博之43歳5月初旬。あわただしい日々が続く中郊外の和尚さんが遊びに来るついでに寄進の調達にくるwww和やかに話していると上野方面から物騒な侍がくる
慌ただしい日々が続いていた。
内宮の常設、伊勢城下の立ち上げ、津の港と郊外、長野家とのやり取り、松阪の上司への挨拶。
飯屋のはずなのに、飯を作る時間より、文を読み、頭を下げ、帳簿を見て頭を抱える時間の方が
増えている気さえした。
そんなある日、松阪郊外で昔から世話になっている寺の和尚が、ふらりと伊勢松坂屋へやって来た。
「松坂屋さん、旦那がちっとも顔を見せんから、こちらから遊びに来ました」
博之は慌てて出迎えた。
「和尚さん、すみません。最近ほんまにバタバタで」
「ええ、噂は聞いております。ついでに、寄進もいただきに来ました」
博之は目を丸くした。
「寺の住職がそんなこと言うんですか」
和尚はからからと笑った。
「旦那、貯め込みすぎはよくありませんよ」
「いや、貯め込んでるつもりはないんですけどね。出してるのに増えるんです」
「それが一番よくありません」
横でヨイチが小さく頷いた。
「その通りです」
「お前はどっち側やねん」
和尚は店の中を見渡し、感慨深そうに言った。
「古参の方も、港の方も、伊勢の方も、いろんな方が来られるようになりましたな。
けれど、私からすれば、一年前に郊外で立ち上がった頃から見ておりますからね。
旦那さんと話すのが、一番面白い」
「面白がられても困るんですけど」
「下手な書物を読むより面白いですよ。内宮さんで店を出すそうではありませんか」
博之は苦笑した。
「もうそこまで聞いてますか」
「聞いております。一年でここまで来るとは、たいしたものです」
「たいしたものというか、怖いです」
「怖がりながら進むところが、旦那さんらしい」
和尚は茶をすすりながら、ふと柔らかい声になった。
「ところで、もう少し郊外の者とも仲良くしてやってください」
「郊外の方ですか」
「ええ。旦那さんのところは女衆も多いでしょう。稼ぎもよい。けれど、
店の者同士だけで固まりすぎると、それはそれで町から遠くなります」
博之は少し黙った。
和尚は続けた。
「たとえば、お寺で縁結びの会などはどうですか」
「婚活ですか」
「そうです。結びをして、子が生まれ、年を取り、いずれ供養も寺でする。
そういう縁ができるのは、私どもからすればありがたいことです」
「うちの者同士で結婚しても、反対はしませんけどね」
「もちろん。それはそれでよろしい。ただ、町や郊外の者とつながるのも大事です」
和尚はにこにこしている。
「それに、伊勢松坂屋の女衆は稼ぐのでしょう」
「稼ぎますね」
「旦那さん方は尻に敷かれるかもしれませんが、飯には困りませんな」
博之は思わず笑った。
「しかも、うちはまかない出してますからね。たまに横丁の飯を買って帰る嫁さんって、
旦那さんからしたら楽かもしれませんね」
「嫁さんが飯を作らねばならぬ、というものでもありますまい」
「和尚さん、進んでますね」
「寺は古いようで、人の暮らしはよく見ておりますから」
そんなふうに、笑いながら話していた時だった。
店の表が、にわかにざわついた。
お花が様子を見に行き、すぐに戻ってくる。顔が少し硬い。
「旦那様。名張の方から、例の者たちが来られました」
「ああ、月一の報告か」
「はい。ただ……柄の悪い地侍のような者が、五、六人ついております」
場の空気が変わった。
ヨイチが帳面を閉じる。
「……来ましたね」
博之は静かに立ち上がった。
表へ出ると、名張から来た者と、上野から来た者が、疲れた顔で立っていた。
背中には荷があり、何かを包んだものを抱えている。おそらく、この一か月で用意した品だろう。
紫蘇か、胡瓜か、乾いた麺か、あるいは大和の方で聞いた話か。
だが、その後ろにいる六人が問題だった。
粗末な身なり。荒い目つき。刀を差している。完全な野盗ではない。
けれど、まともな客でもない。食い詰めた地侍の匂いがした。
年かさの男が一歩前に出た。
「こいつら、あんたのところの者やろ」
博之は名張の者を見る。
名張の者は、気まずそうに頭を下げた。
「旦那様、申し訳ありません。道中で、この方々に……」
「守ってやったんや」
地侍の男が言葉をかぶせた。
「伊賀の道は物騒や。こいつらだけやったら危なかった。わしらが守って、ここまで連れてきてやった」
ヨイチの目が少し細くなる。
「それで?」
「護衛料や」
男は平然と言った。
「こいつら二人、無事にここまで持ってきた。身代……いや、護衛料として一万文もらおうか」
その瞬間、店の中の空気が冷えた。
女衆が奥へ下がる。古参の男衆が静かに動く。お花の顔から笑みが消えた。
和尚も、茶碗を置いた。
「一万文、ですか」
ヨイチの声が低かった。
「そうや。こいつら、伊勢松坂屋の袴を持っとった。なら、そちらの大事な者やろ」
「それを人質に取った、と」
「言い方が悪いな。守ったと言うとる」
ヨイチが一歩前へ出た。
普段なら博之が先に口を開く。だが、この時は違った。
「護衛料と身代金の区別くらい、こちらもつきますよ」
地侍の一人が睨む。
「なんや、小僧」
「帳面係です」
「帳面係が口出すんか」
「銭の話なら、私の仕事です」
博之は、ヨイチの横顔を見た。
その顔には、ただの怒りだけではないものがあった。
軽蔑。
悔しさ。
そして、どこか分かってしまう痛み。
和尚が静かに目を伏せた。
さっきまで縁結びだ、供養だ、町とのつながりだと話していた座敷に、
今は一万文の身代金が転がり込んできている。
博之は、ゆっくり息を吐いた。
「分かった。まず中へ入れ」
地侍たちが警戒する。
「何をする気や」
「飯を食わせる」
「は?」
「腹減ってる顔しとる。銭の話はその後や」
ヨイチが小さく言った。
「旦那様」
「分かってる」
博之は六人を見た。
「ただし、ここで刀を抜いたら、その時点で話は終わりや」
地侍たちは互いに顔を見合わせた。
店の奥から、豚汁の匂いがしていた。
荒い空気の中で、その匂いだけが、いつも通り温かかった。




