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先輩の俺から見ても、新人がいちばん怖い




真壁鉄平、31歳。宵帳に入って5年。


元刑事で、怪異が出るたびに悲鳴を上げる。


5年経っても怖い。

今日も怖いし、たぶん明日も怖い。


その真壁がいま一番怖いのは、入って1週間もたたないアルバイトだった。




「だから盛ってねえって」


宵帳本部の3階。

各室で共用の休憩所で、真壁は紙コップのコーヒーを握っていた。


自販機の前に第一調整室の若いのが2人。

奥のソファには同じ第一の古株が1人、新聞を広げている。


「木箱開けて『湿気っすね』でしょ?」

「盛ってる盛ってる」

「大工かよ」

「で、そのあと待ち人と契約?時給1万のバイトが?」

「契約って何払ったんすか。恐怖?」


「時間」


真壁が言うと、2人が顔を見合わせた。


「毎晩1時間、駅に通ってる」


噴き出した。


「デートじゃん!!」

「怪異と毎晩デートって」

「真壁さん、それ新人にいびられてんの真壁さんのほうじゃないすか」


笑い声が休憩所に響いた。


真壁は笑わなかった。


笑えるならとっくに笑っている。


「あとな。こないだの新宿の13階」

「出た、13階」

「あいつ、名乗った」


「は?」


自販機の前が静かになった。


「名乗って、帰ってきた」

「いやいやいや。13階で名乗ったら終わりでしょ。研修で最初に習うやつ」

「習ったな」

「じゃあ盛って――」

「俺は隣にいた」


若いのが口を閉じた。


「……目は閉じてたけどな」

「見てねえじゃん!!」


また笑いが起きた。

今度は少しだけ、さっきより小さかった。



真壁は紙コップを置いた。


刑事のころから、逃げ足だけは褒められた。


「お前ら、怖くない奴に会ったことあるか」

「……いや、まあ。度胸ある人なら」

「度胸じゃねえ。怖くない奴」


若いのが黙った。


「俺は2人知ってる。2人とも半年もたなかった」


紙コップの縁を指でなぞる。


「怖くない人間は、普通はすぐ死ぬんだよ」



「真壁」


ソファから声がした。


古株が新聞を畳んでいた。

白髪の角刈りに、灰色の作業ジャンパー。

第一調整室に25年いる人だ。

左手は薬指と小指がない。


「その報告書、見せろ」


真壁は記録課に出すつもりだったファイルを渡した。


古株は3枚を膝の上に並べた。

老眼鏡をかけて、備考の欄だけを指でたどっていく。


No.0412 備考:担当アルバイトに恐怖反応なし。

No.0413 備考:担当アルバイトに恐怖反応なし。

No.0414 備考:担当アルバイトが対象に氏名を開示。連れ去り不成立。


指が3枚目で止まった。


古株は老眼鏡を外した。

目頭を揉んで、もう一度かけた。


同じ行をもう一度たどる。


「……25年やってて」


古株がやっと口を開いた。


「名乗って戻った奴の報告書は、初めて読む」


「……え、マジのやつ?」

「だから盛ってねえって」



真壁のポケットでスマホが鳴った。


『烏丸室長』


「はい真壁」

「お疲れさまです。今夜のお仕事です」


いつもどおり明るい声だった。


「丙級。公衆電話ですね」

「丙。丙ですね室長」

「丙ですね。白洲くんと一緒に、2時過ぎに世田谷で」

「……白洲と」

「はい。白洲くんと」


電話が切れた。


古株が報告書を揃えて返してきた。


「真壁」

「はい」

「そいつ、死なせるなよ」


真壁は返事をしようとして、コーヒーがもう冷めているのに気づいた。


「……分かってますよ」




◇




2時18分。


世田谷の住宅街の端。


ジ、ジジ。


坂の途中の電話ボックスで、蛍光灯が鳴っていた。

緑の公衆電話が1台だけ残っている。

周りの家はみんな寝ている。


白洲は夜見坂の改札で拾って、そのまま車で来た。


「出た奴は3日寝込む」


真壁はボックスから10m離れた電柱の陰で、ファイルを読み上げた。


「2時22分に鳴る。出ると、死んだ人間の声がする。去年の2月にここで倒れた爺さんだ」

「はい」

「決まりごとは『先に切ってはいけない』。切ったら持ってかれる。だから出た奴はみんな最後まで聞いて、3日寝込む」

「長電話なんすね」

「そこじゃねえんだよ」


白洲はいつもの古いパーカーで、マスクを首に下げていた。

眠そうでもないし、怖そうでもない。


「今日は遅刻しなかったのか」

「10分前に着きました。マチさん、ちょっと嬉しそうでした」

「で、92分のほうは」

「まだ別途っす」

「別途ってなんなんだよ……」


白洲は首をかしげた。

本人も知らないらしい。


「真壁さん、10mでいいんですか」

「いい。俺はここ。これ以上は無理」

「了解です」


白洲が1人でボックスに入って、扉を閉めた。

蛍光灯の下で寝癖だけが白く光っている。


2時22分。


ジリリリリリリ。


「ひっ……無理無理無理」


真壁の肩が跳ねた。

古い黒電話みたいなベルが、寝ている住宅街に響く。


白洲は1回目のベルが鳴り終わる前に受話器を取った。


「おい待て」


早い。早すぎる。

もうちょっとこう、心の準備とか――


「はい、宵帳です。ご用件をどうぞ」


…………。


真壁は電柱に額をつけた。


営業電話の取り方だった。

バイト先で電話番をやらされた大学生の、あの声。


「なんで名乗るんだよ……」


この前それで13階が真っ暗になったのを、もう忘れたのか。


ボックスの中で白洲がうなずいている。

「はい」「はい」と口が動く。

空いたほうの手が、ポケットからボールペンを出した。


メモを取る気だ。


真壁は電柱の根元にしゃがみ込んだ。




◇




受話器が冷たかった。


ゴム手袋、持ってくればよかった。


「……もしもし」


おじいさんの声だった。

かすれていて、少し遠い。


「宵帳です。聞こえてます」

「よいとばり……?そんなとこに掛けた覚えはないが」

「たぶん、こっちが勝手に出ました。すいません」

「……そうか」


息を吸う音がした。


「娘にな。伝えてほしいことがあるんだ」

「はい。どうぞ」


「去年の2月だ。寒くてな」

「はい」

「娘に電話しようと思って、ここまで来た。家の電話は止めちまってたから」

「はい」

「10円玉入れたとこで、胸がな」


そこで少し黙った。


俺も黙っていた。


「家の台所に、床下の収納があるだろう」

「すいません。俺、お宅知らないです」

「……そうか。そうだな」


おじいさんは家の場所から教えてくれた。

坂を下りて3つ目の角。青い屋根。

床下の蓋を開けて、ぬか床の甕の奥。

板がもう1枚外れて、その下に四角い海苔の缶がある。


左手の甲にメモした。


「それを娘に。あいつの結婚式にな、行かなかったんだ」

「はい」

「悪かった、と。それだけ言ってくれ」


2時51分。


1回目が終わった。


おじいさんはしばらく黙って、それから言った。


「去年の2月だ。寒くてな」


2回目だ。


受話器の奥で、チャリン、と10円玉の落ちる音がした。

もう1回。

もう1回。

入れても入れても、どこかへ落ちていく音。


足元が冷たい。

見ると、ボックスの床に水が溜まりはじめていた。

靴の縁のところで、薄く凍っている。


2月の水だ、これ。


まあ、拭けば落ちるタイプだと思う。



清掃の現場にはたまに遺族さんがいる。


同じ話を何回もする人は多い。

3回目で順番が少し変わって、4回目で知らなかったことが1つ出てくる。

父さんは急かさなかった。

作業の手を止めて、ゴム手袋のまま最後まで聞いていた。


だから俺も急かさない。


切らないのが決まりごとだし。

まあ、切る理由もないし。



3回目。


「式場の前までは、行ったんだ」


新しいところが出た。


「背広がな、古くてな。入口のガラスに映ったら、どうにも。あいつに恥かかせると思って」

「帰ったんすか」

「……帰った」


3時24分。


4回目。


「ご祝儀もな、用意してたんだ。銀行で新札に替えてもらって」

「いくらっすか」

「3万」

「ちゃんとしてますね」

「……ちゃんとしてたら、行っとるわ」


それはそう。


3時40分。


ボックスの外を見た。


ガラスの外側に、背広の背中が貼りついていた。

古い型の背広だった。

こっちは向いていない。

肩のところだけ、霜で白い。


その向こうで、真壁さんが電柱の根元で膝を抱えていた。

寝てるのかと思ったら、目が開いていた。

見ているのは俺じゃなくて、ガラスの背中のほうだった。


軽く手を上げると、真壁さんは顔を伏せた。


5回目は短かった。


寒かったこと。

10円玉。

海苔の缶。

悪かった、と。


「……兄ちゃん」

「はい」

「わし、同じ話を何回した」

「5回っすね」

「……そうか」


笑った気がした。


「よう聞いてくれた」


受話器の向こうで、何かを置く音がした。


「ありがとう」


カチャン。


ツー、ツー、ツー。


向こうが切った。


4時2分。


受話器を戻した。

こっちからは1回も切ってないから、決まりごとは守れたと思う。


左手の甲がメモで真っ黒だった。

床の水は、いつの間にか引いていた。


ボックスを出ると、真壁さんが走ってきた。


「おい。だるくねえか。頭は。寒気は」

「特には」

「1時間40分だぞ。普通は5分で倒れんだぞ」

「左手、書くとこなくなりました」

「そこじゃねえんだよ……」




◇




朝7時。


坂を下りて3つ目の角に、青い屋根の家があった。


玄関の前に段ボールが積んである。

『遺品整理』のシール。

同業者だ。うちじゃない。


インターホンを押すと、軍手をした女の人が出てきた。

40代くらいで、髪を後ろでひとつにまとめている。

目の下に、片づけの途中の人のクマがある。


「……どちらさまですか」


真壁さんが名刺を出した。

表の名前のほうだ。


「宵帳生活環境調整機構の真壁と申します。坂の上の公衆電話の件で」

「公衆電話」


軍手の手が止まった。


「お父さんから、伝言を預かってます」


俺が言うと、女の人の顔がこっちを向いた。


「……は?」

「台所の床下収納です。ぬか床の甕の奥に、もう1枚板があって。そこに海苔の缶があるそうです」

「何言ってるんですか」

「四角い、贈答用の」


女の人は動かなかった。


「……父のぬか床のことなんて、誰も知らないはずなんですけど」

「はい。なので、お父さんからです」



台所は半分片づいていた。


床下の蓋を開ける。

ぬかの匂いが上がってきた。

甕を手前にずらすと、奥の板だけ色が新しかった。


「その板、たぶん釘じゃなくてはめ込みです。手前を押すと浮きます」

「……なんで分かるんですか」

「仕事で、床下はよく見るんで」


女の人が板を押した。


浮いた。


その下に海苔の缶があった。

四角くて、角が少し錆びている。


女の人が軍手を外した。

素手で蓋を開けた。


中には封筒が2つ入っていた。


1つは白い洋封筒だった。

結婚式の招待状。

返信のはがきが付いたままで、『ご出席』に丸がしてある。

切手も貼ってある。


出してないやつだ。


もう1つはのし袋。

金色の水引。

表に震えた字で『寿』と書いてあった。


女の人が中を覗いた。


新札が3枚。


「……来なかったくせに」


声が裏返った。


「来なかったくせに。なんで、こんな」


缶を持ったまま床に座り込んだ。


俺は少し待った。

清掃の現場なら、ここで手を止める。


「式場の前までは、行ったそうです」

「…………」

「背広が古くて、入口のガラスに映ったら、恥かかせると思って帰ったって」


女の人の肩が揺れた。


「悪かった、と。それだけ言ってくれって」

「……っ」

「5回言ってました」


女の人が顔を上げた。

泣きながら、少し笑っていた。


「……あの人、同じ話ばっかりするの」

「はい。5回聞きました」


真壁さんは台所の入口で、壁のほうを向いていた。

鼻をすする音がした。

たぶん花粉症ではない。


俺は頭を下げた。


「伝言、以上です」


玄関で、女の人が呼び止めた。


「あの。父は、まだあそこに」

「ちゃんと自分で電話切りました。たぶん、もういないです」


女の人は缶を胸に抱えて、深く頭を下げた。




◇




帰りに坂の上を通った。


電話ボックスの蛍光灯は消えていた。


「お前さ」


真壁さんが前を向いたまま言った。


「ああいうの、平気なのか」


少し考えた。


「平気っていうか、慣れてます」

「……慣れ」

「遺族さんの話聞くの、うちの仕事の半分くらいなんで」


真壁さんは何も言わなかった。


丙の手当で10万。

残り1,723万。


1限には、たぶん間に合う。




◇




こいつが怖い。


と、真壁鉄平は思った。


死なせるなよ、と言われたのを思い出す。


隣で白洲があくびをした。


……死なせねえよ。

怖いけど。




【宵帳 第三調整室 事案報告書 No.0415】

分類:丙

呼称:深夜の公衆電話

発生場所:世田谷区△△ 住宅街の公衆電話ボックス

担当:真壁鉄平(正職員)/白洲律(アルバイト)

経過:

2時22分、担当アルバイトが着信に応答。

対象(昨年2月に同所で死亡した男性の残留と推定)の通話に約1時間40分応じる。

対象は自ら通話を終了。決まりごとの違反なし。

同日7時、遺族宅にて伝言を伝達。遺品(缶1、内容物2点)を発見。

備考:担当アルバイトに恐怖反応なし。通話後の体調不良なし。

室長所見:(空欄)



同じ朝。

宵帳の内部チャットの、全室共通のチャンネルに書き込みが流れた。


『第三の新人、何者?』

『13階で名乗って帰ってきたってマジ?』

『盛ってるって聞いた』

『第一の者です。盛ってなかったです』

『待ち人と毎晩デートしてるらしい』


既読、42。


最後に1件だけ、第三調整室の室長から。


『辞めないでくれるといいですね』

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