表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

187/222

5月2種目末。楽しい帳簿の時間wwwとんでもない利益が乗る。お伊勢さん怖い。設備や寄進に金かけたよな。228万文→337万文

「旦那様。楽しい楽しい帳簿の時間です」

 五月の二週、末の帳面を抱えて、ヨイチがにこりともせず座敷に入ってきた。

 博之は布団の上で、即座に顔を背けた。

「数字、見たくねえよ」

「見ないと、あとでもっと怖いことになります」

「もう今でも十分怖い」

「では、もっと怖くならないために見ます」

「言い方が脅しやんけ」

「帳簿とは、そういうものです」

 お花が茶を置きながら、少し笑った。

「旦那様、今回はだいぶ動きましたからね」

「動きすぎてるんや。松阪、伊勢、津、名張、上野、信楽、大和の相場調査まで出てきとる。

 飯屋の帳簿ちゃうやろ」

「飯屋の帳簿です」

 ヨイチは淡々と帳面を開いた。

「まず松阪です」

「もう嫌や」

「普通の横丁、棚売り、買い付け便、その合計で九十五万文です」

「九十五万……」

「はい」

「もうその時点でおかしい」

「続けます。まず謎の十万文を引いております」

「謎ってなんやねん」

「寄進、挨拶、土産、急な手当、何か起こった時の調整分です」

「便利な謎やな」

「必要な謎です」

「嫌な言葉やな」

「さらに仕入れ関係二十万文、維持費十万文、家賃五万二千文、人件費三十八万文」

 博之は指で計算しようとして、すぐ諦めた。

「もう分からん」

「結果、松阪の残りは三十一万三千文です」

「また増えとるやんけ」

「増えています」

「謎の十万引いて、人件費三十八万払って、それでも三十一万残るんか」

「はい」

「怖い怖い怖い」

 ヨイチは、まったく動じずに続けた。

「それと、港町の方で新たに海産物関係の店を開いておきました」

「勝手に開くなよ」

「要望が多かったので」

「要望が多かったら店開くんか」

「旦那様もいつもそうしています」

「俺は勢いや」

「こちらは帳面を見てやっています」

「余計腹立つな」

 お花が苦笑した。

「港の方では、魚のすり身、鮪の下処理、干物、塩魚など、かなり需要があります。

 開けておく方が自然かと」

「まあ、港はな。魚のすり身と鮪があるから、店はいるか」

「はい」

「でも勝手に開くな」

「次から報告します」

「開く前に報告して」

「善処します」

「それ、やるやつやん」

 ヨイチは次の頁を開いた。

「続いて伊勢です」

 博之は、すでに顔をしかめていた。

「伊勢はほんま怖い」

「伊勢の売上は百二十万四千文です」

「桁、変わっとるがな」

「お伊勢さんパワーです」

「軽く言うな」

「内宮の端で売るすり身、鮪、伊勢の町の横丁、港側の売上、買い付け関係、全部乗っています」

「怖い怖い怖い」

「ここから、まず謎の十万文を引いております」

「また謎か」

「寄進関係、内宮まわりの挨拶、周辺の店への買い食い、寺社への手当、揉めないための費用です」

「謎やけど謎じゃないな」

「はい。必要な謎です」

「その言い方やめろ」

「さらに勤勉費、つまり働き手の手当と教育、三十万一千文。維持費十万九千文。家賃三万五千七百文。

 その他調整も含めまして」

 ヨイチはそこで一拍置いた。

「伊勢の残りは七十七万八千文です」

 座敷が静かになった。

 博之は口を開けたまま固まった。

「……七十七万?」

「七十七万八千文です」

「残りが?」

「はい」

「謎の十万引いて?」

「はい」

「勤勉費三十万も引いて?」

「はい」

「維持費も家賃も引いて?」

「はい」

「お伊勢さん、怖すぎるやろ」

「怖いです」

 ヨイチも、さすがに少しだけ真顔になった。

「ただ、これは今の伊勢の勢いがそのまま乗った数字です。今後、周辺との調整や人の入れ替わり、

 津の立ち上げなどで増減はあると思います」

「それでも怖いわ」

「はい」

 博之は頭を抱えた。

「で、合計は?」

「前回残高が二百二十八万八千文」

「うん」

「松阪の三十一万三千文を加えます」

「うん」

「伊勢の七十七万八千文を加えます」

「……」

「おめでとうございます。三百三十七万九千文になりました」

 博之はそのまま後ろに倒れた。

「もう怖いよ」

「増えました」

「増えすぎやろ」

「増えすぎです」

「ヨイチまで認めるな」

「認めざるを得ません」

 お花も静かに息を吐いた。

「三百三十七万九千文……」

「一年前、冷や飯と薄い味噌汁やったんやぞ」

「はい」

「豚汁屋やぞ」

「今も飯屋です」

「もう飯屋の皮をかぶった何かやろ」

「飯屋です」

 ヨイチは帳面を閉じず、さらに続けた。

「なお、津の方は立ち上がりました」

「おお、それは良かった」

「ただし、今回の収益には入れておりません」

「まだ入ってへんのか」

「はい。設備、仕込み、人の配置、港との調整が中心です。魚のすり身と鮪が本格的に乗るのは

 来期以降です」

「来期、また怖いやつやん」

「怖いやつです」

「言うな」

「ですが、津の港が回り始めれば、魚の仕入れと加工が安定します。松阪と伊勢だけでなく、

 津の品も定期便に乗せられます」

「人も雇わなあかんな」

「はい。津は港から人を取る必要があります。魚を扱える者、すり身を練れる者、揚げ場、売り子、

 帳面を見る者、荷運び」

「また人が増える」

「増えます」

「岩見もいるな」

「はい」

 お花が頷いた。

「伊勢も津も、働き手が増えるなら湯浴み場は厚めに整えた方がよろしいかと。

 特に海辺は匂いや汚れもあります」

「伊勢の海辺も、もう少し厚めにやるか」

「はい。岩見関係、洗い場、服の替え、女衆用の仕切り、男衆用の場所も必要です」

「了解了解」

 ヨイチが即座に筆を動かした。

「伊勢海辺、湯あみ強化。津港、立ち上げ後に同様の設備検討」

「書くの早いな」

「逃げられる前に」

「逃げへんて」

「逃げます」

 博之はため息をついた。

「三百三十七万九千文か……」

「はい」

「これ、持ってるだけでも怖いな」

「使い道はあります。津、伊勢海辺、岩見、人の採用、信楽焼、大和の葛と素麺調査、結婚祝い金、

 袴と紙」

「使い道ありすぎて、結局残らんやつやん」

「使うために増えているとも言えます」

「ええこと言ってるようで怖い」

 お花が微笑んだ。




「でも、旦那様。これだけあれば、働く人の寝床や湯浴み、飯の質を上げられます。津の港でも、

 最初から少し整えた形で始められます」

「そうやな」

 博之は天井を見ながら、少しだけ落ち着いた声で言った。

「金が増えたからって、調子乗って城でも建てるわけちゃう。飯と風呂と寝床と道具やな」

「はい」

「それと、揉めないための謎の十万」

「必要な謎です」

「もうそれ正式名にすな」

 座敷に笑いが起きた。

 博之は帳面をちらりと見た。

 怖い数字だった。

 だが、数字の向こうには人がいた。

 松阪の横丁で働く者。

 伊勢の内宮で紙に包んだすり身を売る女衆。

 津の港で魚を出す漁民。

 信楽焼を運ぶ元地侍。

 名張と上野の子どもたち。

 これから採る新しい者たち。

 怖いが、目覚めは悪くない。

 博之は小さく呟いた。

「ほんま、飯屋って金かかるな」

 ヨイチが即答した。

「旦那様の飯屋が特別です」

「それ、最近便利に使いすぎやぞ」

「事実です」

 帳簿の時間は、まだ終わらない。

 だが、少なくとも今回も、飯の道は前へ進んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ