表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

184/289

大事もなく日増していたが長野家からの手紙が届き内容も偉そうでむかつくwww

 一方そのころ、博之は暇をしていた。

 正確に言えば、やることは山ほどあった。

 内宮の店は動き始めている。

 伊勢の上司にも挨拶を済ませた。

 松阪の上司にも、飯と土産話を持って顔を出した。

 津の港の話もある。

 信楽焼、大和の葛、三輪素麺、名張と上野の子どもたちの話もある。

 だが、目の前に差し迫って刀を突きつけられているわけではない。

 怒鳴り込まれてもいない。

 内宮さんから「十万文」と書かれた文が来ているわけでもない。

 つまり、博之基準では暇だった。

「暇やなあ」

 座敷でごろごろしながら、博之はつぶやいた。

 ヨイチが帳面を抱えて、冷たい目を向ける。

「暇ではありません」

「暇や。今日は誰も切りに来てへん」

「その基準がおかしいです」

 お花が茶を置きながら笑った。

「伊勢の方は、城主ともお話が済みましたし、ひとまず落ち着いたと言えば落ち着きましたね」

「せやろ」

「ただし、内宮さんの名を端っこなりとも背負う以上、伊勢の商品は今後も買わなければなりません」

「そこなんよ」

 博之は、寝転がったまま天井を見た。

「内宮さんで店を出してるのに、伊勢のものを買わんっていうのは感じ悪いやろ」

「はい」

「けど、伊勢のものばっかり買ったら、松阪が拗ねるやろ」

「拗ねるというより、松阪の上の方に呼ばれますね」

「それが怖いんや」

「呼ばれても飯を持っていけば大体なんとかなります」

「最近それで済みすぎてるのも怖い」

 お花が苦笑する。

「先日の挨拶でも、松阪の方にはかなり喜んでいただけました」

「まあな。寄進もしたし、飯も出したし、朱印紙のすり身も見せたし」

 ヨイチが帳面をめくる。

「伊勢と松阪、合わせてざっくり十万文ほどは撒いております」

「撒くって言うな」

「寄進、挨拶、買い付け、土産、飯の振る舞い。表現としては撒いております」

「まあ、撒いたな」

 博之はため息をついた。

「銭だけやと下品やから、信楽焼とか、素麺とか、葛とか、そういうものを土産にしたいねんけどな」

「それは今後ですね」

「うん。銭を持っていくより、話がある品を持っていく方がええ。信楽焼なら“伊賀の先から来ました”。

 素麺なら“夏の飯です”。葛なら“冬の養生です”。そう言える」

「それをするために、また道と帳簿が増えます」

「言うな」

 博之が布団に顔を埋めた、その時だった。

 表が少し騒がしくなり、長野家からの使いが来たと告げられた。

「……またか」

 博之は顔を上げた。

「長野様ですか」

 お花が文を受け取り、博之に差し出した。

「津の方からです」

「嫌な予感しかせえへん」

 文を開くと、そこには丁寧なようでいて、どこか上からの匂いがする言葉が並んでいた。

 津の者の品も、少し買ってほしい。

 先だっては便宜を図った。

 港と郊外の話も通した。

 できれば早い段階で、郊外はともかく、港の方を何とかしてほしい。

 津の魚も、津の者も、伊勢松坂屋の力で活かしてもらいたい。

 博之は文を閉じた。

「なんか、いつも欲しい欲しい言うな、あいつら」

「旦那様、言い方」

「しかも上からやしな」

「領主家ですから」

「分かってるけど、長野様ちょっと嫌やわ」

 ヨイチが静かに言う。

「前回、切られずに済んだだけでもありがたいと思ってください」

「それはそうやけど」

「向こうからすれば、津の港を活かしてほしいのは本音でしょう。殿様の面子もありますし、

 領民も喜んでいます」

 お花も頷いた。

「津の港は、美味しいと思いますよ。鮪もすり身も、伊勢や松阪とはまた違う流れが作れます」

「港はな。港はええねん」

 博之は体を起こした。

「問題は城下や。長野様がおるやろ」

「また殿様を避けていますね」

「避けたいわ。城へ飯持ってこいとか、また言われたらどうすんねん」

「今度は港に拠点を作るので、少し話はしやすいでしょう」

「それでも嫌や」

「だだをこねないでください」

 ヨイチがぴしゃりと言った。

「また切られますよ」

「なんで味方が脅すねん」

「現実です」

 博之は渋い顔をした。

「津の港はやる。やるけど、こっちの筋でやる。津の魚を買う。津の漁民を雇う。

 港の寺社にも顔を出す。長野様には報告する。けど、城下にすぐ店を出すのは無理や」

「それでよいと思います」

「郊外も後回しやな」

「まず港ですね」

 ヨイチが帳面に書き始める。

「津港横丁、優先。津の魚買い付け、試験増額。津の品、定期便に一部組み込み」

「また帳面に書かれた」

「方針です」

「津の品って何があるんやろな」

「干物、塩魚、網、縄、木桶、港の道具、あと魚の加工品でしょうか」

「魚のすり身を津でも作らせるなら、道具は必要やな。包丁、まな板、すり鉢、油、紙、串、鍋」

「設備費がまた増えます」

「分かってる」

 博之は文をもう一度見た。

「便宜図ったでしょう、っていうのがなあ」

「実際、図っていただいています」

「そこは分かる。寺社への寄進の筋も、長野側で通してくれるって話やったし」

「はい」

「だから無視はできん。できんけど、なんか腹立つ」

 お花が少し笑った。

「旦那様は、雑に扱われるのが嫌いですから」

「そうや。内宮さんの時もそうやったけど、金で吹っかけたり、上から言われたりすると、

 急に嫌になる」

「でも、結局やりますよね」

「やる。港はうまそうやから」

「そこですね」

 ヨイチが呆れたように言った。

「旦那様は嫌がりながらも、飯の匂いがすると動きます」

「津の港は飯の匂いがするんや」

「なら、やるしかありません」

 博之は観念したように茶をすすった。

「返事はこうやな。津の港については、早急に準備します。まず飯会を増やし、

 港の者を雇い、魚のすり身と鮪の仕込みを現地でできるようにします。定期便にも津の品を

 少し乗せます」

「郊外は?」

「郊外は港が落ち着いてから。寺で飯会は続けるけど、横丁はまだ待ってくれと」

「城下は?」

「まだ無理。長野様がまた城で食いたいと言うなら、港の拠点ができてから、熱い状態で

 持っていける方法を相談します、と」

「かなり慎重ですね」

「慎重にもなるわ。前回切られかけたんやぞ」

「切られかけてはいません。旦那様が勝手に怖がっていました」

「怖かったんや」

 お花が文を整えながら言った。

「でも、津の港が立ち上がれば、大きいですね」

「大きい。伊勢、松阪、津。海の魚が回る。九鬼様にも運賃が入る。津の漁民にも銭が落ちる。

 長野様の顔も立つ」

「そして帳簿が増える」

 ヨイチが言う。

「そこは言うな」

「事実です」

 博之は、ごろりとまた横になった。

「暇やと思ったら、すぐこれや」

「暇ではなかったということです」

「津かあ」

「はい」

「津の港はやる。長野様は嫌や」

「両方覚えておきます」

「覚えんでええ」

 ヨイチは筆を置き、静かに言った。

「ですが旦那様。津の者からすれば、待っているのだと思います」

「飯を?」

「飯も、仕事も、銭の流れもです」

 博之は少し黙った。

 そう言われると弱い。

 飯が食える。

 魚に値がつく。

 港に仕事ができる。

 寺で振る舞いがある。

 そういうものを待つ人がいる。

 長野様は嫌だ。

 上から来る文も嫌だ。

 だが、津の港の者まで嫌いなわけではない。

「……しゃあないな」

 博之は小さく言った。

「港からやる」

「はい」

「港で飯を食わせる。港で魚を買う。港で雇う。城下はその後や」

「承知しました」

「で、長野様には、やんわり返事しといて」

「やんわり、ですね」

「“急ぎますが、筋を通します”って感じで」

「旦那様らしいです」

「ほんまは、“欲しがりすぎやぞ”って書きたい」

「書かないでください」

「分かってる」

 座敷に笑いが起きた。

 博之はまた布団に転がったが、もう完全に暇ではなかった。

 津の港が動く。

 津の魚が動く。

 九鬼の船が動く。

 長野家が動く。

 そして、また帳簿も動く。

 博之は天井を見ながら、ぶつぶつ言った。

「ほんま、飯の匂いがすると、どこまでも引っ張られるな」

 ヨイチが即座に返した。

「旦那様が匂いを嗅ぎに行くからです」

「うるさいわ」

 それでも、返事を書くことは決まっていた。

 津の港から、また一つ飯の道が始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ