長野家の件がひと段落したころ、伊賀方面の信楽焼買付隊と住人があいさつに来た。伊賀に拠点を作るぞ
長野家の件が、ひとまず落ち着いた。
怒鳴り込んできた若い衆を飯で黙らせ、松阪の上の方に見せ、九鬼水軍の船で伊勢まで連れて行き、
内宮の端の店を見せる。帰れば帰ったで長野家でも叱られ、ようやく「津は港から、頭を下げて、
順番に」という話になった。
博之としては、一件落着である。
「もうしばらく何も起きんやろ」
そう言って、座敷でごろごろしていた。
ヨイチは冷たい目で見た。
「旦那様がそう言う時ほど、何か来ます」
「やめろ」
「来ます」
その言葉通り、表から声が上がった。
「伊賀方面から荷が届きました」
博之は、顔だけ上げた。
「……ほら来た」
「旦那様が呼んだ道です」
「俺が悪いんか」
「はい」
庭先へ出ると、例の地侍たちが立っていた。以前より少しだけ顔つきがましになっている。
だが、髭は相変わらず濃い。
背には藁で包んだ荷。いくつも積まれている。
年かさの地侍が、少し照れくさそうに頭を下げた。
「旦那。信楽焼、持ってきました」
「おお」
「道中で一個、二個割れました。すみません」
「割れたんか」
「はい。けど、これぐらいは無事に届きました」
荷をほどくと、小皿、茶碗、湯呑み、小壺、味噌壺が次々と出てきた。色味は渋く、
手触りも悪くない。ところどころ不揃いだが、それがかえって味に見える。
お花が一枚、小皿を手に取った。
「これは、良いですね」
ヨイチも湯呑みを見て頷いた。
「店の普段使いでも十分使えます」
「やろ」
博之は茶碗を持ち上げ、裏を見た。
「これ、ええやん。すり身をのせてもええし、葛湯にも使える。茶碗も普通に使える。
小壺は味噌や油にも使えるな」
地侍の一人が、不安げに言う。
「でも、これ二十文とか三十文で買ってきたんですけど」
博之は首を振った。
「いや、これは三倍でも買うやつおる」
「三倍?」
「おる。少なくとも、うちの女衆や男衆は買う。給金もあるし、信楽焼やぞ。
松阪や伊勢でそうそう手に入るもんちゃう。しかも道中の危険、割れる危険、運ぶ手間がある」
ヨイチが補足した。
「二十文で仕入れて六十文。三十文で仕入れて九十文。それでも、松阪や伊勢では十分通ります」
地侍たちは顔を見合わせた。
「ほんまにそんな値で」
「売れる」
お花がきっぱり言った。
「特に小皿と湯呑みは売れます。女衆が欲しがるでしょうし、店で使えば店の格も上がります」
「格?」
「同じすり身でも、信楽の小皿にのせれば見え方が変わります」
博之はにやりと笑った。
「やっぱり器は大事やな。飯は器でも値段が変わる」
ヨイチは帳面を開いた。
「初回一万文。次回はどうされますか」
「三万文にする」
「即決ですね」
「届いたからな。ちゃんと戻ってきた。割れも少ない。物もいい。なら増やす」
地侍たちは目を丸くした。
「三万文も預けるんですか」
「預ける。ただし帳面はつけろ。何をいくらで買ったか。何個買って、何個割れたか。そこは絶対や」
「分かりました」
「あと」
博之は年かさの地侍をじっと見た。
「髭、なんとかならんか」
その場が一瞬、静かになった。
地侍は真顔で言った。
「それは無理です」
「なんでや」
「伊賀の道中で、髭は絶対いります」
「絶対なんか」
「はい。髭剃ったら、なめられます」
若い地侍も真剣に頷く。
「この顔で袴着てるから、まだ通るんです。髭までなくしたら、ただの小ぎれいな変な男になります」
博之は噴き出した。
「小ぎれいな変な男」
お花も笑いをこらえ、ヨイチですら少し口元を緩めた。
「ほな、髭は許す。ただし、清潔にはしろ」
「それはします」
「湯浴みも入れ」
「入ります」
笑いが落ち着いたところで、博之は少し真面目な顔になった。
「それでな。信楽焼がちゃんと届いたとなると、伊賀と名張の重要性が上がる」
「重要性、ですか」
「中継地点や。信楽から伊賀、名張、そこから松阪。道ができる。これを続けるなら、
伊賀と名張に小さな拠点がいる」
名張の代表が、驚いたように顔を上げた。
「横丁を作るということですか」
「街の横丁みたいなのは無理や。魚も出せへん。すり身も松阪や伊勢ほどは出せへん。
けど、小さくならできる」
「小さく」
「混ぜ飯、山菜天ぷら、焼き味噌餅、葛湯。あと信楽焼の中継。飯場と荷の置き場と、
子どもらの勉強する場所。それぐらいやな」
上野の者が、震える声で言った。
「うちの土地なんて、ただ同然です。使ってくださるなら、ありがたいです」
「ただではやらん」
博之はすぐに言った。
「人件費も出す。うちと同じ水準でな」
「同じ水準ですか」
「そうや。安く使って終わりやと、町に銭が落ちへん。銭が落ちへんと、飯が売れへん。
飯が売れへんと続かん」
ヨイチが頷く。
「働く者だけ待遇がよくなっても、周りから狙われます」
「そういうことや」
博之は地侍たちを見た。
「あんたらだけが銭持って、周りが飢えてたら、今度はあんたらが襲われる。
だから横丁の周りにも銭が回るようにする。混ぜ飯を作る者、山菜を採る者、油を運ぶ者、
子どもに数を教える者、護衛する者。じゅんぐりじゅんぐり回す」
名張の代表は、深く頭を下げた。
「そこまで考えてくださるのですか」
「考えんと、結局揉めるからな」
「ありがたいです」
「最終的には、伊賀と名張に一つずつ。様子を見て、横丁を二つまで渡そうかと思ってる」
その言葉に、その場がざわついた。
「二つも」
「もちろん、すぐやない。まずは信楽焼の便を三万文に増やす。混ぜ飯と山菜天ぷらを試す。
子どもらが数を覚える。地元で働ける者が出る。そこまで見てからや」
ヨイチが帳面に書きながら言う。
「伊賀・名張、小規模横丁候補。信楽焼中継、飯場、学び場、護衛拠点。初期費用は検討」
「お前、もう書くんか」
「逃げられる前に」
博之は苦笑した。
「それと、信楽が重要拠点になる。先々は信楽にも店を出せたら面白い」
「信楽にも」
「焼き物の町や。器と飯は相性がいい。小皿で山菜天ぷら、湯呑みで葛湯、壺で味噌。
やれることはある」
さらに博之は、名張の者へ向いた。
「大和の方も続けてくれ。葛、素麺、寺社の噂話、僧兵の動き、京や大坂の話。品が少なくても、
話があるなら価値がある」
「承知しました」
「採用も考える。伊賀は規模は小さいけど、重要や。普通の飯炊きだけやなく、護衛できる侍もいる。
食いっぱぐれてるやつで、真面目にやり直す気があるなら目当てを立ててくれ」
地侍の一人が、少し笑った。
「俺らみたいなやつですか」
「そうや。ただし、脅しに来る前に連れてこい」
「それは、はい」
少し笑いが起きた。
年かさの地侍が、急に真面目な顔になって頭を下げた。
「旦那、めちゃくちゃありがとうございます。ほんま、うちの領主様になってほしいぐらいです」
博之は、即座に顔をしかめた。
「嫌や」
「即答ですか」
「面倒くさい。しかも、その辺のコワモテを扱うほど、俺も暇じゃない」
「でも、今扱ってますやん」
「扱わされてるんや」
ヨイチがぼそりと言う。
「実質、かなり扱っています」
「言うな」
お花が笑った。
「旦那様は領主にはなりたくない。でも、飯と銭の道は作ってしまうのですね」
「ほんま、それが一番怖いわ」
博之は、信楽焼の小皿を一枚手に取った。
不揃いで、少し重く、土の匂いがする。
だが、これが道を作った。
伊賀から信楽へ。
信楽から名張へ。
名張から松阪へ。
そして松阪から伊勢へ。
皿一枚が、飯と銭と人を動かす。
「三万文や」
博之は改めて言った。
「次は三万文。ちゃんと持って帰ってこい。割れてもええ。ただし、嘘はつくな。何を買って、
何を割って、何が売れそうか、全部話せ」
地侍たちは、今度はしっかりと頭を下げた。
「承知しました」
博之は頷いた。
「ほな、まず飯食え。皿運んできたんやから、腹減ったやろ」
地侍たちの顔が、ぱっと明るくなった。
ヨイチが小さくため息をつく。
「結局、飯で締めるのですね」
「飯屋やからな」
博之はそう言って、少しだけ笑った。




