第3話『誰も私を見ていない』【2】
曲が終わり、まばらな拍手が起きる。新人への儀礼的な拍手だった。それでも充分だった。美夏は深く一礼する。前とは違う。そう思えた。
舞台袖に戻ると、スタッフが慌ただしく行き交っていた。
「White Noiseの皆さん、お疲れさまでした!」
明るい声が飛ぶ。
メンバーはそれぞれ笑顔で頭を下げ、楽屋に向かう。
舞白は最後までアイドルらしい笑顔を崩さず、廊下に出た瞬間に大きく息を吐いた。
「緊張したぁ」
「センター、すごく良かったよ!」
メンバーの一人が舞白に駆け寄る。舞白は照れたように笑いながら礼を言う。その輪の少し後ろを、美夏は静かについて歩いた。
壁に貼られた出演者一覧。ライブ告知のポスター。消毒液の匂い。二年前に見た景色と寸分違わない。あの日は、ライブが終わったあとも興奮が収まらなかった。『もっと前に出られた』『次は絶対に覚えてもらう』……そんな話ばかりしていた気がする。
しかし今は違う。胸の中にあるのは、不思議な静けさだけだった。
楽屋に入るなり、舞白が鏡の前に座った。
「ねえねえ、さっき最前の人が手振ってくれてたよね?」
「いたいた!」
「SNSで感想書いてくれるかな?」
楽しそうな会話が続く。誰もが未来を信じている。売れることを疑っていない。
美夏はその光景を見つめながら、小さく目を伏せた。
この頃は、まだ知らない。この先、仕事が減っていくことも。メンバー同士が少しずつ疑い合うようになることも。そして、自分があの日を迎えることも。自分が死んだ後も、彼女たちの人生は続いていく。天導隆一は言った──『君の死は世間の同情を集める。White Noiseの知名度も上がる。会社にも利益がある。誰も損はしない』──White Noiseが前代未聞の世間の耳目を集めたとき、彼女たちは笑顔でステージに立っているのだろうか。
「……美夏?」
呼びかけられて、美夏は顔を上げた。
声の主は舞白だった。
「今日はなんだか大人しいね」
何気ない口調だった。しかしその目は相手を値踏みしている。
美夏は曖昧に微笑んで、舞白に答えた。
「うん。初めてのステージで緊張してたから……」
「そっか。あのね、美夏……」
美夏は言葉の続きを待った。しかし舞白は何も言わない。舞白は口を開いたまま、きょとんとした表情で固まっていた。
「舞白? どうしたの?」
「あれ……? 私、何を言おうとしてたんだっけ……。おかしいな、ちょっと思い出せない……変だな……」
舞白は独り言のように呟く。
彼女の様子は芝居には見えなかった。誰かをからかっているような含み笑いもなく、思い出せないことを本気で困惑しているようだった。
美夏の胸の奥に、小さな違和感が芽生える。
それは未来の記憶にもない、初めて目にする舞白の姿だった。
◇
夕焼けに染まる街を見下ろしながら、一人の青年がライブ会場のステージ搬入口を眺めていた。長い黒髪と黒いコートが風に揺れている。その姿は誰の目にも映らない。
「複製元ワールドとの同調率が下がったか」
アザゼルは静かに呟いた。
人間は、自分では気づかないほど小さな選択で運命を変える。
たった一歩、前に出なかった。
ただそれだけで、一人の観客が彼女の名を覚えた。
そして世界は枝分かれを始める。絡みつく細い糸を引きちぎりながら。




