博之43歳。5月後半、伊勢城主から連絡がくる。近況報告と松坂城主だけに面白い話するんじゃない。こっちにも持ってきなさい
伊勢の城主から文が届いた。
内宮で店を出したと聞いた。
一度、挨拶に来なさい。
すり身の天ぷらは持ってくるように。
鮪の方も興味があるが、あれは港から持ってこなければならぬだろう。日を合わせるから、
持ってこられるようにしておけ。
文を読み終えた博之は、しばらく黙った。
「……また呼ばれた」
ヨイチが帳面を閉じる。
「呼ばれますよ。それだけ動いていますから」
「飯屋やぞ」
「内宮で常設を持った飯屋です」
「その言い方が怖い」
お花が静かに言った。
「今回は、二万文ほど包みましょうか」
「そうやな。伊勢の上司やし、内宮の件もある。二万文と飯や」
「すり身天は多めに」
「朱印紙で包んだやつも持っていく。棒串と小判型。味は普通、しそ、ごぼう、しょうが、
タコ、イカ。見せた方が早い」
「鮪はどうされますか」
「日を合わせるって書いてあるから、港に手配しよう。下処理して、できるだけええ状態で持っていく。
鮪はほんまに鮮度と下ごしらえが命やからな」
ヨイチが頷く。
「そこを理解している文面でしたね
「そこやな」
博之は少しだけ感心した。
「長野様の時と違って、“城まで持ってこい”やなくて、“日を合わせるから港から持ってこい”って
書いてる。分かってはるわ」
「伊勢の上司ですから」
「怖いなあ」
そうして数日後、博之は二万文の寄進と、すり身天、朱印付きの油吸い紙、試食用の小さな器、
そして港から手配した鮪鍋を持って、伊勢の上司の屋敷へ向かった。
屋敷に着くと、城主はすでに待っていた。
「来たか」
「お呼びいただき、ありがとうございます」
「すり身は持ってきたか」
「はい」
「鮪も?」
「日を合わせていただいたので、港から持ってまいりました」
城主は、満足そうに頷いた。
「そこは文に書いた通りや。分かってるやろうなと思ってな」
「分かってくださっていて、ありがたいです。鮪は運ぶのが大変なんです」
「そうやろう」
「鮮度が命ですし、下処理もあります。冷めたものをただ持っていけばいいというものではありません」
上司は少し笑った。
「そこが、津の長野の馬鹿殿と違うところやろう」
博之は思わず顔を上げた。
「……なんでその話までご存じなんですか」
「知ってるわ」
上司は愉快そうに笑った。
「最近の伊勢松坂屋の動きは、いやでも耳に入る。内宮に店を出した。
津で殿様を寺まで呼んだ。九鬼水軍を用心棒にした。松阪で地侍を飯食わせて伊勢に連れて行った。
どれも話として強すぎる」
「強すぎるって言われましても」
「それに、松阪の城主とも時々話すからな。あちらも、お前の話を面白がっておる」
「もう変なこと言えないですね」
「言ってもええぞ」
「ええんですか」
「別に、お前が変なことを言ったところで、今のお前をどうこうしたら、こちらの評判が下がるだけや」
「それはそれで怖いです」
「飛ぶ鳥を落とす勢いやからな」
「全然そんなつもりないです。むしろ毎日怖いです」
「怖い怖い言いながら、内宮に十万文を置いて店を取る飯屋がどこにおる」
博之は返す言葉がなかった。
上司はまず、すり身天を手に取った。
丸に井戸の井の朱印が押された紙を見て、少し目を細める。
「これが内宮で歩いている紙か」
「はい。油吸い用の紙でございます」
「ただの包み紙ではないな」
「そうですね。食べ終わっても印が目に残るので」
「うまいこと考えたな」
「真似されるのが嫌で始めたところもあります」
「そこが商人やな」
上司は普通のすり身を一口食べ、次にタコ入りを食べた。
「なるほど。食感が違う」
「はい。普通、しそ、ごぼう、しょうが、タコ、イカで少しずつ変えています」
「歩きながら食えるのが強いな」
「そこが内宮では大きいと思います。鮪は座らないと食べにくいので」
「鮪も出せ」
鮪の椀が出された。
上司は一口すすり、しばらく黙った。
「……これは、港が騒ぐわけや」
「ありがとうございます」
「捨てるもの、安いものと思っていた魚に、これだけ値がつく。九鬼が気にするのも分かる」
「九鬼様には、本当にお世話になっています」
「世話になっているというより、もう巻き込んでおるな」
「そうかもしれません」
上司は鮪をもう一口食べ、満足げに息を吐いた。
「内宮はどうや」
「怖いです」
「売れておるのか」
「七日分だけでも、かなりの数字が乗ってきました。怖くて帳簿を見たくないぐらいです」
「見ろ」
「ヨイチにも同じこと言われました」
「当然や」
城主は笑った。
「伊勢神宮はすごいやろ」
「すごいです。あそこは、飯の値段が変わります。普通の場所なら高いと言われるものが、
記念や名物になる。しかも、人が多い」
「だからこそ、腰長くやれ」
「内宮さんにも言われました」
「それは正しい。あそこは、短く儲ける場所ではない。長く残す場所や」
「はい」
「ただ、お前はまだまだやるやろ」
博之は少し困った顔をした。
「もう、いろいろ抱えておりますので」
「津か」
「津もあります。港と郊外。長野様のところです」
「鳥羽は?」
「九鬼様から話が出そうですが、いきなり横丁は無理です。まず飯会からだと思っています」
「志摩は?」
「志摩も飯会からです。さすがに道も人も分からないので」
「名張と上野は?」
「信楽焼と、三輪素麺、葛の話をしています。大和方面は、商売というより、季節飯と寺社の話に
なりそうです」
城主は楽しそうに目を細めた。
「その話、松阪の城主にもしたのか」
「はい。少し」
「それをこっちにも聞かせろ」
「はい?」
「お前、松阪の方にだけ面白い話を流すな。伊勢にも流せ」
「そんなつもりは」
「あるなしではない。面白い話は、こっちにも持ってこい」
博之は苦笑した。
「では、順番に」
そこから博之は話した。
名張と上野の者が助けを求めて来たこと。
地侍に連れられて身代金を要求されたこと。
その地侍に飯を食わせ、風呂に入れ、伊勢へ連れていったこと。
内宮で百文のすり身が売れるところを見せたこと。
松阪の上の方に呼ばれ、信楽焼と三輪素麺の話になったこと。
信楽焼は器として仕入れ、従業員向けに売り、店でも使うこと。
三輪素麺は夏の飯、葛は冬の養生、山菜天ぷらは春の飯になりそうなこと。
上司は何度も笑い、時に感心し、時に呆れた。
「お前、飯屋というより、道を作っておるな」
「そんな立派なものではありません」
「いや、道や。松阪、伊勢、津、名張、上野、信楽、大和。飯でつないでおる」
「帳簿も増えております」
「それは知らん」
「知ってください」
「ヨイチに任せろ」
「ヨイチが怒るんです」
「怒られろ」
城主はまた笑った。
「しかし、葛と素麺はよいな。伊勢でも使える」
「そうですか」
「素麺は夏に軽い。参拝客にもよい。葛湯は冬にありがたい。病人や年寄りにも出せる。
寺社に持っていくにも品がある」
「和尚さんにも似たようなことを言われました」
「寺の者はそういうものを好む。飯というより養生やからな」
「養生飯ですね」
「そうや。内宮のすり身は名物。津の鮪は港飯。大和の葛と素麺は養生。信楽焼は器。よくできておる」
博之は照れたように頭をかいた。
「できているというより、勝手に増えている感じです」
「勝手には増えん。お前が銭を出して、飯を出して、人を動かしている」
「また怖いことを」
「怖がるな。怖がるのはよいが、止まるな」
上司は最後に、二万文の包みを見た。
「寄進も受け取っておく。ただし、次からは銭だけでなく、面白いものも持ってこい」
「信楽焼とか、素麺とかですか」
「そうや。銭はありがたいが、話がつく品の方が面白い」
「松阪の城主にも同じようなことを言われました」
「だから、こっちにも持ってこいと言っておる」
「承知しました」
上司は、残ったすり身を家臣たちにも回すよう命じた。
家臣たちは、朱印付きの紙に包まれたすり身を珍しそうに見て、食べては頷いた。
「これは売れる」
「内宮で百文も分かる」
「紙がよいな」
そんな声が上がる。
博之はそれを聞きながら、また一つ道が増えた気がしていた。
松阪の城主だけでなく、伊勢の城主にも、面白い話と飯を持っていかなければならない。
寄進だけでは済まない。
飯だけでも済まない。
話もいる。
品もいる。
帳簿も増える。
博之は心の中でため息をついた。
それを見透かしたように、城主が言った。
「また怖い顔をしておるな」
「はい。帳簿が増える顔です」
「なら、うまい飯をもっと売れ」
「それでまた増えます」
「それが商いというものや」
博之は、深く頭を下げるしかなかった。




