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23時の宅配便が、毎晩「再配達」に来る




5月26日、22時。 宵帳 第三事務所。


事務所の蛍光灯が1本、細かく瞬いている。 切れかけだ。


「白洲くん、今日の事案です」


烏丸室長が、伝票を机の真ん中に押し出した。


「メゾン朝霧という古い賃貸マンションでして」


伝票の宛名が『メゾン朝霧 管理会社気付』になっている。


「毎晩、23時すぎに宅配便が来るそうです」


俺は伝票を手に取った。 宛先の印字がにじんでいる。


「顔が段ボールのように平らな配達員が来るそうです」


真壁さんが顔を上げた。


「は?平ら?」


「平らだそうです」


烏丸室長は笑顔のまま繰り返した。


「荷物を受け取った住人が、2人、いなくなっています」


真壁さんがスマホを伏せた。


「いつからだ」 「この2週間、毎晩です」


「それと白洲くん」 「はい」 「本部の封印記録室の件、まだ問い合わせ中です」 「はあ」


烏丸室長が、机の下から透明の袋をひとつ出した。 中に紙の束。 ご不在連絡票だ。 全部、同じ色。 同じ書式。


「断った住人の郵便受けに、毎晩1枚ずつ増えるそうです。今はもう、はみ出しています」


「受け取らなかったのに、不在票が入るんすか」 「ええ。本人は在宅していても、です」


「決まりごとです」


烏丸室長は笑顔のまま言った。


「夜の荷物に、自分の名前を書いてはいけません」


真壁さんが壁から背中を離した。


「は?荷物に名前って、宅配便なら書くだろ普通」 「ですから、受け取った住人は2人ともいなくなっています」


真壁さんが俺を見た。 俺は軍手を丸め直した。


「前例の記録、ありますか」 「ええ」


烏丸室長はうなずいた。


「古い記録に。処理欄には『荷台』と」


「……それだけかよ」


真壁さんが声を上げた。


「荷台かよ」


烏丸室長は湯呑みを机に置いた。 音が、かちんと鳴った。


「無理無理無理」


真壁さんが首を振る。


「顔が段ボールの配達員とか無理に決まってんだろ」


真壁さんが俺の机の上の書類の山を見た。


「お前、借金減ってきたら辞めんのか」 「辞表なら2枚目、書いてあります」


鞄から封筒を出した。 角が三日月形にかじられている。


真壁さんが封筒を指さした。


「……もう出す前から食われてんじゃねえか」


烏丸室長は、俺が封筒を机に置くより早く机の下の未決箱を顎で示した。


「そこですね」


ポケットのスマホが震えた。 画面の隅で銀色の点がふくらんで、笑った。


「キミ、辞めるのぉ?」 「辞めないっす」 「ざんねーん」


烏丸室長が伝票を揃えて、机の端に置いた。


「では、メゾン朝霧。23時には現地でお願いします」 「はい」


俺は封筒を鞄に戻した。 角の三日月形のかじり跡が、指に引っかかる。


「どうも」


それだけ言って、鞄を持ち上げた。


真壁さんが先にドアを開けた。 廊下に出て、それから振り返らずに言った。


「次のかじられ方、考えとけよ」


事務所のドアが、背後で閉まる。 烏丸室長の「いってらっしゃい」が、廊下の奥でかすかに聞こえた。


◇


22時50分。 メゾン朝霧、3階の共用廊下。


廊下の蛍光灯は3本に1本が切れている。 明かりの届かない区画が、ドアとドアの間に黒く挟まっている。


305号室の前に立った。 インターホンを押した。


「……どなたですか」


ドアは10センチほど開いて、そこに男の顔があった。 30代。 寝癖。 Tシャツ。 目の下に隈が二重になっている。


「宵帳の者です」 「あの、ほんとに来てくれたんですね」


チェーンが外れた。 ドアが半分開いた。


「毎晩、23時すぎなんです」


男は廊下に出てこなかった。 裸足だ。 足の指が、敷居の内側で白くなっている。


「断った日は、郵便受けに不在票が入ってるんです。俺、在宅してるのに」 「今、何枚くらい」 「数えてないです。数えるのが怖くて」


俺は305号室の郵便受けを見た。


郵便受けから、紙がはみ出している。 蓋が閉まらない。 紙の重みで蓋が押し上げられて、斜めに開いたまま止まっている。


俺は鞄から軍手を出した。 一番上の紙を、端だけつまんで引いた。


ご不在連絡票。 インクの色は青。 宛名の欄に、男の名前が印字されている。


下にもう1枚。 同じ書式。 日付は昨日。


もう1枚。 おととい。


10枚ほど引いたところで、紙の質が変わった。 インクの色が、青から黒に変わった。 端が黄ばんでいる。


日付を見た。 2年前の3月。


宛名が違う。 男の名前じゃない。


「真壁さん」 「なんだ」 「これ、2年前の不在票っす」


男がドアの内側から声を上げた。


「え、2年前?」 「はい。2年前の3月の不在票が出てきました」 「俺、ここに越してきたの去年の4月なんですけど」


新しい不在票の層が、指の厚みほど。 その下に、古い層がある。 色が違う。 紙が違う。 宛名が違う。


毎日ある。 全部、同じ名前宛てだ。


「ここ、前の人、部屋で亡くなってますね。2年くらい前」


俺は玄関の上がり框に目をやったまま言った。


床材の継ぎ目だけが新しく、下駄箱の脇の壁紙だけが白い。 消臭剤の下に、甘く重い匂いが残っている。


住人がドアの縁を握ったまま固まった。


「聞いてないです、そんなの」


真壁さんが俺の腕を引いた。


「言うなよ、本人の前で」 「すみません」


古い不在票の束の一番下を引き出した。 湿り気を帯びている。


宛名は『水野 様』。 品名欄にボールペンで『梅干し 母より』。 字は女の人のものだ。


真壁さんが覗き込む。


「なんだこれ。梅干し?」 「2年前の荷物っすね。お母さんから」


23時11分。


ちん、と鈴の音がした。


廊下の奥。 エレベーターの到着音だ。 誰も呼んでいない。 エレベーターの箱が3階で止まる。


◇


金属の扉が左右に開く音。 からから、と台車の車輪が廊下のタイルを転がる。


配達員だ。


帽子を目深にかぶっている。 紺色のつなぎに、白い手袋。 手には段ボールを1箱抱えている。


配達員の顔は、平らだった。


段ボールの面。 目と口の位置に、切り込みのような線がある。 凹凸がない。 顔に、伝票が1枚貼ってある。


からから、と台車が止まった。 305号室の前。


「お届け物です」


声が、抑揚なく聞こえた。


「ハンコかサインを」


男が、ドアの内側で息を呑んだ。 喉の奥で、ひゅっと音がした。


真壁さんが、小声で言った。


「白洲。あれ、顔に宛名貼ってやがる」 「はい」


男が、ドアを閉めた。 ばん、と音がした。 チェーンが内側から掛かる。


配達員は、動かなかった。 それから、平らな顔が、ドアに向き直った。


「お届け物です」


同じ声。 同じ高さ。


「ハンコかサインを」


段ボールを片手で抱え直す。 空いた手が、ドアの隙間に伸びる。 指が、敷居とドアのあいだの暗い溝に、白い手袋ごと入っていく。


「えっ待て待て待て」


真壁さんが後ろから声を上げた。


俺は一歩、前に出た。


配達員と305号室のドアのあいだに入る。 背中にドアの板。 目の前に段ボールの面。


「いらないっす。持って帰ってください」


配達員は首をかしげた。 段ボールの面が、ゆっくりと斜めになる。


配達員の腕が伸びた。 白い手袋のまま、俺の胸のあたりへ。


手袋の先が、パーカーの生地をすり抜ける。 向こう側に抜けた指が、俺の背中側で空を掻いた。


「……お届け物です」


空いた手が、つなぎのポケットに入った。 ご不在連絡票が1枚、出てくる。


配達員は、それを俺のパーカーのポケットに差し込もうとした。 紙の端が、ポケットの縁をすり抜ける。 ひらり、と廊下のタイルに落ちた。


「落ちたっすね」


廊下の天井の蛍光灯が1本ずつ茶色くなった。 端から。 誰かが消していくように、等間隔で。


エレベーターの扉は開いたままだった。


台車が並んでいた。 中に何台も。 台車の上に段ボールが積まれている。 天井まで。


一番上の箱に伝票が貼ってあった。 宛先が読めた。


『コーポ柊 203』


「……あ、柊」


俺はそれだけ言った。 追わなかった。


真壁さんが壁に背中を貼りつけた。


「白洲、荷台が見えてる、荷台が」 「見えてますね」 「見えてますね、じゃねえよ」


ポケットのスマホが小さく震えた。


「あの箱、中に人の匂いするよぉ」


真壁さんの背中が壁をずり上がった。


「無理無理無理無理」


俺は配達員の顔に貼られた伝票を読んだ。


インクがにじんでいる。 宛名の欄。 『水野 様』。 その下に品名。 『梅干し 母より』。


「水野様」


俺は言った。


「……もう、いないんすよ」


配達員の平らな顔が、動かなかった。


「お届け物です」


同じ声だった。


「ハンコかサインを」


真壁さんが後ろで息を詰めた。


「おい、白洲。名前、書くなよ」 「分かってます」


俺は鞄を肩から下ろした。


家業の道具入れから移した、赤い油性ペンがあった。 特殊清掃で使うやつだ。 残置物に印をつける。 『処分』『保留』『遺族連絡済』。


キャップを外す。


俺は段ボールの伝票の余白を見た。 油性ペンの芯を、その白に当てた。


『受取拒否』


書きながら、手が勝手に動いていた。 遺品整理の現場で何十回も書いてきた書式だ。


『受取人死亡のため』


真壁さんが後ろで息を呑んだ。


『差出人へ返送願います』


最後の行を書いた。


『白洲クリーンサービス 5月26日』


自分の名前は書かなかった。 屋号だけだ。


配達員の白い手袋が、段ボールの側面から離れた。 伝票の端を、指先でつまんだ。 ぺり、と音がした。 伝票が段ボールから剥がれる。


配達員は伝票を、顔の前に持ち上げた。


長いこと、読んでいた。


伝票の紙が、かすかに動いた。 しわが、寄った。 紙が、内側から押されるように膨らんで、また戻る。


頷いているように、見えた。


「おい……紙が、動いてる」 「見えてます」 「なんで、頷いてんだよ」 「さあ」 「さあ、じゃねえよ」


配達員の平らな顔が、伝票から離れた。


「……返送、承りました」


声は、抑揚がなかった。 さっきまでと同じ高さ。 同じ速さ。 けれど、言葉が変わった。


配達員の頭が、下がった。 帽子のつばが、俺の胸の高さを過ぎる。 腰のあたりで、止まった。


「お届け物は、返送いたします」


それから、配達員は台車のほうへ向き直った。 からから、と車輪が鳴る。 台車を押して、廊下の奥へ歩き出す。 配達員が台車ごと乗り込む。


エレベーターの扉が閉まりかけて、止まった。


箱が崩れた。


一番上の箱から順に。 段ボールの粉が白く舞った。 箱と箱の隙間から腕が出た。 寝間着の袖。


「おい」


真壁さんの声が裏返った。


2人だった。 男と女。 寝間着のまま、段ボールの粉を頭からかぶって、箱の山の隙間から這い出てくる。 四つん這いで台車の縁を越え、廊下のタイルに手をつく。 指が震えている。 息をしている。


「生きてる……」


305号室のドアが内側からゆっくり開いた。


「え、ちょっと、え?」


扉が閉じた。 階数を示すランプが上から下へ点いていく。 3。 2。 1。


そのまま、戻ってこなかった。


俺は廊下のタイルに落ちていた1枚を拾った。 さっき配達員が落とした票だ。


裏を見た。 白い。 表を見た。 白い。 インクの青も、日付も時刻も、何も残っていない。


「お前マジか」


真壁さんの声がまだ裏返っている。


「宅配の怪異は、記録に3件」


指を3本立てた。 その指が少し震えている。


「2件は受け取った住人が荷台に積まれて、1件は今も戻ってねえ」 「はい」 「『返送』で帰らせたのは、お前が初めてだ」


俺は赤いペンのキャップを閉めた。 ぱきりと音がした。


「家業で、亡くなった人宛ての荷物はこうするんで」


真壁さんが、ゆっくりと息を吐いた。


「……そっか」


◇


【宵帳 第三調整室 事案報告書 No.0430】 分類:乙 呼称:夜の配達員 発生場所:賃貸マンション『メゾン朝霧』3階 共用廊下 担当:真壁鉄平(正職員)/白洲律(アルバイト) 経過: 約2週間、毎晩23時すぎに顔面の平らな配達員が来訪。荷物を受け取った住人2名が所在不明。拒否した住戸には不在連絡票が毎晩投函された。 担当アルバイトが伝票に記載後、配達員は退去。エレベーター内の積荷から所在不明の住人2名が出現。 危険手当:300,000円(乙) 備考1:担当アルバイトは不在票の宛名と室内の痕跡から前住人の死亡を特定。伝票への『受取拒否・差出人へ返送』の記載で鎮静。 備考2:行方不明者2名を保護。エレベーター内の積荷の一部に、別住所(コーポ柊)の伝票を確認。照会中。


◇


1時53分。 マチさんとの時間が終わって、改札を出る。


乙の手当が30万。 借金は1,498万から1,468万。


スマホが震えた。 LINEだ。 小春から。


『お兄ちゃん、土曜あいてる?』


画面を見たまま、階段の途中で止まる。


『お母さんが現場ひとりじゃ無理って』


続けて届く。 小春はいつもこうだ。 返事を待たずに送ってくる。


『写真の中の家族が、増えてるんだって』

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