うちの婚活情報についてなんか把握している?結婚した子らに1000文出してあげて!
和尚の寺から戻ったあとも、博之はしばらく座敷でごろごろしていた。
葛、素麺、信楽焼、寺の噂話。
飯の道がまた増えそうで、頭が痛い。
そして、その先には当然、帳簿が待っている。
そんなことを考えていた時、博之はふと思い出したように言った。
「そういえば、あれやな」
お花が茶を淹れながら顔を上げる。
「何でございますか」
「俺、バタバタしすぎて全然把握してへんけどさ。うちの者で、結婚したやつとかおるんか」
お花は一瞬だけ黙った。
その横でヨイチが、帳面から顔を上げる。
「いますよ」
「おるんかい」
「おります」
「なんで言わへんねん」
お花が少し困ったように笑った。
「本業と関係が薄かったので、あまり申し上げておりませんでした」
「いや、あるやろ。人の恋愛ほど面白い話ないやろ」
「旦那様、そこです」
「何がや」
「そういう話をすると、旦那様が座談会を開こうとされるでしょう」
「開くやろ」
「だから言いにくかったのです」
博之は体を起こした。
「何組ぐらいおるんや」
「全部で十組ほどです」
「十組!?」
「はい」
「多いやんけ」
「店が大きくなりましたので」
「二、三組ぐらいやと思ってたわ」
お花は続けた。
「そのうち二組は、うちの者同士です」
「ああ……」
博之は少しだけ顔をしかめた。
「それで言いにくかったんか」
「はい。旦那様が、店内同士の結婚を積極的に推奨していないことは、皆も分かっておりますので」
「別に反対してるわけちゃうねんけどな」
「分かっております。ただ、旦那様は“同じ店の中で固まりすぎるのは怖い”とよくおっしゃいます」
「言うたな」
「それで、本人たちも少し気にしていたようです」
ヨイチが淡々と言う。
「結局、好き者同士で結婚しただけですけどね」
「言い方」
「事実です」
博之は腕を組んだ。
「まあ、好き者同士ならしゃあないな。そこに俺が口出す話ちゃう」
「珍しくまともですね」
「お前は一言多い」
博之は少し考えた。
「ただ、結婚したら、うちからは出てもらった方がええかな」
お花が頷く。
「私も、それがよろしいかと」
「うちから、というのは別に追い出すという意味ちゃう。夫婦の家まで、
うちで用意するわけにはいかん。店の裏で、夫婦で寝かせるわけにもいかんやろ」
「はい」
「外の者と結婚したなら、外の家で暮らせばええ。うちの者同士なら、近くに部屋を借りるなり、
家を持つなりしてもらう。働くのは続けてもええけど、寝床は分ける」
「筋が通っています」
「で、祝い金やな」
ヨイチの筆が止まった。
「出ましたね」
「何がや」
「旦那様が金を減らしたくなる流れです」
「違うわ」
「いくら出すんですか」
「一律で千文ずつ」
「十組で一万文ですか」
「そうや」
ヨイチはため息をついた。
「旦那様、それまた金を減らしたいだけでしょう」
「いやいや、まあ、そうとも言うねんけども」
「認めるんですね」
「でもな、和尚さんとも話してたやんか。地元に根付くとか、縁を作るとか。うちの者が結婚して、
外に家を持って、そこからまた町や寺や近所とつながるなら、これは悪い話ちゃう」
お花は微笑んだ。
「それは、私もそう思います」
「やろ。もともと俺ら、放し草やったやん。寝床もない、家もない、飯もないところから始まった。
そこから誰かが家を持つっていうのは、ええことやと思うねん」
博之は少し照れたように言った。
「だから、結婚したら言うてくれたらええ。一組千文。祝い金や。ついでに、面白い話の
一つぐらい聞かせてくれたらええ」
「旦那様、言い方です」
「なんでや。祝う気はあるぞ」
「“面白い話を聞かせろ”が余計です」
「人の恋愛話、面白いやん」
「最低です」
ヨイチが横でぼそりと言った。
「でも、十組が外に出るなら、寝床事情は少し楽になりますね」
「お前もひどいこと言うな」
「旦那様が先に言いそうだったので」
「言おうとしてた」
「ほら」
博之は咳払いした。
「まあ、それで言うたら、次の採用で三十人ずつ取る話も、少し帳尻が合うやろ」
「旦那様、それも言い方が問題です」
「でも現実やん。夫婦になった者が外に住む。そこへ新入りが入る。寝床を新たに借りすぎずに
回す。悪くない」
「悪くはありません。ただ、祝い事を帳尻合わせとして語るのはやめてください」
「すまん」
お花が少し真面目な声で言った。
「結婚については、店としては反対しない。けれど、無理に勧めもしない。夫婦になった者は、
外に住む段取りを考える。祝い金は一律千文。働き続けたい者は、相談のうえ続ける。
これでよろしいかと」
「それやな」
ヨイチが帳面に書き込む。
「婚姻祝い金、一組千文。既存十組、合計一万文見込み」
「また帳簿に書かれた」
「当然です」
「恋愛まで帳簿にされるんか」
「祝い金を出すなら帳簿です」
博之は苦笑した。
「しかし、十組かあ」
「旦那様が気づいていないだけで、店の中ではいろいろあります」
「もっと教えてくれよ」
「教えたら茶化すでしょう」
「茶化す」
「だから教えなかったのです」
博之は少しだけしょんぼりした。
「俺、そんなに信用ないんか」
「あります。ただ、恋愛話に関しては信用が薄いです」
「ひどいな」
お花が笑う。
「でも、旦那様。結婚した者たちからすれば、旦那様に反対されないと分かるだけでも安心する
と思います」
「そうか」
「はい。うちの者たちは、元々家がない者も多いです。店が家族のようになっている部分もあります。
だから、外に出ることに不安もあるでしょう」
「なるほどな」
「そこで、祝い金を出して、外に家を持つことも認める。それは大きいです」
博之は、少し遠い目をした。
「家が家族、か」
それは分かる気がした。
豚汁屋のぼろ小屋から始まった。
寝る場所も、食う場所も、働く場所も、全部一緒だった。
血のつながりではなく、飯と寝床でつながった家族のようなもの。
そこから結婚して、外へ出て、別の家を作る。
それは少し寂しいが、悪くない。
「まあ、推奨はしてる」
博之はぽつりと言った。
「結婚をですか」
「うん。反対はせん。むしろ、ちゃんと互いに食えて、暮らせるなら、ええことやと思う。
俺らみたいな根無し草が、どこかに足を下ろすっていうのはありや」
ヨイチが静かに聞いている。
「ただ、うちの者同士でくっつきすぎて、店がぐちゃぐちゃになるのは困る」
「そこは規則が必要ですね」
「そうやな。夫婦になったら部署は分けるとか、片方がよそへ行くとか、そういうのはいるかもしれん」
「必要です」
お花も頷いた。
「情が絡むと、仕事がやりにくくなることもあります」
「そこは任せるわ」
「また丸投げですね」
「俺がやると茶化すからな」
「分かっているならよろしいです」
博之は、ふと悪い顔をした。
「まあ、次の採用でな。ひょっとしたら、俺の嫁が採用されるかもしれへんし」
お花が即座に冷たい目を向けた。
「旦那様、最低です」
「冗談やん」
「採用される方に失礼です」
「いや、未来は分からんやろ」
ヨイチも冷静に言った。
「旦那様が今誰かと結婚したら、店が傾く可能性があります」
「そこまで言うか」
「傾きます。内宮、津、伊勢、松阪、信楽、大和、全部止まります」
「俺の結婚、災害扱いやん」
「帳簿上は大災害です」
「言いすぎやろ」
座敷に笑いが広がった。
博之は少し照れながら茶を飲んだ。
「まあ、俺は置いといて、結婚したやつらは祝う。千文ずつ。外に住む段取りをする。面白い話は聞く」
「最後だけ余計です」
「そこは譲れん」
お花が呆れながらも笑った。
「では、結婚した者たちに、旦那様が祝う意向であることを伝えておきます」
「頼む。あと、座談会は?」
「それは本人たちが嫌がらなければ」
「よし」
ヨイチが小さくため息をついた。
「旦那様、またどうでもよさそうで、意外と大事な制度を作りましたね」
「恋愛はどうでもよくないやろ」
「そういう意味ではありません」
博之は天井を見上げた。
飯屋が大きくなると、飯だけでは済まなくなる。
採用、寝床、給金、買い付け、寄進、寺社、領主、そして結婚。
人が増えるとは、そういうことなのだ。
博之はぽつりと言った。
「ほんま、飯屋って家みたいになるんやな」
お花が静かに答えた。
「だからこそ、外に家を持つ者も祝ってあげるのがよろしいかと」
「そうやな」
ヨイチが帳面を閉じた。
「では、祝い金一万文、計上しておきます」
「また金が減るな」
「ですが、目覚めはよろしいでしょう」
博之は少し笑った。
「まあな」
座敷の外では、今日も横丁の飯の匂いがしていた。
誰かが働き、誰かが食べ、誰かが恋をして、誰かが家を作っていく。
それもまた、飯の道の一つだった。




