第16話『あの日、舞白は笑っていた』【1】
回帰前の世界にて──
White Noiseのデビューから一年が過ぎた。
まだ国民的アイドルと呼べるほどメジャーにはなっていない。それでも、テレビの歌番組に呼ばれ、雑誌の撮影があり、イベントにも出演する。グループは少しずつ仕事を増やしており、センターの舞白には単独の仕事が入るようになった。美夏にとっては、夢の途中。そんなある日の歌番組の収録後のことだった。
「……ねぇ、美夏」
楽屋で衣装を片づけていた美夏に、舞白が声をかけてきた。
「寿志監督が来てるよ」
「寿志監督?」
「うん。今日の収録を見に来てるみたい。美夏に興味があるんだって」
「私に……?」
美夏は戸惑った。
寿志清純。映画監督としても知られる大物芸能人。会ったことのない美夏でも、顔と名前は知っている。しかしそのような著名人が自分に興味を持っているなど、にわかには信じられない。
怪訝に思う美夏に、舞白は柔らかな笑みで答えた。
「美夏って、子役の頃に演技やってたんだよね?」
「うん。ちょっとだけ」
「監督、演技のできる若い子を探してるって言ってたから」
「そうなの?」
「だから、紹介してあげる」
舞白に連れられて楽屋を出る。
廊下の先に、数人のスタッフと話している太った男の姿がある。男が笑うと、アンバランスなまでに大きな歯が見えた。
「寿志監督」
舞白が声をかけると、寿志は振り向いた。
「……ああ、朝霧さん」
「この子が美夏ちゃんです」
舞白が美夏の背中を軽く押す。
美夏は寿志に頭を下げた。
「星凪美夏です。よろしくお願いします」
「君が星凪さんかぁ」
寿志は、美夏の顔をじっと見た。
その視線に、美夏は少しだけ背筋を伸ばした。
「舞白ちゃんから聞いてるよ。子役をやってたんだって?」
「はい」
「へえ。今度、演技を見せてもらいたいね」
「ありがとうございます」
美夏の胸が高鳴った。もしかしたら、何か大きな仕事に繋がるかも知れない。そんな期待が、ほんの少しだけ芽生えた。
そのとき、舞白が言った。
「監督、美夏ちゃんと少しお話ししたいんですよね?」
「ああ」
「じゃあ、私は先に戻りますね」
「え?」
美夏が舞白を見る。舞白はにこりと笑った。
「私、スタッフさんに呼ばれてるから。美夏、頑張ってね」
「う、うん……」
舞白が廊下の向こうに歩いていく。
残された美夏は、少し戸惑いながら寿志を見る。
寿志がニタリと笑った。
「まあ、そんなに緊張しなくていい。楽屋でゆっくりと話そう」
美夏は、その笑顔に言葉にならない違和感を覚えた。
しかし──友達が自分にチャンスをくれた、失礼のないようにしなければ──そう思って楽屋についていった。
◇
寿志清純から性的暴行を受けそうになって逃げ出した美夏を、ゴシップ誌はあたかも加害者であるかのように報じた。仕事欲しさに大物監督に媚びを売り、天才の繊細な心を踏みにじった新人アイドル──その記事は、Studio Aster所属ライターが上からの指示で書いたものだったが、当時の美夏にそれを察するすべはない。美夏は捏造記事に傷つき、和解のために動かなかったことを後悔した。性的暴行を容認することはできないが、もう少しスマートに事後処理をしなければならなかったと反省した。




