第4話『世界はまだ続いている』【1】
駅前の大型書店は、休日ということもあって多くの客で賑わっていた。平台には「今週の話題作」と書かれた札が立ち、色とりどりの新刊が積み上げられている。星凪美夏は人混みの中をゆっくりと歩きながら、芸能誌の並ぶ棚を横目に見た。
テレビではまだ見習いアイドル。だが現実では、自分はただの十八歳の少女に過ぎない。帽子を深くかぶっていれば、誰も振り向かない。そのことが、今は少しだけ心地よかった。
文芸書の平台の前で、美夏はふと足を止める。ひときわ目立つ場所に、一冊の本が平積みされていた。白い空を見上げる少女のイラスト。帯には大きく、『書籍化決定から大反響! Web発、衝撃のSF青春ファンタジー』と書かれている。タイトルは──
『君が消えた世界はまだ続いている』
著者名は、No.404。
美夏はゆっくりと、その一冊を手に取った。
紙の感触。インクの匂い。新品の本だけが持つ、わずかな重み。
そのタイトルを見つめた瞬間、胸の奥が小さく痛んだ。
(……世界は、まだ続いている)
回帰前のあの世界で、自分は死んだ。だが、世界そのものは終わらなかった。
自分の死を報じるニュースが知れ渡っても終わりはない。翌日も、翌々日も新たなニュースは報道される。電車は走り、車も走る。人は学校に行き、会社に向かう。そして、自分を知る人も、知らない人も、それぞれの日常を生き続ける。
自分だけがいなくなって、世界だけが続いていく。
美夏は本の表紙をそっと撫でた。
(月城さんは……)
自然と、一人の青年の顔が浮かぶ。
月城律。あのあと、彼はどうしたのだろう。アザゼルの話によれば、彼もまた天導隆一に殺されたという。彼は何故、父の遺稿を自分に渡したのだろう。まさかあんな結果になるとは彼も思っていなかったはずだ──
(……ううん、もう関係ない)
美夏は静かに首を振る。
あの世界は、自分が生きる世界ではない。今、自分が守るべきなのは、この世界だ。そして今は、復讐を果たすことだけを考えて動けばいい。
本の帯に視線を落とす。
人気インフルエンサーのデビュー作。Web文芸賞受賞。Web小説投稿サイトで圧倒的人気。
どれも、回帰前に見たものと同じだった。ただ一つ違うのは、今の美夏は、その『結末』を知っているということだけ。
作者のNo.404は、書籍化からほどなくして、タレント兼映画監督の寿志清純から著作権侵害で訴訟される。寿志によると、No.404は寿志の映画の元アシスタントスタッフであり、この小説は制作中の映画の脚本を盗作したものだったという。ネットニュースは連日その話題で埋まり、SNSは「盗作者」「詐欺師」と罵る言葉で溢れ返った。やがて作者は活動を停止し、自ら命を絶った。当時のワイドショーは、悲劇のクリエイターとして数日だけ騒ぎ立て、すぐに別のニュースに移っていった。
美夏は一連の騒動をどこか遠い世界の出来事として受け止めていた。
だが、今は違う。
Studio Aster──美夏は、ジャーナリストの月城智明の遺稿で初めてその名を知った。Studio Asterは無名のコンテンツ制作会社だが、彼らの手がけた作品は日本中で広く知られている。映画、ドラマ、小説、漫画、ゲームなど、数え切れないヒット作の裏側で、実際の企画や制作を担っている会社だからだ。世間は監督や脚本家、作家の名前しか知らないが、そのブランドを作っているのはStudio Asterのスタッフだった。
寿志清純は「天才映画監督」として知られているが、現場で彼が担う仕事は、完成した映像を眺めて気まぐれに注文を付けることだけ。脚本は脚本チーム、演出は助監督、編集も現場スタッフが形にする。彼らは皆、Studio Asterの契約社員だ。それでも作品は「寿志監督の最新作」として世に送り出される。
それを可能にしているのが、Studio Asterと同じ経営陣を持つ芸能事務所ASTER ENTERTAINMENTだった。テレビで語る苦労話、妥協を許さない鬼才という肩書き、SNSで見せる人間味──世間が見ている『寿志清純』は、事務所が設計した一つのブランド、作られた商品、架空のキャラクターに過ぎない。
実際の寿志清純は、Studio Asterの経営者の親族。コネで企業に寄生する、引きこもりの社会不適合者だった。しかし滑稽なことに、ASTER ENTERTAINMENTの作り上げた『天才映画監督・寿志清純』という虚像を、寿志本人も信じ込んでいた。月城智明の遺稿によると、寿志にはセルフ・プレゼンテーションや役割同一化という現象が起きていたという。人は演じ続けると、演じた人格を『本当の自分』だと思うようになる。自分は特別な才能を持つ天才であり、若いクリエイターや女優は成功のために従って当然だと疑わないのも、パワハラ、モラハラ、性的行為の強要を繰り返しながら、それを「才能ある人間の厳しさ」と本気で信じているのも、自身の演じる虚像に飲み込まれたからだという。
美夏の脳裏にふと、かつて見たニュースの一文がよぎる。
『No.404氏は、映画監督・寿志清純氏の作品でアシスタントスタッフを務めた経験がある』
当時は、それ以上何も考えなかった。
映画業界ではよくある経歴だと思っていた。
しかし──
──違う。
アシスタントスタッフではない。
もしもNo.404が、本当はStudio Asterの社員だったとしたら。
社内で企画を書き、他人名義の作品を作っていた彼が、会社を通さず、自分の名前でWeb小説を投稿した。そしてそれが大ヒットした。だから寿志は、彼に盗作の汚名を着せた──
美夏の背筋を冷たいものが走った。
これは推測に過ぎない。証拠は何もない。それでも、USBメモリの中にあった情報と、回帰前の記憶が一本の線で繋がっていく。
No.404は、口封じのために社会的に抹殺されたのではないか。
美夏はゆっくりと本を閉じた。今、この本を買えば、天導に知られる可能性がある。自分の住むマンションは、Dream Gateに所属するタレント用の寮だ。管理人も、防犯カメラも、出入りする業者もDream Gateの息がかかっている。どこまで会社の、天導の目が届いているか分からない。
──証拠は部屋に置かない。
それが、回帰して最初に決めたルールだった。
美夏は名残惜しそうに表紙を見つめると、静かに本を平台へと戻した。




