そう思いかけた時、ひとつの声が聞こえた。
――あの……ありがとうございました。
初めて会った日の、法子の声だった。
まっすぐな目で、自分なんかに頭を下げてくれた。
「……まだ、だ」
雅也は、地面に拳をついた。
「まだ、終わってねぇ」
ふらつきながら、立ち上がる。
庄野の目が、わずかに見開かれた。
庄野が、とどめの右ストレートを放った。
雅也は、体を独楽のように回転させた。
ローリングソバット。
回転の勢いを乗せた後ろ蹴りが、庄野の拳ごと胸板を迎え撃った。
庄野の巨体が、初めて後ろへ弾かれた。
庄野が体勢を立て直すより早く、雅也は紙一重で懐をすり抜け、その背後に回り込んだ。
腰に両腕を回し、渾身の力で持ち上げる。
ジャーマンスープレックス。
庄野の後頭部が、空き地の地面に叩きつけられた。
「……嘘でしょ」
千鶴が、呟いた。
雅也は荒い息をつきながら、庄野から離れた。
だが庄野は、ゆっくりと上体を起こした。口の端から血を流しながら、不敵に笑っている。
「やるじゃねぇか……ガキが」
その時。
空き地の外から、二つの排気音が近づいてきた。
KAWASAKIゼファーのヘッドライトが、空き地を照らし出す。
その後ろに、もう一台。
大木和也。そして、雨宮裕也だった。
「裕也……!? なんで、お前……神奈川に行ったんじゃ」
「相棒のピンチに、神奈川も渋谷もあるかよ」
裕也がバイクを降り、雅也の隣に並んだ。
大木は、庄野の前に立った。
「大木……てめぇ、何のつもりだ。掟を忘れたか」
「掟だ何だと、うるせぇんだよ、あんたは」
大木の声は、低く、重かった。
「仲間を駒としか思ってねぇ。そんなんだから、誰もついてこねぇんだよ」
庄野の顔から、笑みが消えた。
裕也が、雅也の背中を叩いた。
「思う存分やってやれ。見届け人になってやる」
雅也は、うなずいた。
脳裏に、路地裏で血まみれになって倒れていた三人の姿が浮かぶ。
「……これは、匡の分だ」
雅也の右足が、弧を描いた。
回し蹴りが、庄野の顔面を捉える。
「これは、優の分」
庄野の頭をつかみ、顔面に膝蹴りを叩き込む。
「これは――達也の分だ!」
雅也の右足が、高々と天へ振り上げられた。
かかと落とし。
振り下ろされたかかとが、庄野の脳天を打ち抜いた。
庄野の体が、前のめりに崩れ落ちた。
動かなかった。
二度と、立ち上がらなかった。
意識を取り戻した猪口が、上体を起こしてその光景を見ていた。
「……庄野まで、やっちまったよ」
雅也は、倒れた庄野の体を、長谷川と宍倉の足元へ蹴り飛ばした。
意識を取り戻したばかりの神童が、怯えた顔で後ずさる。
「連れて帰れ」
長谷川たちは、慌てて庄野を担ぎ上げ、夜の闇へ逃げていった。
空き地に、静けさが戻った。
雅也は、その場に座り込んだ。
大樹が駆け寄ってきて、雅也の頭を乱暴に抱え込んだ。
「お前……マジで……マジで……!」
「痛ぇよ、大樹」
法子が、泣きながら笑っていた。千鶴も、亜希子も。
東の空が、白み始めていた。
それから数日後。
雅也は、毎朝自然に学校へ来るようになっていた。
ある日の放課後。法子、千鶴、亜希子、大樹の四人が、参考書を抱えて雅也の机を取り囲んだ。
「このままじゃ、雅也くん、高校どこも受からないよ」
「勉強でも、ジャーマンぐらい決めてくれよな」
大樹が茶化し、千鶴が呆れたように言った。
「喧嘩は強いのに、勉強は全然ダメなんだから。……でも、めっちゃ凄かったよ。普通、中学生があんなことできる?」
「めっちゃカッコよかったよ~」
亜希子が同調し、法子が身を乗り出した。
「卒業して、一緒に高校生やりましょ。私、雅也くんが中卒なんてやだから!」
「……わかったよ」
雅也は観念して、参考書を開いた。
法子が英単語を、千鶴が数学を、亜希子がノートの書き方を教え、大樹も隣で問題集とにらめっこする。
問題が一つ解けるたびに、雅也の胸に小さな達成感が灯った。
どうしようもない喧嘩ばかりのワルだった自分を変えたのは、拳でも序列でもなかった。
この四人の、友達の存在だった。
(第六話へつづく)




