第1話『人生最期の契約』【2】
「そんな……冗談ですよね……?」
「冗談で、わざわざこんな場所に連れてくるわけがないだろう」
「いくら有名になれるからって、売名のために死ぬのは無理です。私には……」
「大切な恋人がいるから、か?」
天導はせせら笑いながら、ポケットからスマートフォンを取り出した。そして画面を美夏に見せる。そこには、一枚の写真が映っていた。夜景を背に寄り添いながら親密そうに笑い合う、人気アイドルグループPolarisの月城律と、White Noiseのメンバー・朝霧舞白。美夏の呼吸が止まった。
「月城律は君のことなど何とも思っていない」
嘘だと思いたかった。月城は、美夏に優しくしてくれた。忙しい合間にも連絡をくれたし、夢を応援するとも言ってくれた。そしてずっと一緒いると約束してくれた。自分に向けられた彼の笑顔が、今は舞白に向けられている。頭の中が真っ白になり、手が震えそうになる。
天導は、美夏の反応を愉快そうに眺めていた。
「君は月城に騙されたんだよ。こんな男に操を立てて寿志先生の好意を拒絶するとは、実に馬鹿な女だ。あの一件がなければ、White Noiseが干されることはなかっただろうに」
寿志先生。その名を聞いただけで、おぞましい記憶がよみがえる。映画監督としても知られる大物タレントの寿志清純が美夏に向けたものは、断じて好意などではなかった。美夏はテレビ局の控え室で寿志から性的暴行を受けそうになった。なりふり構わず逃げ出して、事なきを得たものの、引き替えにWhite Noiseは仕事を失った。
美夏は何かを言おうとした。しかし言葉にならない。
「星凪美夏。君は芸能界で成功する器ではなかったということだな」
天導は美夏の絶望に染まった表情を満足そうに眺めると、スマートフォンをポケットにしまった。
「もっとも、処分の理由はそこではない。決定打は他にある」
「……決定打?」
「月城律からUSBメモリを受け取っただろう? ジャーナリストの月城智明の遺稿が入ったUSBメモリだ」
心臓が止まったような気がした。どうして天導隆一が、そのことを知っているのだろう。一週間前のあの日、律は人目を避けるように小さなUSBメモリを美夏に手渡した。『父が残した取材データだ。誰にも見せるな』と小声で言いながら。
内容はもとより受け取ったことすら、美夏は誰にも話していない。事務所にも、メンバーにも、家族にも。知っているのは自分と律の二人だけのはずだった。
(まさか、そんな……)
美夏の背筋を冷たいものが這い上がる。自分は誰にも話していない。だとすると、情報の出所は一つしかない。さきほどの天導の言葉が脳裏によみがえる。『君は月城に騙されたんだよ』──足元が崩れそうになる。そんな美夏の様子を見て、天導は吹き出すように笑った。
「おいおい。恋人の律君を疑うのか」
その笑みは獲物をいたぶる捕食者のようだった。
「月城智明の遺稿を息子の律君が手に入れたのは最近の話だ。月城の遺稿は、彼を殺した者たちに奪われ、消息不明になっていた」
「事故死じゃなかったんですね」
「ああ。ファイルを見たなら分かるだろう。月城は芸能界のタブーを表沙汰にしようとした。だから殺されたんだよ。だが、最近になってたまたま、私が遺稿を入手してね、折角だから律君に返してあげたんだ。……通常の方法では検知できない特殊なウイルスを仕込んだ上でね」
美夏は目を見開く。
「誰かがファイルを開くと、端末情報が私に送信されるように細工していた。だから気づいたんだよ」
美夏の全身から力が抜けた。律が裏切ったわけではない。最初から、データそのものが監視されていたのだ。倒れそうになる美夏の身体を天導が受け止める。
美夏の脳裏に、USBメモリの中で見た資料がよみがえる。亡くなった月城智明の取材記録。芸能界の権力者たち。不可解な事故死。握り潰された証言。決して世に出ることのなかった真実。胸の奥が凍りつく。
……だからなのだ。売れなかったからではない。寿志に性接待をしなかったからでもない。芸能界が隠そうとしてきた『触れてはならないもの』に手を伸ばしてしまった。だから、消される。証拠ごと。自分という存在ごと。そうすることで売れなかったアイドルグループの宣伝になるのなら、やらない理由などないのだろう。
美夏の視界の外側で天導が静かに微笑んだ。
「……ようやく理解したか」
背後で砂利を踏む音が響いた。ひとつではない。いくつも聞こえる。美夏は天導から身を離そうとした。しかし彼の力は思いのほか強く、思うように動けない。美夏は背後に視線を向ける。見知らぬ男たちが、遊歩道の向こうから歩いてくるのが見える。派手な服装の者もいれば、黒一色の者もいる。首元や腕に刺青のある者も少なくない。笑っている者もいれば、無表情の者もいる。彼らに共通しているのは、夕暮れの遊園地にはひどく場違いな連中という一点のみだった。
「なるべく派手にやれ。逮捕されるのは、闇バイトで雇ったガキどもの役目だ」
天導の言葉で、男たちが一斉に動いた。美夏は悲鳴を上げ、必死にもがこうとした。しかし何も変えられない。腕をねじり上げられたかと思うと、鋭い蹴りが腹に入る。視界が大きく揺れ、世界が反転する。
天導は夕日の中で立ったまま、何も言わずに美夏を見ていた。その表情からは、怒りも、焦りも、迷いも、何一つ読み取れない。予定通りに進む仕事を見届けているだけのような顔。美夏はまるで荷物のように男の肩に担ぎ上げられ、遊園地の外れにあるバックヤードに運ばれていった。




