第11話『私の知らない私』【1】
朝霧舞白の寮は、多くの芸能人が暮らす高級住宅街の一角にあった。大通りから一本入ると、街路樹の並ぶ静かな通りに、ガラス張りのエントランスを持つ瀟洒な高層マンションが建っている。夜になると、植え込みの間接照明が淡く足元を照らし、磨き上げられた石畳に街の灯りが滲んでいた。セキュリティも厳重で、Dream Gateの用意した一般のタレント寮とは明らかに格が違う。
舞白が自宅のドアを開けると、静かな部屋が彼女を迎えた。
舞白に与えられた部屋は、他のメンバーのものと比較して条件がよかった。美夏が暮らしている部屋よりも広く、窓も大きい。家具も最初から一通り揃っている。センターとして売り出す予定のタレントなのだから、これくらい当然なのだと、舞白は自分に言い聞かせていた。
靴を脱ぎ、バッグを置き、部屋の照明をつける。
白い光に照らされて、壁際に並んだものが浮かび上がった。
写真。CD。雑誌。アクリルスタンド。ライブグッズ。そして、月城律の写真。
「……ただいま」
誰もいない部屋で、舞白は小さく呟いた。
もちろん返事はない。それでも、写真の中の律はいつものように微笑んでいる。
舞白はその写真を見つめた。
この人に会いたかった。それが、アイドルになった理由だった。
歌が好きだったわけではない。ダンスが好きだったわけでもない。もちろん、それらを嫌っていたわけではないけれど、ただ、テレビの中で輝いている月城律を見ているうちに、いつしか思うようになった。
──いつか、あの人に会いたい。
──できることなら、同じステージに立ちたい。
そう思ったから、舞白は頑張った。
レッスンも。歌も、ダンスも。
そしてようやく、White Noiseのセンターという場所を手に入れた。なのに──
あの日、歌番組の生放送で、White Noiseの前まで律が歩いてきたとき、舞白は胸が高鳴った。きっと、自分に挨拶してくれる。舞白は、そう思っていた。センターなのだから、それが普通だと思っていた。けれど、律は、自分の前を通り過ぎた。そして美夏の前で立ち止まった。
あの瞬間の光景が、舞白の頭の中で何度も再生される。
『やぁ、麗しの歌姫』
『あなたにお会いできるのを楽しみにしていました』
舞白は唇を噛んだ。
──どうして。どうして美夏なの? 私のほうが目立つ場所にいた。私のほうがセンターだった。それなのに、どうして、私じゃなくて美夏のところに行くの。
律は、美夏を見ていた。
それが悔しかった。
そんな自分が、もっと嫌だった。
「……違う」
舞白は首を振る。
「美夏が悪いわけじゃない」
律が誰に挨拶をするかなんて、律の自由だ。
センターに挨拶しなければならないなんて不文律はない。
それに美夏だって、何も悪いことをしていない。
そんなこと、分かっている。
なのに胸の奥に、黒いものが残っている。
心当たりがないわけではない。ちょうどデビューが決まった頃から、舞白は奇妙な夢を見るようになった。その夢に、美夏が現れる。何度も何度も繰り返し彼女は舞白の夢に現れ、不穏な影を落としていく。
最初は、ただの夢だと思った。知らない場所。知らない人。知らない会話。そして美夏。目を覚ませば、ほとんど覚えていない。けれど、感情だけが残っている。泣きたくなるほどの悲しさ。胸を締めつける焦燥。何かを失ったような喪失感。そして──誰かを守らなければならないという、奇妙な使命感。
何度目かの夢を見た翌朝、舞白はマネージャーに相談した。
「デビュー前ですからね。いろいろ緊張しているのでしょう」
……そう言われた。
事務所を訪れるカウンセラーにも、似たようなことを言われた。
環境が変わったから。センターとしての責任があるから。新しい仕事が増えたから。知らない人間関係も増えたから。だからストレスが溜まっている。
舞白も、そうなのだろうと思った。そう思うしかなかった。
だけど夢は今も続いている。
最近では、以前よりも鮮明になっていた。
眠るのが怖いと思いながら、舞白はベッドに入った。
枕元に置いたスマートフォンのボタンを押し、律の写真を表示する。
「……いつか、ちゃんと話せたらいいな」
舞白は小さく笑った。
いつかきっと叶うだろう。律とはまだ一度しか会ったことがない。たった一度、自分ではなく美夏に挨拶しただけのことで、すべが終わるわけじゃない。希望はまだ、いくらでもある。そう思った瞬間、言葉にならない悲しみが、まるで秋の夜風のように胸の奥を吹き抜けた。




