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博之と地侍の問答。身代金1万文持って帰るのもいいが先がない。伊勢に一緒に行ってみてうちの飯が破格で売れているのを見てみないかい?

博之は、一万文の包みを座敷の真ん中に置いたまま、六人の地侍を見回した。

「ただな」

 飯を食って、少し顔つきが緩んだ六人が、ゆっくりこちらを見る。

「わしは、これであんたらがすぐ変わるとは思ってへん」

 年かさの男が眉を寄せた。

「どういう意味や」

「そのままの意味や。人の袴を見て、こいつらは銭になると思う。道中で不安なところに入り込んで、

 護衛料や身代金や言うて一万文をせびる。そういうことをした人間が、飯を一杯食っただけで

 急に真人間になるとは思ってへん」

 座敷の空気が少し重くなった。

 だが、博之は目をそらさなかった。

「軽蔑はする。けど、腹が減って、先がなくて、目の前の弱そうな相手から銭を取ろうとする

 気持ちが、まったく分からんわけでもない。だから、ここで終わらせるのも違うと思ってる」

 ヨイチが黙って聞いている。

 和尚も、膝の上で手を重ねていた。

「そこで提案や」

 博之は湯気の残るすり身天を一つ持ち上げた。

「伊勢まで、一緒に行かへんか」

「伊勢?」

「そうや。わしは近いうちに、内宮さんへ挨拶に行く。内宮の端で、うちが店を出すことになった。

 鮪と、この魚のすり身を出す」

「お伊勢さんで、飯屋をやるんか」

「飯屋というか、まずは小さくや。けど、常設の話まで来てる」

 六人は顔を見合わせた。

 博之は続ける。

「九鬼水軍にお願いして、船で行く。海を渡る。うちの女衆や買い付け方も連れていく。

 上野と名張の二人も一緒や。あんたらも来い。お参りして、内宮でうちの飯がどう売れるのか見て、

 それから身の振り方を考えたらええ」

「なんでわしらを連れていく」

「見んと分からんからや」

 博之は即答した。

「ここで百三十万文の売上や、内宮で百文や言うても、たぶん実感湧かへんやろ」

「湧かん」

「なら、見ろ」

 博之は、すり身天を指で示した。

「ちなみに、これな。内宮さんでは、うちの家紋というか、丸に井戸の井の朱印を押した

 油吸い紙で包んで売ってる。棒串や平たい小判型にしてな。前は八十文、百文で出した」

「百文……」

「今回は百個まで出してええと言われとる。単純に棒串だけで百個売れたら、一万文や」

 若い地侍が、箸を止めた。

「一万文……」

「そうや。あんたらが二人連れてきて、ようやく取ろうとしてる一万文。それが、

 内宮では魚のすり身百本で出る」

「嘘やろ」

「嘘やと思うから見に行けと言うてる」

 博之は、少し身を乗り出した。

「これは高い魚やない。安い鯵や、鰯や、そういうものをすり潰して、内臓や汚いところを取って、

 味をつけて、油で揚げたもんや。もちろん、味の加減はある。しょうが、しそ、ごぼう、

 タコ、イカ。いろいろ混ぜる。けど、元をたどれば、港で安く見られてた魚や」

「それが百文になるんか」

「なる。場所と味と印と、内宮さんで出してるという後ろ盾があればな」

 六人は黙った。

 博之はさらに言った。

「しかも、今はまだ本格的に店を出してない状態でそれや。常設になれば、下手したら、

 この棒切れ一つで、あんたらが今まで見てきた銭とは桁が変わる」

「棒切れ言うな」

 ヨイチが小さく突っ込む。

「いや、わしからしたら怖いねん。魚のすり身の棒やぞ。それが百年続くかもしれん。お伊勢さんでな」

 和尚が静かに言った。

「場所が、人の心に値をつけることもありますな」

「まさにそれです」

 博之は六人へ向き直った。

「あんたらは、その世界を知らん。日々の税や、地侍同士の小競り合いや、

 道中で誰を脅すかみたいなところで生きてきたんやと思う。それを馬鹿にはせん。

 そうせな食えんかった事情もあるやろ」

 年かさの男は、何も言わなかった。

「けど、別の道もある。奪うより、運ぶ。脅すより、守る。身代金を取るより、

 買い付けや護衛や情報で銭を取る。伊賀の道、名張の道、信楽焼、大和の細麺。あんたらが

 知ってる道は、うちには銭になるかもしれん」

「……わしらに、それをやれと?」

「今すぐやれとは言わん。まず見ろ」

 博之は一万文の包みを軽く押した。

「この一万文は払う。けど、こんなに気前よく払える相手は、そうそうおらん。

 他で同じことをしたら、飲まれるかもしれん。斬られるかもしれん。逆に、

 安く使い潰されるかもしれん」

 六人の表情が少し固くなった。

「それでも、お前らが“そっちの方が楽や”と思うなら、それでええ。わしは止めへん」

「ほんまに?」

「ほんまや。ただし、一つだけ付き合え」

「伊勢か」

「そうや。九鬼水軍の船に乗って、伊勢へ行く。内宮でお参りする。うちの飯が

 売れるところを見る。朱印の紙を持った客が歩くところを見る。百文のすり身を

 人が買うところを見る」

 博之は、ゆっくりと言った。

「そこまで見てから、うちを切ってもええ。話を蹴ってもええ。元の暮らしに戻ってもええ」

「……」

「でも、聞く前に切るのはもったいないやろ。お前らも、もっとの暮らしに戻るだけや。

 それ、面白くないやろ」

 座敷は静かだった。

 六人は、飯の残った椀と、一万文の包みと、博之の顔を順に見た。

 年かさの男が、ようやく口を開いた。

「行ったら、逃げられへんのか」

「逃げたければ逃げたらええ。ただ、九鬼水軍の船の上で逃げるのはおすすめせん」

 九鬼の名が出ると、六人の顔が微妙に引きつった。

 博之は少し笑った。

「怖いやろ。わしも怖い。でも、あの人らに会えば分かる。海で銭を運ぶ連中や。

 刀で脅すより、船で運ぶ方がでかい銭になるって、肌で分かる」

 若い地侍が、ぼそりと言った。

「ほんまに、百文で売れるんか」

「売れる」

「魚のすり身が」

「売れる」

「一万文が百本で」

「そうや」

 男は黙り込んだ。

 博之は最後に言った。

「とりあえず、飯を食え。風呂に入れ。饅頭も食え。服も洗う。刀が不安なら、

 三人ずつ交代でええ。今日はここで寝てもええ」

「そこまでして、何が欲しいんや」

 年かさの男が聞いた。

 博之は、少しだけ真面目に答えた。

「道や」

「道?」

「伊賀と名張の道。信楽と大和の道。あんたらが荒らして終わる道やなく、飯と銭が通る道にしたい」

 和尚が静かに頷いた。

 ヨイチも、お花も、何も言わなかった。

 六人の地侍は、完全には納得していない。

 だが、興味は生まれていた。

 百文で売れる魚のすり身。

 九鬼水軍の船。

 内宮の店。

 一万文を終わりにするか、始まりにするか。

 年かさの男は、長い沈黙の後、低く言った。

「……見てから決める」

 博之は頷いた。

「それでええ」

 そして、六人の前に、温かい麦茶と饅頭が置かれた。

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