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松坂で各所30人ずつ新規採用する。津、伊勢、伊賀方面で働ける奴募集!!伊賀名張方面の今後の運用。信楽焼次第www

ヨイチが帳面を抱えて、いつもの調子で座敷へ入ってきた。

「旦那様、楽しい楽しい帳簿の時間が待っておりますよ」

 博之は、布団の上で露骨に顔をしかめた。

「楽しくない。待ってもない」

「ですが、帳簿は待っております」

「とりあえず、方針だけ決めようぜ」

「また逸らしましたね」

「逸らしてへん。帳簿を見る前に、先に方針や。方針がないと数字見ても怖いだけやろ」

「方針があっても怖いです」

 ヨイチはそう言いながらも、筆を構えた。

「で、どうされるんですか」

 博之は寝転んだまま、天井を見上げた。

「今回は、今日で一旦切る。次は採用やな」

「採用ですか」

「松阪で三十人ずつ取ろうかと思う」

「また多いですね」

「松阪城下、松阪郊外、港町。あと伊勢方面へ出す前提の者やな。港町でも三十人ずつ取る」

 ヨイチの筆が止まる。

「三十人ずつという言い方がもう怖いです」

「でも屋敷は新たに借りへん」

「え」

「もう、これだけうちの者がおったら、店の裏でも、空いてるところでも、なんとか寝るやろ」

「雑です」

「雑やけど、屋敷ばっか借りてもしゃあない。今から必要なのは、住まわせる場所より、動ける人や」

 お花が少し心配そうに言った。

「ただ、寝床が雑になると、辞める者も増えます」

「そこは分かってる。だから全員を抱えるんやなくて、今回は最初から“よそへ行く気がある者”を

 中心に取る」

「よそ、ですか」

「津、伊勢、名張、上野。その先の新しい横丁や飯会に行く気がある者や。

 松阪で働きたいだけの者は、今回は少し優先を下げる」

 ヨイチが頷いた。

「つまり、松阪採用だけれど、松阪定着ではなく、外へ出す前提の採用ですね」

「そうや。うちの名前で働きたい。松阪で修行して、伊勢でも津でも行く。上野や名張でも、

 飯会や横丁の立ち上げがあるなら行く。そういう気持ちの強いやつを取る」

「古参が最初に行くとしても、その後を埋める者が必要ですからね」

「そう。古参だけでは足りへん。古参を出したら松阪が薄くなる。だから松阪で取り、松阪で鍛えて、よそへ流す」

 ヨイチは帳面に書きながら言う。

「松阪採用、外地配属前提。三十人単位。寝床は既存拠点内で調整。ただし食事と最低限の寝所は確保」

「そういうことや」

 博之は体を起こした。

「伊勢は、少し辞めるやつ減るかもしれへんな」

「内宮効果ですか」

「そうや。お伊勢さんで働ける、内宮の端で朱印付きの飯を出してる。これは強い。

 今までの伊勢とは違う」

「確かに、働く側からしても格が出ますね」

「うん。伊勢は、港と城下が伸びる。上下と港町に、もう一つずつ横丁を作ることは決めてる」

「決めてるんですか」

「決めてる」

「初耳です」

「今言うた」

「そういうところです」

 ヨイチが眉を押さえる。

「ですが、人数が足りません」

「だから採用するんや」

「伊勢でも採用は続けるんですね」

「続ける。伊勢は立ち上げた者を、そのまま次の横丁に使う。松阪は外へ出せる者を育てる。

 これで少しは回るやろ」

「少し、ですかね」

「少しやな」

 博之は苦笑した。

「津は、まず港町から立ち上げや」

「長野様のところですね」

「そう。港で鮪とすり身を回す。津の魚を使う。津の漁民を雇う。長野様にも言われたしな。

 郊外もやるけど、まず港や」

「設備費は?」

「次の金で五万文ぐらいは計上やな」

 ヨイチがすぐ書き込む。

「津港横丁立ち上げ設備、五万文」

「早いな」

「旦那様が逃げる前に書きます」

「逃げへん」

「逃げます」

 お花が笑った。

 博之は続けた。

「名張と上野は、まだ横丁はいらん」

「はい」

「ただ、あの侍たちがどれだけ信楽焼を持ってくるかによる」

「信楽焼の買い付けですね」

「そうや。今は一・五倍で従業員に売るって話をしてるけど、実際は三倍ぐらいでも

 売れるかもしれへん」

「道の危険、希少性、持ち帰りの手間を考えれば、ありえます」

「小皿、湯呑み、小壺、味噌壺、油壺。これがうちの店や従業員に売れるなら、

 その分の銭を伊賀や名張に戻せる」

「ただ焼き物を買うだけではなく、地元の飯事情を改善するための銭にするわけですね」

「そうや」

 博之は少し真面目な顔になった。

「信楽焼だけ買って終わりでは、あかん気がするねん」

「目覚めが悪い、ですか」

「そう。焼き物だけ抜いて、地元の飯が悪いままなら、和尚さんたちも困るやろ」

 和尚の話が出ると、お花が静かに頷いた。

「お寺から見れば、子どもたちが食べられるようになることの方が大事でしょうね」

「うん。だから、名張や上野は、飯会というか、漬物混ぜ飯、山菜天ぷら、焼き味噌餅、葛湯、そういう小さい飯の道を作る。信楽焼の金は、その種に回す」

 ヨイチが書き込む。

「信楽焼利益の一部を、名張・上野の飯改善へ還流。山菜天ぷら、漬物混ぜ飯、葛湯、焼き味噌餅」

「そういうことや」

「旦那様、また仕事と帳面が増えますよ」

「分かってる」

「分かっていてやるんですね」

「目覚め悪いやんか」

 博之は、少し拗ねたように言った。

「せっかく道ができたのに、焼き物だけ抜いて、あとは知らんっていうのは嫌やねん」

「でも、全部面倒を見るのは無理です」

「全部は見ん。まず一個や。混ぜ飯一個、天ぷら一個、葛湯一杯。売れるものを一つ作る。そこからや」

 ヨイチは少しだけ柔らかい顔になった。

「それなら現実的です」

「あと、献上品や」

「松阪の上の方への?」

「そう。最近、一万文単位で寄進しすぎやろ。銭をそのまま持っていくの、ちょっと感じ悪いやんか」

「まあ、銭で押しているように見えますね」

「せやろ。だから信楽焼や三輪素麺、葛、珍しい器、そういうものを持っていく。

 献上品というか、話の種やな」

「品物を持っていけば、銭ほど露骨ではありません」

「しかも話せる。これは伊賀の先で取れました。これは名張の者が持ってきました。

 これは大和の細麺です。夏に食うたらうまいです。そういう話ができる」

 お花が頷く。

「上の方も、そういう小話を求めておられましたしね」

「そうや。暇や言うてたからな」

「殿様方に“暇つぶしの話”を持っていく飯屋ですか」

 ヨイチが呟く。

「言い方」

「でも、その話のために道ができるなら、かなり強いです」

「そうやろ」

 博之は少し得意げにした。

「奈良方面は、信楽焼みたいにすぐ物で勝てる感じではない。けど、葛と素麺がある。

 これは季節の飯になる」

「夏は三輪素麺、冬は葛湯」

「春は山菜天ぷら。秋は茸飯。寺にも受ける。和尚さんにも刺さる」

「養生飯ですね」

「そう。商売というより、飯会向きや。寺でやる飯やな」

 ヨイチは筆を止めて、博之を見た。

「旦那様、かなり整理できていますね」

「帳簿を見たくないからな」

「逃げの整理力ですか」

「そうや」

「認めるんですね」

「認める」

 お花が笑った。

 博之は最後に、方針をまとめるように指を折った。

「松阪は外へ出す人材を取る。三十人単位」

「はい」

「伊勢は採用継続。内宮と城下と港で人が残りやすくなるか見る」

「はい」

「津は港横丁を先に立ち上げる。設備五万文。郊外はその後」

「はい」

「名張と上野は横丁ではなく飯の種。漬物混ぜ飯、山菜天ぷら、葛湯、焼き味噌餅」

「はい」

「信楽焼は仕入れる。最初は一万文。売値は一・五倍にこだわらず、手間と希少性で考える」

「はい」

「三輪素麺と葛は、献上品と寺の飯会向け。夏と冬の柱や」

「はい」

「寄進は銭だけやなく、献上品と話の種に変える」

「はい」

 ヨイチは帳面を閉じた。

「方針としては、まとまりました」

「よし。今日は帳簿見んでええな」

「見ます」

「なんでや」

「方針が決まったので、次は数字です」

「最悪や」

 博之は布団に倒れ込んだ。

「飯の道ができたら、帳簿の道も増えるんやな」

 ヨイチが静かに答える。

「飯屋ですから」

「飯屋って、もっと気楽なもんちゃうんか」

「旦那様の飯屋は、もう気楽ではありません」

 お花が茶を置きながら、にこりと笑った。

「でも、目覚めは少し良さそうですね」

 博之は天井を見たまま、ぼそりと言った。

「帳簿さえなければな」

 ヨイチが即座に返した。

「あります」

「知ってる」

 座敷に笑いが起きた。

 松阪、伊勢、津、名張、上野、信楽、大和。

 また道が増えた。

 飯の道。

 器の道。

 素麺の道。

 葛の道。

 そして、帳簿の道。

 博之は、怖い怖いと言いながらも、その道を見てしまっていた。

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