補足 1746年の貴族は、そもそも何を着ていたのか
ここで、少しだけ服装の話をしておこう。
現代人が「男装」「女装」と聞くと、
男性は黒や紺のスーツ。
女性は華やかなドレス。
その二つを交換するようなイメージを持つかもしれない。
しかし、1746年のヨーロッパ宮廷では事情がかなり違う。
男も十分すぎるほど派手だった。
◆
男性の場合
18世紀半ばの上流男性の基本的な正装は、おおまかに言えば、
長い上着+胴着+膝丈のズボン
である。
ロシア宮廷の資料では、フランス式の衣服をもとにしたカフタン、カミソール、ブリーチズなどが使われていた。
その下にはシャツ。
脚には絹などの長い靴下。
靴はバックル付き。
首元や袖口にはレース。
さらに帽子、手袋、剣などが加わる。
*ちなみに女装していない状態のアレクサンドル・イリイチ(サーシャ)はこんなイメージ
ピョートル大帝が18世紀初頭に西欧式衣服を導入して以降、ロシア上流社会ではヨーロッパ式の衣装が定着していた。モスクワ・クレムリン博物館にも、18世紀前半のロシア男性服としてカフタン、カミソール、ブリーチズ、レース付きシャツ、ストッキング、靴、帽子などが挙げられている。
そして貴族の礼装ともなれば、その布地もただものではない。
絹。
ベルベット。
金糸。
銀糸。
花柄。
刺繍。
豪華なボタン。
現代人から見ると、
「これ、本当に男物なのか?」
と思うほど華やかな服も珍しくない。
18世紀中頃の西欧男性服にも、紫や赤、桃色などの絹地に金銀糸を使った例が残っている。上流男性にとって衣服は、富と身分を見せる重要な道具だった。
つまり普段のアレクサンドルやミハイルも、宮廷へ出れば必ずしも地味な姿ではない。
特にミハイルは軍人なので軍服姿になることも多いが、一般の貴族男性まで全員が軍服を着ていたわけではない。
◆
女性の場合
一方の上流女性は、まったく違う輪郭を持っていた。
最大の特徴は、やはり巨大なスカートである。
身体を整えるためのステイズ――後世のコルセットにつながる胴衣――を身につけ、その上からドレスを着る。
そして腰の周囲にはパニエと呼ばれる骨組みを入れ、スカートを左右へ大きく張り出させた。
1740年代の上流女性服では、横幅を強調するこのシルエットが非常に重要だった。メトロポリタン美術館も、18世紀宮廷服について、ステイズで上半身を円錐形に整え、パニエによってスカートを横へ大きく広げた構造を説明している。
ロシアでも同様である。
ロシア服飾史資料には、上流女性のスカートを広げるため、柳や鯨骨などで作られたパニエ類が使用され、時には横幅が一・五メートルほどに達したことまで記されている。
実物として分かりやすいのが、エリザヴェータ自身の1742年の戴冠礼服である。
銀を使った豪華なブロケードで作られ、スカート裾の全幅は約4.8メートルにもなる。もちろんこれは特別な戴冠服なので、そのまま普段の舞踏会衣装のサイズではないが、当時の宮廷衣装がどれほど巨大になり得たかはよく分かる。
そしてドレスだけではない。
髪型。
髪飾り。
宝石。
レース。
扇。
手袋。
化粧。
そうしたもの全部を含めて「宮廷の女性」が出来上がる。
◆
だからメタモルフォーゼ舞踏会は大変だった
ここが本編に関わる重要なところである。
エリザヴェータの舞踏会で、
「男は女の服を、女は男の服を着る」
と言っても、現代の仮装パーティーのように服を一枚交換すれば済む話ではない。
男性側は、
普段なら膝丈のズボンにストッキング、長い上着で動いているところを、
突然、
締め付けられた胴体+巨大なパニエ+床まで届くスカート
の世界へ放り込まれる。
逆に女性側は、それまで巨大なスカートの中で行っていた動作から離れ、男性用のブリーチズや上着を身につけ、男性側の姿勢や振る舞いを求められる。
*イラスト再掲。ごく普通に生きていた(?)男性が突然こんな感じの服装を強要されればそりゃ大変ですわなあ。何度も言いますが、史実です。
だから本編でミハイルが、
ミハイル「服を替えるだけじゃないのかよ!」
となるのは、かなり重要なのである。
むしろ大変なのは、服を着たその後なのだ。
歩く。
座る。
立つ。
方向を変える。
階段を使う。
礼をする。
踊る。
それまで身体に染みついていたやり方が、そのままでは使えない。
これが『カーテシークラブ』という物語の出発点でもある。




