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私が売れたのは、殺されたからでした──回帰したアイドルは二度と愛を求めない  作者: 白波 灯


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第18話『終わりの始まり(前編)』

 教会の高い窓から静かに光が差し込んでいた。

 そこは一般開放されている小さな教会だった。観光客も立ち寄れるよう、入口には簡素な案内板が立っている。磨き上げられた石床には淡い光が帯のように伸び、祭壇の奥では、巨大なステンドグラスが朝の光を透かしていた。

 そこに描かれているのは、翼を広げた天使だった。青、金、白。色とりどりのガラスを透過した光が床に落ち、まるで床そのものに星空が広がっているようだった。

 舞白は、その光の中をゆっくりと歩いていた。

 彼女は誰かを探している。それがいったい誰なのか、自分でもよく分からない。ただ、ここに来れば、その人に会えるような気がした。舞白は辺りを見回した。祭壇の前、長椅子の間、壁際の小さな礼拝室。舞白の探している人は、どこにも見当たらない。


 ──どこに行けば会えるんだろう。


 胸の奥に、ぽっかりと穴が開いている。

 何か、とても大切なことを忘れているような気がする。

 けれど、思い出そうとすると、頭の中に白い霧が広がって何も見えなくなる。

 舞白は天使の描かれたステンドグラスを見上げた。その顔は穏やかで、慈愛に満ちている。なのに、何故だろう。その姿を見つめていると、胸が苦しくなる。


 ──そうだ、私……。


 舞白は思い出す。その人と、何か大切な約束を交わしたような気がする。約束を果たさなければならない、という感覚だけが残っている。その内容は思い出せない。ただ、色鮮やかな光だけが、舞白の頬を静かに照らしていた。


         ◇


「やぁ、親愛なる星凪美夏さん」


 廊下の角を曲がったところに、月城律が立っていた。

 美夏は思わず足を止めた。律の姿を目にすると、不思議な感覚に陥る。回帰前と同じ顔、同じ声。舞台の上の王子様のような笑顔も変わらない。だけど彼は、厳密には、回帰前とは別人だ。美夏が覚えていることを、彼は何も覚えていない。共に過ごしたときのことを美夏ははっきり覚えているのに、目の前の彼にはその記憶がない。それでも彼は、記憶の中と変わらない笑顔を美夏に向ける。


「こうして再びお会いできるなんて光栄です。先日は振られてしまっただけに、運命を感じるよ」


 この人は何を言っているんだろう。

 美夏は吹き出しそうになった。

 そんな美夏の様子を見て、律は満足そうに笑った。


「まぁ、それはともかく。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ。映画の記者会見だなんて、少し緊張します」

「君なら大丈夫だよ」

「ありがとうございます」


 美夏は律に微笑み返した。

 今日は映画『君が消えた世界はまだ続いている』の制作発表記者会見。主演を務める美夏と律、監督の寿志清純、そして、原作者としてメディアに顔を出すお笑い芸人の久世(くぜ)トオル。その四人が並んで登壇することになっている。

 会見場の手前には、すでに大勢のスタッフと記者が集まっていた。

 美夏はその向こうに寿志の姿を見つけた。

 寿志はスタッフに囲まれながら、何かを指差している。


「だからさぁ。この椅子じゃ、嫌なんだって」

「申し訳ありません。すぐ別のものを──」

「あとさ、俺の立ち位置。そこだと写真撮ったときに律君より後ろになるだろ? 俺が。それじゃあ困るんだよ。分かる?」

「はい、調整します」

「当然だろ。誰の映画だと思ってるんだよ。まったく」


 寿志の不機嫌な声が、少し離れた美夏たちのところまで聞こえてきた。

 二人の近くにいる久世が、困ったように笑う。


「……大物ですね」


 その言葉の意味を、美夏は考えなかった。

 大物。確かに、そうなのだろう。誰も寿志には逆らえない。少なくとも、この場にいる者は。

 誰もが寿志の顔色をうかがい、あるいは遠巻きに見ている中、五十歳前後の小太りの女性が寿志に近づいていった。


「寿志さん、お飲み物を」


 声をかけたのは、広告代理店のプロデューサーの黒瀬聖子(くろせせいこ)だった。

 美夏の回帰前の記憶にはない。初めて見る顔だった。

 不機嫌をまき散らしていた寿志の声が、途端に柔らかくなる。


「ありがとうねぇ、聖子ちゃん」

「いえいえ。寿志さんのためなら、これくらい」


 聖子は笑顔で頭を下げた。


「会見の質問事項も、こちらでかなり整理してありますから。寿志さんはどうぞご安心ください」

「さっすが聖子ちゃん。頼りになるねぇ」

「ありがとうございます!」


 聖子の顔が嬉しそうに緩む。

 その直後、彼女の視線が美夏に移った。その顔から笑顔が消える。


「……星凪さん」

「はい」

「主演なんですから、会見中は余計なことを言わないでくださいね」


 聖子の声は丁寧だった。

 けれど、そこに歓迎の色はなかった。


「記者からの質問には、こちらで用意した内容を答えていただければ結構です」

「分かりました」

「特に寿志さんのお話を遮ったりしないように。若い女性アイドルはすぐに自我を出そうとしますけど、そういうのは要りませんので。いいですね?」


 美夏は一瞬、言葉を失った。

 こちらに向いた聖子の視線は、値踏みするように冷たかった。その目があからさまに見下しているように見えるのは、決して身長差のせいだけではないだろう。隣にいる律には何も言わないところからも、黒瀬聖子という人間が、若い女性アイドルを下に見ていることは明白だった。

 しかし彼女に逆らったところでなんの得にもならないどころか、デメリットしかないことは、考えなくてもよく分かる。美夏は感情を出さずに答えた。


「……はい」


 美夏が返事をすると、聖子はそれ以上興味を示さなかった。

 すぐに寿志のところへと戻っていく。


「寿志さん、そろそろ本番です」

「ああ」


 寿志は立ち上がると、美夏たちを見た。


「じゃ、行こうか」


 彼の立ち居振る舞いは、まるで自分が主演であるかのような自然なものだった。

 会見場の扉が開く。眩しい照明。無数のカメラ。記者たちの視線。それらに直面した瞬間、寿志の顔から先ほどまでの不機嫌さが綺麗に消えた。彼は背筋を伸ばし、口元に柔らかな笑みを浮かべる。そして、完璧な『映画監督』の顔になる。

 美夏はその横顔を見つめた。

 知っている。寿志清純は、こういう人間だ。

 カメラが回れば、別人になれる。否、別人を演じることができる。


「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます」


 寿志が穏やかな声で言う。記者たちのシャッター音が一斉に鳴った。その隣で、律も笑顔を浮かべる。久世も緊張した様子で頭を下げる。そして美夏も微笑んだ。

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