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松坂に到着してからあちこちに挨拶に行く伊賀の地侍。松坂郊外の和尚のところで色々話す。

信楽焼を無事に持ち帰った地侍たちは、松阪に来たついでに、あちこちへ顔を出すことになった。

 伊勢松坂屋の店だけではない。

 松阪の上の方への挨拶。

 郊外の寺。

 日頃から寄進を受けている神社。

 そして、飯会や炊き出しで縁のある寺社。

 博之に言われた通り、ただ物を運んできただけでは終わらせない。

 どこで何を買ったか。

 道中どこが危なかったか。

 信楽ではどんな者が焼き物を売っていたか。

 どの皿が店で使えそうか。

 大和の方では葛や素麺の話があり、奈良の寺社周りでは少し荒い話も聞いたこと。

 そういうものを、ひとつひとつ話して回る。

 最初は、地侍たちもぎこちなかった。

 ついこの間まで、彼らは人を脅す側だった。

 飯屋の前に来て、身代金だ護衛料だと騒いだ。

 それが今は、伊勢松坂屋の袴を着て、信楽焼の小壺を抱え、寺や神社で頭を下げている。

 自分たちでも、少し可笑しかった。

 松阪郊外の寺へ行くと、和尚はすぐに笑顔で迎えた。

「おお、戻られましたか。信楽焼は無事でしたかな」

 年かさの地侍は、深く頭を下げた。

「はい。いくつか割ってしまいましたが、なんとか持って帰りました」

「それはよろしい」

 和尚は、小皿を一枚手に取って眺めた。

「これは、なかなか味がありますな」

「正直、私らには良し悪しが分かりませんでした」

「それでよいのです。分からぬなら、分からぬまま聞けばよい。最初から目利きである

 必要はありません」

 地侍は、少しだけ表情を緩めた。

「あの時は、本当に失礼しました」

 和尚は、静かに首を振った。

「あの時?」

「この寺で旦那に飯を食わせてもらう前です。私ら、ずいぶん無礼なことをしました」

「確かに、なかなか物騒でしたな」

「すみません」

「ですが、今こうして信楽焼を持ってきて、話をしている。道が少し変わったのでしょう」

 地侍は、小さく頷いた。

「はい。なんか、ちょっと道が開けた気がします」

「それはよろしい」

 和尚は嬉しそうに笑った。

「これからも来てください。私としては、面白い話が聞けるだけでもありがたい。

 信楽の話、大和の話、奈良の寺の話、伊勢の話。ここにいるだけでは、なかなか聞けませんからな」

「そんなものでよければ」

「十分です」

 和尚は、ふと地侍たちの後ろを見た。

「ところで、その子どもたちは?」

 そこには、名張と上野から連れてこられた子どもたちが四、五人、少し緊張した様子で立っていた。

 年かさの地侍が、苦笑した。

「連れてきました」

「何をしておるのです」

「いろんなところを見させてるんです。別に仕事ではありません。けど、松阪の店を見て、

 皿が使われているところを見て、飯が売れているところを見れば、やる気が出るかなと思いまして」

 和尚は、子どもたちを見る目を柔らかくした。

「なるほど」

「向こうで混ぜ飯を食わせたり、山菜天ぷらを食わせたりしても、美味しいで終わってしまうんです。

 でも、松阪に来たい、店を見たい、湯浴みしたいと言うようになりました」

「良いきっかけです」

「今度、伊賀と名張に小さな横丁を作ってくれる話も出てます。街中の大きなものではなく、

 飯場みたいな小さなものですけど」

「それは大きいですな」

「はい。まずは、団子を焼くぐらいならできそうな子から始めてもらおうかと。

 餅を焼く、味噌を塗る、皿を数える、客に渡す。そういうところから、

 店に馴染ませるのがいいかなと」

 和尚は、しみじみと頷いた。

「うちと一緒ですな」

「うち、ですか」

「伊勢松坂屋も、最初から大きかったわけではありません。飯を食わせ、薪を運ばせ、

 少しずつ仕事を覚えさせた。今の子らも、最初は飯目当てでよいのです

 地侍は、少し遠い目をした。

「上野の方は、まだ荒れてます。口減らしみたいな話もあります。食えない子どももいます。

 正直、全部助けるなんて無理です」

「全部は無理です」

 和尚は、はっきり言った。

「ですが、ひとつ場所を作ることはできます。飯を食える場所。数を覚える場所。怒鳴られずに、

 皿を割って怒られ、またやり直せる場所。そういうところが一つあるだけで、救われる者はおります」

「皿を割って怒られるのは、救いなんですか」

「命を取られぬなら、救いでしょう」

 地侍は、苦笑しながらも頷いた。

「確かに」

 和尚は、子どもたちの方を見た。

「それに、子どもは子ども同士で学びます」

 その言葉の通り、庭先ではいつの間にか、松阪の子どもたちと、名張・上野の子どもたちが

 話し始めていた。

「なあ、あんたらどこから来たん?」

「上野」

「上野って遠いん?」

「遠い。山道しんどい」

「泣いた?」

「泣いてへん」

「ちょっと泣いたやろ」

「ちょっとだけ」

 松阪の子どもが笑う。

「ここの飯うまいやろ」

「うまい」

「湯浴み入った?」

「まだ」

「ええで。めっちゃあったかい」

「ほんま?」

「ほんま。あと、店で余ったすり身もらえる時ある」

「すり身って、あの魚のやつ?」

「そう。揚げたやつ」

「食いたい」

「数、数えられたら手伝わせてもらえるかもな」

「数はちょっとできる」

「十枚ずつ皿分けるんやで」

「それ、和尚さんにやらされた」

「こっちもやらされるで」

 子ども同士の会話は、妙に早い。

 大人がどれだけ説明しても届かなかったものが、子ども同士の一言で届くことがある。

 上野の子どもが、松阪の子に聞いた。

「ここで働いたら、毎日飯食えるん?」

「食える。けど、めっちゃ働くで」

「怒られる?」

「ヨイチさんに怒られる」

「怖い?」

「怖い」

「旦那さんは?」

「変」

「変なん?」

「変。でも飯くれる」

 それを聞いていた博之が、少し離れたところから思わず言った。

「誰が変や」

 子どもたちは一斉に笑った。

 和尚も笑い、地侍たちもつられて笑った。

 年かさの地侍が、ぽつりと言った。

「子どもら、もう馴染み始めてますな」

「早いものです」

 和尚は頷いた。

「飯を一緒に食うと、早いです」

「本当に」

 地侍は、庭に並んだ子どもたちを見ながら言った。

「最初は、松阪に連れてくるのは贅沢やと思いました。危ないし、しんどいし、

 泣き言も言うやろうし。でも、連れてきてよかったかもしれません」

「ええ。目で見ることは大きいです」

「向こうに帰ったら、今度はこの子らが話すでしょうな。松阪の飯がうまかった、

 湯浴みがあった、皿を数えた、店で人が動いてたって」

「それが、次の子らのきっかけになります」

 和尚は、小皿をそっと置いた。

「信楽焼は器です。けれど、今日は器だけではなく、話も運んできましたな」

「また和尚さん、ええこと言いますね」

「寄進をいただいておりますので」

「それ、旦那も言われてました」

 和尚は笑った。

「伊勢松坂屋の周りでは、飯も銭も話も回ります。今度は、子どもたちも回り始めるのでしょう」

 地侍は、少し照れたように頭を下げた。

「これからも、よろしくお願いします」

「こちらこそ。面白い話を持ってきてください。代わりに、子どもたちが飯と学びにつながるよう、こちらも見守りましょう」

 庭では、松阪の子どもが上野の子どもに、小皿を十枚ずつ並べるやり方を教えていた。

「ほら、十枚で一組」

「十枚」

「それが三つで?」

「三十」

「できるやん」

「できた」

 上野の子どもは、少し誇らしげに笑った。

 その顔を見て、地侍は小さく息を吐いた。

 人を脅して得る一万文より、皿を数える子どもの笑顔の方が、なぜかずっと重く見えた。

 松阪の郊外の寺で、またひとつ、道がつながり始めていた。

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