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帳簿を見て金をまかないといけないという博之。とりあえずと場に10万文まこう。

「旦那様。帳簿を見た以上、次は使い道でございます」

 ヨイチが帳面を閉じると、博之は畳に寝転がったまま、天井を見ていた。

「思ったんやけどな」

「はい」

「銭、たくさん使わなあかん」

「ようやくまともなことを言われましたね」

「ようやくってなんや」

「四百六十六万文を見て、怖がって寝るだけでは困りますので」

 博之はため息をついた。

「とりあえず鳥羽に十万文巻こうと思う」

 お花が茶を置く手を止めた。

「十万文、でございますか」

「うん。鳥羽は九鬼様の顔を立てなあかんし、南側の締めや。伊勢の下は鳥羽で一回止める。

 志摩の奥までは行かん」

 ヨイチが筆を取る。

「鳥羽に十万文。用途は」

「まず飯会。港と郊外やな。鳥羽の城下はちょっと待つ」

「城下は後回し」

「そう。港は多分やりやすい。魚もあるし、九鬼様の顔もある。郊外も寺社で飯会から入れば、

 そこまで苦労せん気がする。城下は武家筋が絡むから、最初から突っ込むと津の二の舞になる」

「少し学習されましたね」

「うるさい」

 お花は少し笑った。

「でも、鳥羽はよろしいと思います。九鬼様にはずいぶんお世話になっていますし、

 港で飯を出せば水軍衆にも喜ばれます」

「やろ。水軍衆には熱い汁と飯や。魚のすり身もできる。鮪鍋もいける。船から上がった者に、

 温かいもんを食わせる。それだけで価値あるやろ」

「はい」

「で、津の方も港は立ち上がった。あそこも長野の若い衆が手伝うなら、もう少し回るやろ」

 ヨイチが顔を上げた。

「長野家の若い衆を使うのですか」

「使うというか、手伝ってもらう。あいつら伊勢まで見て、だいぶ毒気抜けたやろ。

 料理人を連れてこいって言うぐらいやったら、自分らが荷を運べ、城まで飯を運べって話や」

「それは、先方の殿様もおっしゃっていましたね」

「そうそう。津の飯問題は、定期便を増やすところからや。松阪と津の間で、飯、草履、紙、油、

 味噌、そういうもんを回す。まず日用品やな」

「日用品ですか」

「飯だけ売っても続かん。草履がある、手拭いがある、紙がある、ちょっとした皿がある。

 そういう棚があるだけで、働く者の気持ちが変わる」

 お花が頷いた。

「旅に出る者や、港で働く者にはありがたいですね」

「そうや。せちがらい世の中で旅に出るんや。行った先の買い物棚に、ちょっとええもんが

 置いてあったら嬉しいやろ」

 博之は起き上がった。

「信楽焼も置こう。ただし、一人一個までや」

「一人一個?」

「まだ流通が細い。九鬼様も一万文分買う言うてる。うちの分もある。女衆も欲しがる。

 全部好きに買わせたら一瞬でなくなるし、値が跳ねる」

「制限は必要ですね」

「うん。信楽の小皿一枚、湯呑み一つ。そういう楽しみを少しずつ入れる。

 買えた者は嬉しい。買えなかった者は次を待つ。飢えさせるんじゃなくて、楽しみを待たせる」

 ヨイチが帳面に書き込む。

「鳥羽十万文。港・郊外飯会。城下保留。津港追加整備。松阪・津定期便増加。棚売り品、

 草履、紙、味噌、油、信楽焼は一人一個制限」

「また長いな」

「旦那様が長くしています」

 博之は少し得意げに言った。

「あと、棚に小物を置けば、食いっぱぐれてる奴らもやる気出るんちゃうか」

「どういう意味ですか」

「働けば飯が食えるだけやなくて、給金で小皿が買える、湯呑みが買える、草履が買える。

 ちょっとええ手拭いが買える。そういう小さい楽しみがあると、人は続くやろ」

 お花が目を細めた。

「旦那様、なかなか良いことをおっしゃいますね」

「やろ」

「これだけ銭が余っていて、ご自身がもてないことを理由に女の子たちに使わないところは、

 偉いと思います」

 博之は一瞬、固まった。

「そこ、褒め方として合ってる?」

「合っています」

「なんか刺さるんやけど」

 お花はにこりとした。

「もしそのような使い方をされたら、私たち女衆がキレます」

「怖い」

「店の金ですから」

「分かってるって」

「あと、見せ方も汚くなります」

「見せ方まで言われるんか」

 博之は本当に泣きそうな顔になった。

「お花さん、何に突っ込んで話してんねん」

「現実でございます」

 ヨイチが淡々と続けた。

「旦那様が女遊びに大金を使った場合、従業員の士気は落ちます。寺社の信用も落ちます。

 城主への説明も難しくなります」

「もうええ。分かった。使わん。飯と湯と皿に使う」

「それがよろしいです」

 博之は、少し拗ねたように腕を組んだ。

「しかし、俺がもてへんのをてこにして、飯屋が広がるって、なんか悲しいな」

「悲しいですが、役に立っています」

「さらに悲しいわ」

 お花は笑いながら茶を差し替えた。

「でも、鳥羽に十万文使うのは良いと思います。九鬼様にも銭が落ちますし、

 運搬関係にも仕事が出ます」

「そうやねん。九鬼様に払う。船方に払う。荷運びに払う。鳥羽の漁民に払う。

 寺社に飯を出す。働く者に給金を出す。こうやって銭が落ちれば、俺らも嫌われにくくなるやろ」

 ヨイチが顔を上げた。

「旦那様、だいぶ嫌われてはいないと思いますよ」

「ほんまか」

「少なくとも、飯と銭を回している場所では」

「限定付きやな」

「現実的です」

 博之は苦笑した。

「まあ、全部の人に好かれる必要はないけどな。飯を食って、少し楽になった人が増えたらええ」

「そのための鳥羽ですね」

「そう。鳥羽で南を締める。津を整える。伊賀・名張は小さく続ける。信楽焼は九鬼様と外にも流す。

 白子や関亀山は、その後や」

 ヨイチは頷いた。

「順番としては安定しています」

「やろ」

「ただし、帳簿は増えます」

「そこやな」

「鳥羽だけで、港、郊外、飯会、九鬼様への支払い、運搬費、採用、棚売り、信楽焼配分。

 最低でもこれだけ増えます」

「聞きたくない」

「聞いてください」

「楽しい帳簿やめろ」

「楽しいです」

「お前だけや」

 座敷に笑いが起きた。

 博之は、ふと庭の方を見た。

 松阪の子どもたちと、伊賀や名張から来た子どもたちが、信楽焼の小皿を十枚ずつ並べて数えている。

 女衆はその横で、棚に並べる小物を選んでいる。

 男衆は鳥羽へ出す荷の話をしている。

 銭は、ただ置いておけば怖い。

 けれど、人の手に渡り、飯になり、湯になり、草履になり、皿になれば、少しだけ怖さが薄れる。

「ほな、決まりやな」

 博之は言った。

「鳥羽に十万文。港と郊外から。城下は待つ。津は港を厚くする。棚売りを増やす。

 信楽焼は一人一個まで。九鬼様にはちゃんと払う」

 ヨイチが筆を置いた。

「記しました」

「早いな」

「逃げられる前に」

「逃げへんて」

「逃げます」

 お花が笑いながら言った。

「旦那様、これでまた忙しくなりますね」

「嫌やなあ」

「でも、楽しそうです」

「楽しいというか、怖い」

「怖いなら、丁寧に進めましょう」

「そうやな」

 博之は、ようやく少しだけ笑った。

「飯屋が大きくなるんやなくて、飯の道が増えるんや。そう思えば、まあ、ええか」

 ヨイチがすぐに言った。

「飯の道が増えると、帳簿の道も増えます」

「最後にそれ言うな」

 それでも、次の方針は決まった。

 鳥羽へ十万文。

 津の港を厚く。

 伊賀・名張は細く長く。

 信楽焼は少しずつ。

 九鬼水軍にも、運ぶ者にも、働く者にも銭を落とす。

 博之は、また天井を見上げた。

 銭を抱えるより、使う方が怖い。

 だが、使わなければ、飯屋ではない。

 次の半月は、鳥羽の飯会から始まることになった。

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