第17話『粉砕』【2】
美夏は、繁華街の一角にあるアミューズメント施設の扉を開けた。
そこは、ストレス発散を目的にした体験型アクティビティの店だった。
派手なネオン。壁に描かれたポップなグラフィティ。やってはいけないとされている破壊行為を楽しむ場所。受付の向こうには、透明な防護壁で区切られたスペースがいくつも並んでおり、その中では人々が思い思いに物を壊していた。
古い家電。食器。家具。叩けば割れるものなら、何を壊してもいいらしい。
受付で説明を受けた美夏は、防護服とフェイスシールドを身につける。最後に手渡されたのは、一本の斧だった。ずしりと重い。美夏は柄を握り直した。
頭の中には、先ほどのアザゼルの言葉が残っている。
──『このワールドの朝霧舞白は、まだ何もしていない』
頭では、分かっている。しかし、だからといって、怒りが消えるわけではない。回帰前の舞白が、故意に自分を破滅させた。その事実を知ってしまった以上、胸の中に生まれた感情を、簡単に消せるはずがない。
美夏は斧を振り上げた。そして、叩きつけた。けたたましい音を立て、電子レンジが大きくへこむ。もう一度。さらに一度。斧を叩きつけるたびに、破片が辺りに飛び散った。電子レンジの次は古いプリンター。その次は壊れたテレビ。美夏は無言で斧を振り下ろし続けた。寿志。天導。舞白。脳裏に浮かぶ彼らに向かって、斧を叩き込む。
何度も何度も何度も何度も、息が上がっても止めなかった。腕が重くなっても止めなかった。壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して、やがて目の前にあったものはほとんど原形を留めなくなっていた。
美夏は荒い呼吸を繰り返しながら、斧を下ろした。
──違う。
ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
寿志を壊したい。天導を壊したい。舞白を壊したい。
それは本当だ。だが、それだけではない。
回帰前の世界で、美夏を殺したのは天導だった。けれど、天導一人がいなくなったところで何が変わる? 寿志を失脚させたところで? 別の誰かが、その席に座るだけではないのか。自分を商品として扱う人間。才能を消費する人間。誰かの作品を奪い、名前だけを売る人間。弱い立場の人間を使い潰し、それを「業界では普通」と笑う人間。そういう人間が生まれ続ける場所そのものが残っている限り、また誰かが同じ目に遭う。
美夏は気づいた。寿志も、天導も、そして舞白も、復讐の終着点ではない。手段だ。自分を殺した人間に一人ずつ報復することだけが目的ではない。もっと大きなもの。自分を殺した仕組み。人間を商品にして、才能を食い潰し、嘘を本物として売り出す構造。それを壊さなければならない。
美夏は、斧を握る手に力を込めた。
その瞬間、脳裏に、柊木の姿が浮かんだ。
殺陣の稽古の最中に感じた、何度打ち込んでも越えられなかった壁。
力ではない。速さでもない。技術でもない。何かが足りないことは分かっているのに、それが何なのか、まったく分からなかった。しかし、今は違う。
美夏は目の前に散らばる破片を見つめた。
これまでの自分は、目の前の敵しか見ていなかった。そこに感情を叩き込めば殺せると思っていた。それですべてが解決すると思っていた。けれど今は、壊すべきものが見えている。
──特定の誰かじゃない。全部、ぶち壊す。
そう意識した瞬間、何かがすっと抜け落ちた。肩の力が抜け、視界が広がる。柊木との稽古で、何度も感じていた違和感の正体が見えた。敵を倒すことだけを考えていたから、動きが小さかった。一人の敵だけを見ていたから、その先が見えなかった。でも今は違う。相手の向こう側まで見える。その一歩先、さらにその先が見える。
美夏は斧を構え直した。そして、最後に残っていた古い家具へと踏み込み、斧を振り下ろす。その一撃は、今までとは違った。力任せではない。身体全体が一つに繋がっていた。
斧が、吸い込まれるように入る。
轟音が響き、木材が大きく裂けた。
美夏は、その感触を確かめるように息を吐いた。
できる。昨日まで、どうしても届かなかった場所に、今、初めて手が届いた。
殺陣が上手くなったわけではない。身体能力が突然変わったわけでもない。ただ、戦う理由が変わっただけ。美夏は斧を下ろし、フェイスシールドの内側で静かに笑う。
自分が目指すべき『頂点』は、誰かの作った椅子に座ることではない。椅子そのものを作り替えることだ。
美夏は、散乱した破片を見渡した。
もう、母の言いなりになる必要はない。




