↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私が売れたのは、殺されたからでした──回帰したアイドルは二度と愛を求めない  作者: 白波 灯


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/43

第19話『終わりの始まり(後編)』【2】

 会見が終わると、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。記者たちが退出し、スタッフが機材を片付け始める。さっきまで無数のフラッシュを浴びていたステージも、ただの撮影場所に戻りつつあった。

 美夏が控室に戻ろうとしたとき、背後から声がした。


「星凪さん。ちょっといいかな?」


 振り返ると、寿志が立っていた。


「……はい」

「映画の内容について、個人的に打ち合わせしたいことがあるんだよね。このあと二人で会えないかなぁ?」


 寿志はにやにや笑いながら、美夏の全身を眺めている。その目を見ただけで、彼が何を考えているのか、嫌というほど伝わってくる。

 美夏は僅かに身構えた。回帰前の記憶が脳裏をよぎる。

 この男と二人きりになってはいけない。美夏はきっぱりと答えた。


「それでしたら、スタッフの方を交えて──」

「……ちょっと! 星凪さん!」


 突然、横から声が飛んできた。

 黒瀬聖子が二人の話に割り込んできたのだった。

 聖子は敵意も露わに言った。


「寿志先生に色目を使わないでくれる?」

「……え?」


 美夏は思わず目を瞬いた。まったく心当たりがない。

 寿志まで呆気に取られている。


「おいおい。何を言ってるんだ、聖子ちゃん」

「何って、見れば分かるでしょう?」


 聖子は美夏を睨みつけた。


「寿志先生を見つけたのは私なんだから。横取りしないでよ!」


 美夏は言葉を失った。聖子が何を言っているのか、なぜここまで怒るのか、まったく理解できなかった。だが、美夏以上に驚いていたのは寿志だった。


「彼女は主演女優だよ? 打ち合わせをして何が悪いんだ!」

「そんなの必要ないでしょう?」


 聖子の声が一段と大きくなる。


「内容なんて、どうでもいいの。どんな駄作でも、私が宣伝すれば必ずヒットするんだから!」


 聖子の声が、楽屋に響いた。

 美夏は息を呑んだ。その言葉を、ここで口にするのか。周囲にはスタッフが何人もいるし、壁一枚を隔てた場所には、今も会見関係者が残っているかもしれないのに。

 しかし聖子は、自身の失言に気づいていないようだった。


「聖子ちゃん……」


 寿志が呆れたように額を押さえる。

 常識人を装っているが、自分の態度のおかしさに無自覚な点は彼も同じだった。彼が本当に映画を撮影していたならば、聖子の失言を自作に対する侮辱と受け取っていただろう。しかし寿志は怒らなかった。彼が怒ったのは、美夏に対する下心に水を差されたことだけだった。

 美夏は内心で頭を抱えた。こんな場所に突っ立っていれば、どんなトラブルに巻き込まれるか、分かったものではない。かといって下手に逃げ出せば、寿志や聖子にどんな言いがかりをつけられるか──

 そのとき、穏やかな声が聞こえた。


「美夏さん、スタッフさんが呼んでますよ」

「え?」


 振り返ると、月城律がいた。

 律は美夏の手を取ると、自然な動作で歩き出す。美夏は彼に続いた。背中に寿志と聖子の視線を感じる。角を曲がり、二人の姿が見えなくなったところで、美夏は小さく息を吐いた。廊下の先には、誰もいなかった。

 律は不思議そうに首を傾げた。


「あれ? おかしいな……聞き間違いだったみたいですね」


 そう言って、困ったように笑う。

 美夏はすぐにその意図を理解した。


「助けてくれて、ありがとうございます」

「助けた……? 僕はただ、聞き間違えただけですよ」


 律は笑ってそう言った。美夏も微笑んだ。

 けれど、胸の奥は落ち着かなかった。自分のせいで、律まで寿志や聖子に目をつけられるかもしれないと思うと、浮かれるわけにはいかなかった。


          ◇


 自宅マンションのドアを閉め、靴を脱ぎ、鞄を置く。寮として貸与されたワンルームの部屋には、必要最低限の家具しかない。華やかな芸能界の舞台裏としては、いささか味気のない場所だった。

 疲れた。美夏はソファに座るようにベッドに腰を下ろした。

 その直後、スマートフォンが鳴った。画面に表示された名前を見て、美夏の眉が僅かに寄る。母からの着信だった。


「……もしもし」

『美夏!』


 聞こえてきたのは、聞き慣れた声。いつも通りの怒鳴り声だった。


『なんで黙ってたの!』

「何が?」

『映画よ! 今日の記者会見! あんな映画に主演するなんて、お母さん、一言も聞いてないじゃない! なんで言わなかったの!』


 母の声がさらに大きくなる。


『あんたがちゃんと言わないから、親戚のおばさんたちに教えてあげられなかったじゃない! せっかくテレビに出るんだったら、前もって言ってくれればよかったのに!』


 美夏は何も言わなかった。

 おめでとう。すごいじゃない。頑張ったわね──そんな言葉は、一つもない。母が気にしているのは、自分が親戚に娘の成功を自慢できたかどうかだけだ。回帰前も、そうだった。どれだけ頑張っても、テレビに出ても、仕事を取っても、母は決して美夏自身を見なかった。『娘を持つ母親として、自分がどれだけ他人より上に立てるか』。母が木にしているのは、ただ、それだけだった。

 美夏は深呼吸をしてから、言った。


「……お母さん」

『何?』

「私に成功してほしいなら、お母さんは口を出さないで」


 電話の向こうが静かになった。

 どれほどの時間が流れただろう。長い沈黙のあと、スマホから低い声が聞こえてきた。


『……それが親に対して言うことか。今まで誰が養成所に通わせてやったと思ってるの! 小さい頃から、どれだけお金をかけてあげたと思ってるのよ!』


 堰を切ったように、母の声が荒くなる。


『口答えするなら、今までにかかったお金を全額返せ!』


 美夏はスマートフォンを耳から離した。

 昔なら、この言葉だけで胸が潰れそうになっただろう。

 自分は役立たずなのかもしれない。母が黙ってくれるまで頑張らなければならない。そうやって、無駄に努力した。だけど今は、どうでも良かった。


「……アイドルになりたいなんて、私は一度も言ってない」


 それだけ言うと、美夏は通話終了のボタンを押した。続いて電源を切る。

 不思議だった。悲しくないわけではない。腹は立つ。悔しい。だけど、以前ほど苦しくはなかった。もう知っているからだ。自分が何をしても、この人は決して満足しない。だから──言いなりになる必要など、最初からなかったのだ。

 美夏はスマートフォンをテーブルに置いた。

 静まり返った暗い部屋に、時計の音だけが響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。