信楽から伊賀・名張に帰った地侍一行がお寺の和尚さんと話す。子供たちが飯を食べても勉強しないみたい。
信楽から戻った六人は、まず伊賀・名張の拠点へ顔を出した。
背には、藁で包んだ信楽焼の荷がある。小皿、湯呑み、小壺、味噌壺。それに、
殿様向けに買った少し見栄えのする小壺が一つ。道中で割れないように気を張り続けたせいで、
六人とも妙に疲れていた。
「刀持って歩くより、皿運ぶ方が疲れるな」
「割ったら終わりやからな」
「昨日まで人を脅してた俺らが、今日は小皿守ってるんやから、世の中わからんわ」
そんなことを言いながら戻ると、和尚が寺の一角で子どもたちを集めていた。
だが、どうにも空気が重い。
子どもたちは、木の板に書かれた文字や数を前にして、あまりやる気がない。
何人かは足で土をいじっているし、何人かは眠そうにしている。
和尚は、六人の姿を見ると、少し困ったように笑った。
「お帰りなさい。仕入れはできましたか」
年かさの地侍が、少し得意げに荷を下ろした。
「仕入れてきたで。信楽焼や。壺とか小皿とか、いろいろ買うてきた」
「それはよかった」
「和尚さんは、何してたんや」
「子どもらに読み書きと数を教えようとしております」
「うまくいってへん顔やな」
和尚は苦笑した。
「なかなかですな」
名張の者が、申し訳なさそうに言った。
「漬物の混ぜ飯は食べさせました。みんな、美味しいとは言うてくれました」
「山菜の天ぷらも試したんやろ」
「はい。油を少し使って、塩を振って食べさせました。それも美味しいとは言うのですが……」
和尚が続けた。
「美味しい、で終わってしまうのです。これを売るには数を数えねばならぬ、
字を覚えねばならぬ、と話しても、まだ腹落ちしません」
年かさの地侍は、子どもらを見た。
子どもたちは、信楽焼の荷の方をちらちら見ている。
「まあ、そらそうやろな」
「そうですか」
「混ぜ飯がうまい。天ぷらがうまい。それは分かる。でも、勉強せえって言われても、
急にはつながらんわ」
若い地侍が言った。
「あの時、俺らもそうやった。旦那に半月百三十万文やとか、内宮で百文やとか言われても、
最初は意味分からんかった」
「見て初めて、ですか」
「ああ。伊勢まで行って、人がほんまに百文出して魚のすり身買うのを見て、
ようやくちょっと分かった」
和尚は頷いた。
「本当は、子どもらを伊勢まで連れて行ければよいのですが」
「さすがに贅沢やな」
「ええ。道中も危ないですし、銭もかかります」
そこで、一人の子どもが、信楽焼の荷を指さした。
「おっちゃん、それ何?」
年かさの地侍は、少し不器用に笑った。
「壺や。小皿もある。信楽焼いうやつや」
「売るん?」
「売る。松坂の旦那のところに持っていくんや」
「松坂?」
「飯がうまいところや」
別の子どもが顔を上げた。
「飯うまいん?」
「うまい。豚汁もうまいし、混ぜ飯もうまいし、魚のすり身を揚げたやつもうまい。
風呂にも入れてくれる」
「風呂?」
「湯浴みや。あれはええぞ。体がふわっとなる」
子どもたちの目が、少しずつ変わっていく。
「俺も行きたい」
一人が言った。
「俺も」
「松坂の飯食べたい」
「湯浴みしたい」
和尚が少し驚いた顔をした。
地侍たちは互いに顔を見合わせた。さっきまで文字を前に眠そうだった子どもたちが、
急に前のめりになっている。
年かさの地侍は、少し考えてから言った。
「行きたいなら、数を数えられるようになれ」
「数?」
「そうや。この小皿が何枚あるか。壺が何個あるか。いくらで買ったか。いくらで売るか。
それが分からんと、松坂の旦那のところへ持って行っても、ヨイチって小僧に怒られる」
若い地侍が横から言う。
「あいつ、小僧やけど怖いぞ。帳面持って、何をいくらで買ったか聞いてくる」
「怒るん?」
「怒る。たぶんめっちゃ怒る」
子どもたちは、少し笑った。
名張の者が、すぐに木札を持ってきた。
「では、この小皿を数えてみましょうか」
子どもたちは、先ほどより明らかに素直に集まった。
一枚、二枚、三枚。
途中で数を飛ばす子もいる。十を超えると怪しくなる子もいる。それでも、
さっきよりは目が動いていた。
上野の者が、子どもらに向かって言った。
「ちゃんと数を数えられるようになったら、松坂の旦那のところで雇ってもらえるかもしれん。
先々の話やけどな」
「ほんま?」
「分からん。ここに横丁ができるかも分からん。けれど、混ぜ飯を作るにも、天ぷらを売るにも、
皿を数えるにも、字と数はいる」
名張の者も続けた。
「この壺が高く売れたら、その分で油や塩や草履代を出してもらえるかもしれん。
道が悪いところも、少し直せるかもしれん」
「草履もらえるん?」
「たぶん、必要ならな。あの旦那は、飯に関係あると思ったら銭を出す」
子どもたちは、顔を見合わせた。
勉強すれば偉くなる、では響かなかった。
けれど、数が数えられれば松坂に行けるかもしれない。
飯が食えるかもしれない。
湯浴みができるかもしれない。
壺を運ぶ役になれるかもしれない。
その方が、ずっと分かりやすかった。
和尚は、しみじみと言った。
「理屈より、飯と実物ですな」
「そういうことやろな」
年かさの地侍は、自分で言いながら少し照れた。
「俺らも、伊勢で見んかったら分からんかったし」
「一月後、全員連れていくのは無理でしょうが」
和尚が言うと、名張の者が頷いた。
「何人かだけでも、松坂へ連れて行ければよいかもしれません」
「後ろにちょこんとついて行くだけでもええやろ」
若い地侍が言った。
「実際に飯を食って、店を見て、湯浴み入ったら、気持ち変わるで」
「湯浴みは、そんなによかったのですか」
和尚が少し興味深そうに聞く。
「よかった」
「めちゃくちゃよかった」
「あれが近くにあったら、たぶんみんな行く」
「それは贅沢すぎますな」
和尚が笑う。
「このあたりで湯浴み場を作るとなると、薪も水も人手もいります」
「やっぱ贅沢か」
「ええ。ですが、いつか小さくてもできれば、子どもらも年寄りも喜ぶでしょう」
その言葉に、皆が少し黙った。
また一つ、遠い目標ができてしまった気がしたからだ。
信楽焼を運ぶ。
混ぜ飯を作る。
山菜の天ぷらを売る。
子どもに数を教える。
何人かを松坂へ連れて行く。
いつか湯浴み場を作る。
昨日までとは違う話だった。
和尚は子どもたちに向かって、信楽焼の小皿を一枚持ち上げた。
「これが何枚あるか、数えられる者はいますか」
「俺できる」
「私も」
「じゃあ、十枚ずつ分けてみましょう」
子どもたちは、さっきよりずっと真剣な顔で小皿を数え始めた。
地侍たちは、その様子を見ていた。
人を脅して取る一万文。
皿を守って運ぶ一万文。
子どもが数を覚える一枚の皿。
同じ銭でも、同じ道でも、使い方でまるで違う。
年かさの地侍は、ぽつりと言った。
「なあ和尚さん」
「はい」
「一月後、こいつらの中から二、三人、連れて行ってもええんちゃうか」
「そうですな。しっかり数を覚えた者から、ですね」
「ええな。松坂の飯、目標にしたらええ」
子どもたちが一斉に顔を上げた。
「ほんま?」
和尚は笑った。
「本当です。ただし、ちゃんと数えられるようになったらです」
その瞬間、子どもたちの手がまた動き始めた。
一枚、二枚、三枚。
十枚で一組。
何組あるか。
いくらで買ったか。
いくらで売るか。
勉強は、ようやく飯とつながり始めた。
名張の者が、目を潤ませながら言った。
「ありがとうございます。お侍さんたちが見てくれるのも、ありがたいです」
年かさの地侍は、少し照れくさそうに顔をそらした。
「別に、俺らは皿運んできただけや」
和尚が静かに言う。
「いえ。皿だけではありません。道を運んできたのです」
「またええこと言うなあ」
皆が笑った。
信楽焼の荷は、ただの仕入れでは終わらなかった。
それは、子どもたちが数を覚えるための道具になり、松坂へ行くための目標になり、
名張と上野の空気を少しだけ変える種になった。
そして一月後、誰を松坂へ連れて行くか。
その話で、寺の一角はしばらく盛り上がり続けた。




