結局上野名張から身代金を要求に来た地侍に身代金を払い飯を食わせて湯あみをさせて伊勢に行こうとする博之
飯が腹に入ると、座敷の空気は少しだけ柔らかくなった。
さっきまで刀の柄に手を置いていた地侍たちも、今は豚汁の椀を置き、すり身天の油を指で
ぬぐいながら、どこか拍子抜けしたような顔をしている。
博之はそれを見て、ふっと息を吐いた。
「ほな、あんたらに話すことは今日はこれぐらいでええやろ」
年かさの地侍が眉を上げる。
「もうええんか」
「説教ばっかり聞きたくないやろ。飯食うた後に長々言われても、腹立つだけや」
「分かっとるやないか」
「分かるわ。わしも帳簿の話を長々聞くの嫌いやからな」
ヨイチが横で冷たく言う。
「帳簿は聞いてください」
「今それはええねん」
博之はお花に向いた。
「風呂の準備と寝床の準備してあげて。服も洗ったって。新入り用の着替え、あるやろ」
「はい」
「一万文もとりあえず払ったし、この人らは別に自由にしてええ。
怖かったら刀持ったままでもええけど、湯に入る時は三人ずつでええやろ。
半分ずつ見張りして、半分ずつ入ったらええ」
地侍の一人が、少し気まずそうに言った。
「……ほな、とりあえず風呂、いただくわ」
「入ってこい。汚いからな」
「一言多いわ」
「事実や」
六人は、まだ完全に警戒を解いたわけではない。だが、飯を食い、金も横に置かれ、
湯と寝床まで用意されるとなると、もう最初の荒い空気はかなり薄れていた。
地侍たちが奥へ案内されると、座敷には和尚と、名張・上野から来た二人、
博之、ヨイチ、お花が残った。
地侍たちの背中が見えなくなるなり、和尚が腹を抱えて笑い出した。
「いやいやいやいや、すごいですな」
「笑いますか」
「笑いますとも。仏様でも、片足を上げて驚くようなことをなさる」
「和尚さんまでそんなこと言いますか」
「身代金を持ってきた地侍に、飯を食わせ、湯に入れ、伊勢へ連れて行こうとする。
僧侶でも、なかなかそこまでできません」
博之はにやりとした。
「でも、びびって楽しかったでしょ」
「それはもう」
「和尚さん、正直やな」
「怖いものほど、後から話すと面白いものです」
その言葉に、博之は笑った。
「ほな、そろそろ本題聞かせてもらおか」
名張の者と上野の者が、姿勢を正した。
「はい。ようやくお話できます」
「ええよ。話して、話して」
まず名張の者が、持ってきた包みを開いた。
「すぐに大きな成果は無理でした。けれど、紫蘇や胡瓜を植える準備は始めております。山菜も少し採りました。蜂蜜も、少しですが見込みがありそうです」
「ええやん」
「漬物もやってみたかったのですが、塩や甕の問題があって、まだ難しいです」
「そこは急がんでええ。漬物は、塩と入れ物と時間がいるからな」
次に上野の者が話した。
「大和の方も、少し話を聞けました。乾いた麺の話や、山のもの、川のものもあります。
ただ、まだ道が危ないところも多くて」
「そらそうやろな」
博之は頷いた。
「山菜は取れたんやな」
「はい」
「それ、油があったら天ぷらになるわ」
名張の者が目を丸くした。
「天ぷら、ですか」
「小麦粉と卵があれば衣になる。油で揚げる。山菜は、塩で食ってもうまい。
苦みがあるやつほど、油を通すと食える」
「そんな食い方が」
「ある。というか、作る」
ヨイチが横から言う。
「旦那様の“作る”は、だいたい売れます」
「言い方」
「事実です」
博之は続けた。
「うなぎはどうや」
「川にはおります。けれど、普通は串で焼いたり、ぶつ切りで煮たりするくらいで」
「今度、持ってきて」
「うなぎをですか」
「そう。さばいて、骨を取って、食べやすい形にして、うちのつけだれをつけて焼いて、飯に乗せたい」
上野の者がぽかんとした。
「飯に乗せるんですか」
「そうや。うなぎを飯に乗せる」
「そんな食い方、聞いたことがありません」
「聞いたことがないから、金になるんや」
博之は笑った。
「今は串刺しでやるから、小骨がごりごりするやろ。あれを解決して、
甘辛いたれをつけて、飯に乗せる。飯の種の匂いがする」
ヨイチがすぐに反応した。
「旦那様の飯の種の匂いは、だいたい当たりますからね」
「やろ」
「怖いですけど」
「怖がるな」
博之は、名張の者が持ってきた山菜を手に取った。
「今すぐできそうなのは、まず混ぜ飯やな。うちの飯を提供する。そっちで漬けた紫蘇や胡瓜、
山菜を細かくして、飯に混ぜる。漬物入りの混ぜ飯として売る」
「それなら、できそうです」
「うちでは二十文で売れてる。場所によっては、もう少し安くしてもええ。まずは食わせることや」
名張の者は何度も頷いた。
「あと、味噌を持って帰れ。餅を焼いて、味噌をつけて売る。焼き味噌餅や。これは売れる」
「餅に味噌を」
「腹にたまるし、香りがええ。寺や道端でも出せる」
「はい」
「野菜の天ぷらは、絶対いける。油さえあればできる。油は持って帰ってええ」
上野の者が驚いた。
「油を、いただけるのですか」
「ええよ。ただし、ずっとこっちから油を出すのは無理や。そっちでも菜種油なり、
ごま油なり、取れるように手はずを整えなあかん」
「油を取るところから」
「そうや。最初はうちが出す。売れると分かったら、そっちで作る。そうせな続かん」
ヨイチが帳面に書きながら言う。
「最初は試験用に油、小麦粉、塩、少しの味噌。戻りに山菜や胡瓜、紫蘇。定期便化できそうですね」
「そういうことや」
博之は上野の者へ向いた。
「ちなみに、うちでは限定二十食で、天ぷら飯を百文で取ったことがある」
「百文!?」
「油が貴重やったからな。限定や。けど売れた」
名張の者が信じられない顔をした。
「それでも売れるんですか」
「売れる。売り方次第や。あんたらのところなら、最初は半額の五十文でも満足されると思う。
山菜の天ぷらと混ぜ飯。これだけで、今までの飯とは違うものになる」
「五十文……」
「もちろん、いきなり高くしすぎるなよ。まず食わせる。うまいと思わせる。そこから値を考える」
博之は、少し声を柔らかくした。
「それから、子どもらの勉強はどうや」
名張の者は、少し困った顔をした。
「正直、あまり進んでおりません。勉強しても飯にならんと言って、嫌がる子が多くて」
「そらそうやろな」
「はい……」
「だったら、まず握り飯を食わせろ」
「握り飯を?」
「そう。うちから握り飯をたくさん持って帰れ。子どもらに食わせる。食うたらうまいやろ、
と言う。その上で、勉強したら、頭を使って飯を高く売る方法を考えられると見せる」
ヨイチが頷いた。
「実物を見せるのが早いですね」
「そうや。山菜をそのまま食うたらただの山菜。でも油で揚げて、塩を振って、紙で包んで、
限定と言えば銭になる。これを見せたら、読み書きや数の意味も少し分かる」
「勉強は飯につながる、と」
「そう。それを言葉だけやなく、飯で見せる」
上野の者は、目に涙を浮かべ始めていた。
「そこまで、考えてくださるのですか」
「考えるだけや。やるのはあんたらや」
博之は照れ隠しのように言った。
「あと、さっきも少し言うたけど、伊賀の先にある信楽の話が聞きたい。
信楽焼や。小壺、甕、器、油壺、味噌壺。うちは欲しい」
「信楽焼……」
「それから、大和の素麺や乾麺。三輪の細麺の話も聞きたい。うちは買い付け便をやってる。
信楽焼を仕入れられるなら、一・五倍でうちの従業員に売る。売れなかったら、うちの店で
器として使う」
ヨイチが続けた。
「つまり、仕入れた分は無駄になりにくいです。器は店で使えますし、壺や甕は漬物や味噌に使えます」
「そうや。伊賀の方で手を伸ばして届くものなら、仕入れてきてくれ。手間賃は払う。
帰りには飯や味噌や油や握り飯を持って帰る。それで定期便にしたらええ」
「定期便……」
「最初は銭同士でなくてもええ。物々交換でもええ。山菜と油。信楽の器と飯。大和の麺と味噌。
そうやって少しずつ回せばええ」
名張の者は、ついにこらえきれずに涙をこぼした。
「ありがとうございます」
上野の者も、頭を畳につけた。
「本当に、ありがとうございます」
博之は少し困った顔をした。
「泣かんでええ。まだ何も成功してへん」
「それでも、道が見えました」
和尚が静かに言った。
「飯の道ですな」
博之は苦笑した。
「また和尚さん、ええ感じにまとめますね」
「事実です」
その時、奥の方から湯浴みへ向かった地侍たちの声が少し聞こえてきた。熱いだの、
服を洗われるのは変な気分だの、そんな声である。
座敷には、少し前とは違う空気が流れていた。
身代金から始まった話が、山菜の天ぷら、うなぎ飯、信楽焼、三輪素麺、子どもの勉強、
定期便へと広がっている。
博之は、名張と上野の二人に言った。
「とりあえず、握り飯と油と味噌は持って帰れ。あと、うなぎが取れるなら次持ってきて。
山菜も。信楽焼の話も聞いてこい」
「はい」
「無理して全部やろうとするな。まず一個売れるものを作れ。一個売れたら、次を考える」
「はい」
ヨイチが帳面を閉じながら言った。
「旦那様、また帳簿が増えますね」
「言うな」
「名張便、上野便、山菜、油、味噌、信楽焼、乾麺」
「言うなって」
お花が笑いながら、握り飯の準備を始める。
和尚は、満足そうに茶をすすった。
そして博之は、ぼそりと呟いた。
「ほんま、飯は道を作るな」
誰も否定しなかった。




