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縁談の悩みを伊勢松坂屋の女衆が湯あみで話すとそれを聞いたお花さんが博之にやんわり話すと伝える

伊勢松坂屋が大きくなるにつれて、飯だけではなく、人の縁も動くようになっていた。

 郊外の寺での炊き出し。

 神社での飯会。

 港での振る舞い。

 そして和尚たちが間に入る、ゆるい縁結びの場。

 最初は、ただ飯を食う場だった。

 けれど、何度も顔を合わせるうちに、話す者が出てくる。

 飯を配る女衆に声をかける男がいる。

 荷運びを手伝う若い侍がいる。

 寺の手伝いに来た者と、横丁の女衆が何度か顔を合わせる。

 そうして、気がつけば十組ほどが結婚していた。

 博之がそれを知った時は、しばらくぽかんとしていた。

「十組って、だいぶやんけ」

 お花は少し困った顔で笑った。

「旦那様が気づいておられなかっただけです」

「なんで言わへんねん」

「言うと、座談会を開こうとされるので」

「開くやろ。面白いやん」

「だから言わなかったのです」

 結婚した者には、祝い金として千文を渡すことになった。

 手切れ金ではない。

 辞める者には、これまで働いた証として焼き印と朱印を渡す。古参の者で、

 飯を作れる者には、のれん分けに近い形で、伊勢松坂屋の印を預けることもある。

 もちろん、結婚したからといって必ず辞めるわけではない。

 夫婦で外に家を持ち、どちらか、あるいは両方が働き続けることもできる。

 店内で同じ場所に置くと情が絡むので、そこは旦那同士、女衆同士、そしてお花やヨイチも

 交えて相談する。

 中には、夫よりも女衆の方が稼ぎのよい家もあった。

「旦那さんが尻に敷かれる形になるかもしれませんね」

 和尚が笑って言ったことがある。

 実際、そうなりそうな夫婦もあった。

 伊勢松坂屋の女衆は、買い付けもする。

 飯会にも出る。

 内宮にも行く。

 津や伊勢の港にも顔を出す。

 給金も悪くない。

 場合によっては、そこらの若い男よりずっと銭を持っている。

 それは誇らしいことでもあった。

 けれど、少し困ったことも起き始めていた。

 湯あみの湯上がり、女衆たちが髪を乾かしながら、ぽつぽつと話していた。

「最近、お寺の縁結びで話す人、だいたい同じこと聞いてくるよな」

「分かる。伊勢松坂屋さんなんですよね、ってまず言われる」

「買い付け方なんですか、とか」

「内宮に行ったことあるんですか、とか」

「給金ええんですか、とか」

「湯浴みできるって本当ですか、とか」

「まかない、どんなもの食べてるんですか、とか」

 女衆の一人が、ため息をついた。

「いや、話題にしてくれるのはありがたいんやけどな」

「うん」

「でも、私の話やなくて、伊勢松坂屋の話を聞きに来てるみたいな時ある」

「ある」

 別の女衆が、膝を抱えた。

「私のこと見てくれてるんかなって、ちょっと思う」

 その言葉に、周りが静かになった。

 伊勢松坂屋の名前は、もう小さくなかった。

 松阪ではもちろん、伊勢、津、港、寺社、内宮の端にまで名が出ている。丸に井戸の井の

 朱印紙を見れば、知っている者も増えてきた。

 その中で働く女衆というだけで、相手の目が変わる。

「恵まれてるのは分かるんやけどな」

 一人が言った。

「昔、飯にも困ってた頃に比べたら、贅沢な悩みやと思う」

「そうやねん」

「無一文の頃なら、そんなこと言ってられへんかったと思う」

「でも、なんかね」

 皆が頷いた。

 嫌ではない。

 むしろ、ありがたいことも多い。

 伊勢松坂屋の女衆というだけで、粗末に扱われにくい。

 話しかけてもらえる。

 縁談の場にも出やすい。

 相手の家も、ある程度安心してくれる。

 けれど、肩書きが先に立ちすぎる。

「せっかく話してても、すぐ伊勢松坂屋の話になるんよ」

「分かる。内宮のすり身ってほんまに百文なんですか、って」

「それ、私やなくてもええやんってなる」

「買い付け楽しいですか、とかならまだええけど」

「給金いくらですか、は嫌やわ」

「それ聞く?」

「聞く人おる」

 女衆たちは、少し笑いながらも、どこか疲れていた。

「本当はさ」

 一人がぽつりと言った。

「次に歌の会があるんで、一緒に行きませんか、とか。寺の縁日で何か見ませんか、とか。

 そういうふうに話をつないでくれたらええのに」

「分かる」

「飯の話でも、今度あそこの餅食べに行きませんか、とかならええねん」

「そうそう。伊勢松坂屋のまかないってどんなんですか、で終わるんやなくて、

 じゃあ今度一緒に食べに行きましょう、みたいにしてほしい」

「揉ん切り型なんよな」

「みんな同じこと聞く」

「伊勢松坂屋の女衆と話してる自分、みたいになってる人おる」

「言い方きついけど、分かる」

 湯気の残る岩見の部屋で、女衆たちはぶつぶつ言い合った。

 中には、きゃあきゃあと楽しんでいる子もいる。

「でも、伊勢松坂屋の女衆って言われるの、ちょっと気分ええやん」

「まあ、それはある」

「内宮行ったことあるって言うたら、めっちゃ驚かれるし」

「それは楽しい」

「買い付け方の話も、相手がちゃんと面白がってくれるなら楽しい」

「問題は、そこから私の話にならんことやな」

「そう」

 そこへ、お花が様子を見に来た。

「何をそんなに盛り上がっているのですか」

 女衆たちは顔を見合わせ、少し迷ってから、一人が言った。

「お花さん、今度、旦那様にも相談してええですか」

「縁談のことですか」

「はい。結婚した人たちも増えてきたし、婚活の場も増えてるんですけど……伊勢松坂屋の

 名前が大きくなりすぎて、なんか、私たちを見てるんか、店を見てるんか分からない人が増えてきて」

 お花は、少しだけ真面目な顔になった。

「なるほど」

「肩書きを見られてる感じがして、しんどい時があります」

「それは、大事な話ですね」

「別に、文句ばっかり言いたいわけじゃないんです。恵まれてるのは分かってます。昔よりずっといい。

 けど……なんか、話してても楽しくない時があって」

 お花は静かに頷いた。

「旦那様に話しましょう。ただし、旦那様は面白がって座談会を開こうとするかもしれません」

 女衆たちは一斉に顔をしかめた。

「それは嫌です」

「絶対嫌です」

「本人たちの恋愛話として茶化されたくないです」

「では、私から少し形を整えて話します」

 お花は微笑んだ。

「それに、これは店としても考えるべきことです。伊勢松坂屋の名が、人を守ることもありますが、

 人を隠すこともある。そこは旦那様にも分かっていただきましょう」

「分かってくれますかね」

「旦那様は、人の恋愛話は面白がりますが、人がちゃんと見られていない話には、

 たぶん真面目になります」

「ほんまですか」

「たぶん」

「たぶんなんですね」

 少し笑いが起きた。

 お花は続けた。

「縁結びの場では、伊勢松坂屋の話ばかりにならないよう、こちらからも話の運び方を考えましょう。

 歌の会、寺の手伝い、買い食い、飯会の後片づけ。そういう場で、自然に話せるようにするのが

 よいかもしれません」

「それ、いいです」

「肩書きより、何を見て笑うか、何を食べてうまいと言うか、そういうところが見える方がいいですね」

 女衆たちは頷いた。

 湯あみの湯気の中で、話は少しずつ落ち着いていった。

 結婚は増えている。

 縁はできている。

 祝い金も出る。

 外に家を持つ者もいる。

 けれど、伊勢松坂屋の名が大きくなるほど、その中にいる一人一人が見えにくくなることもある。

 それは、飯屋が大きくなった証でもあった。

 女衆の一人が、最後にぽつりと言った。

「うちの名前が大きいのはありがたいんですけどね」

 別の一人が頷く。

「でも、私らは看板やなくて、人ですからね」

 お花は静かに頷いた。

「その通りです」

 そして、心の中で思った。

 これは旦那様に話さなければならない。

 ただし、座談会にされる前に、ちゃんと釘を刺してから。

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