第10話『復元』【2】
美夏はパソコンの電源を入れ、テキストエディタとWebブラウザを開いた。
そしてチャット型AIにアクセスする。
美夏はソファに身をうずめ、次元の彼方の記憶を探る。
回帰前。律から託されたUSBメモリの中には、月城智明が命を懸けて書き残した未完成の原稿が入っていた。美夏は一度だけその内容を読んでいる。全文を暗記しているわけではない。だが、重要な部分は忘れられなかった。あまりにも衝撃的だったからだ。
思い出せる限りの記憶を、美夏はテキストエディタに書き出した。
──芸能事務所を擁するコンテンツ製作会社『Studio Aster』。
──彼らは『人気が生まれる仕組み』を支配していること。
──スポンサー、テレビ局、出版社、広告代理店に影響力を持つこと。
──逆らった芸能人やクリエイターは、仕事を失うだけでなく、社会的に抹殺されること。
──事故や自殺として処理された不審死。
──内部告発者の証言。
──すべては取材記録と証拠を基に書かれていたこと。
キーボードを打つ指が止まる。細かな表現は思い出せない。すべて箇条書きだ。だが、書かれていた『事実』は、回帰しても変わらない。月城智明の死は、今から五年前。遺稿に書かれていたことは『すでに起きたこと』なのだから。
美夏は、テキストエディタに書いた内容を、チャット型AIの入力欄に貼り付ける。そして「ジャーナリスト月城智明のルポルタージュ風の文体で原稿を作成してください」と書き添えて、送信。
数秒後、画面に文章が流れ始める。悪くはない。一見すると、月城智明ぽく見える。だが、違う。彼の文章はもっと静かだった。筆者の思想や感情を交えずに、事実だけを淡々と積み重ねるタイプの文章だった。だからこそ恐ろしかった。
美夏は、出力された文章をテキストエディタにコピーし、手作業で修正する。過剰な比喩を消し、感情的な表現を削り、説明不足な箇所を加筆する。そして再びAIに加工を依頼する。また文章が生成される。手直しして、AIに渡す。
そんな作業を何度、繰り返しただろうか。
AIの生成した文章をチェックしていた美夏は、思わず手を止めた。
そこには、入力した覚えのない内容が記されていた。
AIの作成した原稿によると、Studio Asterは、著名なクリエイターの名義を買い取り、自社のスタッフにゴーストクリエイターをさせているという。クリエイター本人はとっくに引退しているのに新作はリリースされ続け、特殊メイクで変装した別人がメディアに顔を出す。名義の使用権はStudio Asterに帰属するから、どのような内容の作品が自分の名前で世に出ても、自分に化けた別人がメディアでどんなことを言っても、クリエイター本人は異議を唱えることができない──
「……何、これ」
美夏は眉を寄せた。
そんな話は、月城智明の遺稿には記されていなかった。
チャットAIの捏造だろうか。AIが、事実に反した作り話をあたかも事実であるかのように書くことは珍しくない。だから美夏はこの記述を削除しようとした。だが──
──まさか!
美夏の指が止まる。
暁文蓮とNo.404は同一人物だったはずだ。しかし昼間の打ち合わせでは、暁文は自分とNo.404は別人だと言っていた。だけどもし仮に、No.404に関する権利がStudio Asterに移っているのだとしたら、暁文蓮はその名義を名乗ることを禁じられる形になるのではないだろうか。
美夏は画面を見つめた。
根拠はない。真偽のほどは分からない。
AIの書いた情報が間違っているのだとしたら、この復元原稿の価値は落ちる。それでも美夏は、名義買い取りに関するこの記述を消すのは惜しい気がした。AIの生成した記述には、元になった情報があるはずだ。誰かの妄想かも知れないし、何かの物語かも知れない。あるいは全く関係のない出来事をベースに、AIが『Studio Asterの話』として再構築したのかも知れない。しかしStudio Asterの関係者がチャットAIに話した内容がソースになっている可能性だって、ないとは言い切れない。そして暁文蓮とNo.404の関係を見る限り、Studio Asterの内情にかすりもしないとは思えない。正確性は不明だが、ブラフとしては悪くない。美夏は削除キーから指を離し、ファイルを保存した。
時計を見ると、いつの間にか日付が変わっていた。
月城智明の遺稿の復元にはほど遠い。それでも、何もないよりはずっといい。もしもあの原稿がこの世から消されたとしても、この文章が残っていれば、すべてがゼロになることはない。
(私は、覚えている)
月城智明は命を懸けて真実を書いた。
その事実だけは、誰にも消せない。
美夏はデータを暗号化し、クラウドストレージに保存した。




