幕外その3 18世紀ロシアの「メイドさん」ってどんな人?
今回のお話には、ミハイルの着付けを手伝っている三人の女性、
ダーリヤ、ワルワーラ、プラスコーヴィヤ
が登場します。
本編では分かりやすく「メイド」と呼んでいますが、では1740年代ロシアの「メイドさん」とは、いったいどんな人たちだったのでしょう。
まず最初に、一つ大事なことがあります。
私たちが「メイド」と聞いて真っ先に思い浮かべる、
黒いロングドレスに白いエプロン、白いキャップ
という姿。
これは1746年のロシアでは、まだ「メイドの決まった制服」として定着していたわけではありません。
後世のヨーロッパ、とくに19世紀以降の使用人像が強く混ざったイメージです。
18世紀の女性使用人の服装は、家や身分、仕事によってかなり違いました。女性使用人向けの服装が次第に一定の形へ寄っていくのも、もっと後の話です。18世紀ロシアの女性使用人については、暗めの単色の簡素な服、白い襟やエプロンなどが徐々に見られるようになりますが、「全員が同じメイド服」という世界ではありませんでした。
そしてロシアの場合、もう一つ西欧とは少し違う事情があります。
当時の貴族の屋敷では、使用人の多くが農奴身分の「家付き使用人」であることが珍しくありませんでした。
つまり現代の感覚でいう、
「求人を見て、給料をもらって、貴族の家でメイドとして働いています」
という人ばかりではありません。
領主が所有する農奴の中から、料理、洗濯、裁縫、給仕、馬の世話などに人を配置し、屋敷内で働かせることが広く行われていました。18世紀ロシアでは農奴制が社会の大きな部分を占めており、貴族の家庭生活そのものが、こうした人的基盤の上に成り立っていました。
裕福な家になると、仕事もかなり細かく分かれます。
料理人。
洗濯係。
裁縫係。
掃除係。
馬や馬車を扱う者。
主人や夫人の身の回りを担当する者。
さらに宮廷に近い大きな家では、髪を整えたり、衣装を管理したりする技能を持つ使用人も必要でした。
当時の女性用宮廷服は、一人で簡単に着られるものではありません。
コルセットを締める。
大きなスカートを支える骨組みを整える。
ドレスを重ねる。
髪を結う。
髪粉や装飾品を付ける。
服を傷めないよう管理する。
こうした作業を手伝う女性使用人が重要だったのは当然でしょう。サンクトペテルブルクへ移った女性使用人たちが、西欧化した主人の衣装に合わせて、コルセットの着付けや髪結い、新しい生地の衣装管理などを覚えていったことも指摘されています。
ですから、本編の三人も、
ダーリヤが全体を仕切るベテラン。
ワルワーラが髪や化粧に強い。
プラスコーヴィヤ(パーシャ)が若い補助役。
という形にしています。
もちろん、この三人そのものは架空の人物です。
ですが、
「貴族の屋敷に複数の女性使用人がいて、主人の家族の着替えや衣装管理を手伝う」
という状況自体は、1740年代ロシアでもまったく不自然ではありません。
むしろミハイルのような中堅以上の貴族の家なら、
「三人しかいない」
のではなく、
本編で名前が付いているのがこの三人だけ
くらいに考えた方が近いでしょう。
ちなみに男性使用人には、主人の家を示すリヴリー(仕着せ・制服)を着る者もいました。派手な色や装飾を使い、主人の家格を示す役割を持つこともありました。18世紀のロシア貴族の家で、使用人用のリヴリーが作られていたことも確認できます。
つまり当時の「使用人」というのは、
現代のメイド喫茶的な「メイドさん」のイメージよりも、
一つの大きな屋敷を動かすための専門職集団
に近かったのです。
そしてミハイルの場合。
本人がどれだけ、
ミハイル「今日は練習なんだから、適当でいいだろ!」
と言ったところで、
ダーリヤ「いいえ」
と言われて一時間かけて着付けられてしまう。
あれは三人が意地悪なのではありません。
たぶん彼女たちからすると、
「ちゃんと着せるのが仕事ですので」
というだけなのです。




