↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私が売れたのは、殺されたからでした──回帰したアイドルは二度と愛を求めない  作者: 白波 灯


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/43

第17話『粉砕』【1】

 レッスンルームを出ていった舞白の足音が、廊下の向こうへと消えていく。

 美夏は、その場から動けなかった。鏡に映った自分の顔を見つめる。

 回帰前の舞白のほうが、今の舞白よりも、ずっと冷静だった。

 美夏は知っている。White Noiseがテレビを干され、グループ全体が地下アイドルのような活動に追い込まれたあとも、舞白だけはブロードバンドTVのVoid Channelでレギュラー番組を持っていた。広告を入れず、スポンサーへの忖度を必要としない配信会社。その経営者、鷺坂至(さぎざかいたる)には、舞白に救われた恩があると言われていた。舞白のアドバイス通りに投資して、経営難を逃れたという。

 当時はただ、舞白の知性と人柄ゆえだと思っていた。

 しかし、回帰前のあの世界の舞白こそ、別の世界の未来を知る回帰者だったのだとしたら、話は違ってくる。舞白は、別の世界の未来の記憶を利用して仕事を獲った。そして──


「気づいたかい?」


 どこからともなく声がした。

 美夏は振り向いた。そこには誰もいなかった。なのに鏡の中にだけ、男が立っている。長い黒髪に、人間離れした美貌。そして、こちらを見つめる赤い瞳。


「アザゼル……」


 美夏は鏡に近づいた。


「どうしてここに?」

「君が私を呼んだからさ」

「呼んでない」

「そういう意味ではないよ」


 アザゼルは微笑んだ。


「君が疑問を抱いた。だから私は現れた」


 相変わらず、ふざけているのか本気なのか分からない男だった。

 美夏は苛立ちを抑えながら尋ねた。


「舞白は……回帰者だったの?」

「そうだ」


 あまりにも簡単な答えだった。

 美夏の胸の奥がざわつく。


「でも、あの子は何も覚えてない」

「正確には、このワールドの彼女は、自身の回帰前の記憶を完全には覚えていない」


 アザゼルは鏡の中で腕を組んだ。


「回帰者は、一つのワールドに一人しか存在できない。君が存在していたワールドを、別のワールドとして複製した場合、複製先には他のワールドの記憶を保持する回帰者は存在しない」

「どうして?」

「接続が切れるからだ」


 アザゼルは淡々と説明する。


「回帰者の記憶は、通常の人間の脳に保存された経験とは少し違う。元のワールドとの接続によって維持されている」


 美夏は眉を寄せた。


「だから、複製された世界の舞白は……」

「回帰前の世界との接続を失った。しかし、完全に、ではない」


 アザゼルの声が静かに響く。


「接続が弱くなったことで、記憶は断片化する。言葉にならない感覚。説明できない既視感。そして──夢の中に繰り返し現れる」


 美夏は、舞白の言葉を思い出した。

 デビュー前。まだ会ったこともない美夏が、夢に出てきたと舞白は言った。

 美夏は呟いた。


「……だから舞白は、知らないはずの私を夢で見ていたのね」

「そういうことだ」

「だったら……」


 美夏の指先が震えた。

 回帰前の自分に起きたことを思い出す。

 仕事を奪われ、居場所を奪われ、最後には、殺された。そしてその破滅に至る道筋には、舞白がいた。彼女はいつも笑っていた。捏造記事で週刊誌に叩かれたときも、彼女は美夏に笑顔を向けていた。

 美夏は、ゆっくりと顔を上げた。


「私を殺したのは……舞白なの?」

「直接、という意味ではないが」

「同じことでしょ!」


 美夏の声がレッスンルームに響いた。


「私を破滅させたのは、舞白だったんでしょ?」


 アザゼルは答えなかった。その沈黙が、肯定に思えた。

 胸の奥が熱くなる。怒りだった。悔しさだった。そして、裏切られたような感覚だった。回帰前の世界で、舞白はいつも自分の隣で笑っていた。そしてこちらの世界では、自分のほうを見ていた。夢にまで見たと話していた。ドアノブに手をかけて、こちらを振り返り、「美夏、また話そうね」と言っていた。

 なのに──あの日、廃遊園地で天導から見せられた写真を思い出す。夜景を背に笑っている舞白と律のツーショット。今なら分かる。舞白はあの写真を自分に見せたかったのだ。


「……許さない」


 美夏はバッグを掴んだ。


「待て」

「嫌」

「どこへ行く?」

「舞白のところ。復讐してやる」


 美夏はドアへと向かった。足が止まらない。

 今ならまだ、舞白は何も知らない。彼女が思い出す前に、自分が受けたものを、同じように返してやる。


「美夏。それは、この世界の舞白への復讐だ」

「だから何?」


 美夏は振り返り、鏡の中のアザゼルに抗議する。


「舞白は舞白でしょ?」

「違う」

「何が違うの? 同じ顔、同じ身体、同じ名前よ」

「だが、同じ人生を生きてはいない」


 アザゼルは鏡の中から静かに美夏を見つめている。


「このワールドの朝霧舞白は、まだ何もしていない。回帰者として生きた記憶もないし、君を破滅させた経験もない。それでも彼女を裁くのなら、それは復讐ではない」


 アザゼルの声は穏やかだった。


「無実の人間を、別の世界の罪で裁くことになる」

「……悪魔に説教されたくない」


 美夏は吐き捨てるように言った。


「復讐の機会を与えると言ったのはあなたでしょ。やめさせようとするなんて、契約違反じゃない!」

「君らしいね」


 アザゼルは微笑んだ。

 美夏にはその態度が余計に腹立たしかった。


「笑わないで」

「笑っていないよ」

「……もういい」


 美夏はドアを開け、廊下に出る。

 背後の鏡には、まだアザゼルがいるのが分かる。

 美夏は一度だけ振り返った。


「私は、舞白を許せるほど出来た人間じゃない」

「知っているよ」


 アザゼルの声は、やはり穏やかなままだった。

 美夏は不意に、回帰前のあの日の月城律を思い出した。USBメモリを手渡して、信じていると言った律。この世界の舞白が別の人間だというのなら、この世界の律だって別の人間だ。自分を信じてくれた律は、この世界にはまだいない。そして未来にも、いるかどうか定かではない。でも──そんなこと、回帰後の自分と二年前の自分が別人だと思った時点で、分かり切っていたはずのことだった。

 レッスンルームの扉が閉じる。

 鏡の中に残されたアザゼルは、ただ静かに美夏の背中を見送っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。