四月後半分の帳簿の時間。色々動いたが魚のすり身と鮪鍋の利益がえぐい。内宮効果www収支がえぐくて残金174万8千文www
楽しい楽しい、貴重な帳簿の時間でございます。
五月頭。つまり、四月末の締めである。
ヨイチが帳面を抱えて入ってきた瞬間、博之は布団の上で顔をしかめた。
「楽しくない。貴重でもない。怖いだけや」
「いえ、今回は本当に貴重です」
「その言い方が一番怖い」
「では、まいります」
ヨイチは、すっと帳面を開いた。
「まず前提です。お伊勢さん、つまり内宮さんの方に出ることになりまして、十万文を納めた分は
先に計上しております」
「そこは分かってる。痛かったからな」
「痛かったはずなんですが、魚のすり身と鮪の値段を大幅に見直した結果、利益がかなり出ています」
「怖いなあ」
「怖いです」
ヨイチは淡々と続ける。
「ただし、寄進の文、挨拶、飯会、細かい支出、どこに乗せたらいいか分からないものが多すぎます。
なので、伊勢も松阪も、それぞれ“謎のざっくり引き”を十万文ずつ入れております」
「なんや、謎のざっくり引きって」
「謎のざっくり引きです」
「どんぶり勘定やないか」
「この規模になると、もうどんぶり勘定とは言いません」
「何て言うねん」
「戦略的余白です」
「言い方でごまかすな」
お花が横で少し笑った。
ヨイチは構わず数字を読み上げた。
「まず松阪です。通常利益が七十八万五千文。湯あみ分が十万九千文。傘代が一万五千文。
定期便利益が四万文。合計、九十四万九千文の利益です」
「……相変わらず怖いな」
「そこから、諸々引きます。内宮さんへの十万文も、松阪側の負担として引いております」
「うん」
「さらに寄進、挨拶飯、印関係、松阪での買い付け、雑費、謎のざっくり引き。
全部見た上で、松阪は十七万四千文のプラスです」
博之は黙った。
「十万文払って、まだ十七万四千文プラスなんか」
「はい」
「どうなってんねん」
「魚のすり身がえぐいです」
「言い方」
「でも事実です」
ヨイチは次の帳面を開いた。
「続いて伊勢です。伊勢の方は、松阪側で内宮への十万文や大きな寄進関係を受けていますので、
すり身と鮪の値上げ効果がかなり素直に乗っています」
「聞きたくない」
「聞いてください。利益ベースで四十五万文です」
「……四十五?」
「はい」
「伊勢だけで?」
「はい。港、郊外、城下、内宮準備の効果、すり身の価格見直しが乗っています」
「怖すぎる」
「設備も増やしました。人も増やしました。道具も整えました。それらを引いて三十万四千文」
「それでも三十万残るんか」
「さらに、伊勢での普請、寺社への寄進、挨拶、勝手にやっている細かい支出、
こちらも謎のざっくり引きとして十万文を見ています」
「また出た、謎のざっくり引き」
「必要です」
「で?」
「伊勢は二十万四千文のプラスです」
博之は布団に倒れ込んだ。
「もう嫌や」
「まだ合計があります」
「聞きたくない」
「聞いてください」
ヨイチは帳面の最後を指で叩いた。
「松阪、伊勢、諸々を全部合わせまして、四月末時点の残りは、百七十四万八千文でございます
座敷が一瞬静かになった。
お花が小さく息をのむ。
博之は目を閉じた。
「……増えすぎやろ」
「おめでとうございます」
「おめでたくない。ますますわしが狙われるやないか。目もつけられるし、また呼ばれるし、
また飯持って行かなあかんし、また頭下げなあかんやろ」
「はい」
「はいちゃうねん」
「でも、事実です」
博之は起き上がって、ぶつぶつ言い始めた。
「どんだけ飯食いに行ってると思ってんねん。北畠様、長野様、九鬼様、内宮さん、
寺、神社、港、郊外、あっちこっちに飯持ってって、金持ってって、
頭下げて、切られかけて、それで金が増えるってどういうことやねん」
「飯が売れているからです」
「飯屋やから売れてええけど、売れすぎや」
「しかも、旦那様」
「まだあるんか」
「この数字には、内宮常設の売上がまだ本格的に入っておりません」
博之は固まった。
「……入ってない?」
「はい。十万文は引いています。準備費も見ています。でも常設後の売上は、まだほぼ乗っていません」
「怖い怖い怖い」
「内宮の売上が入ると、かなりえぐいことになります」
「言うな。もう言うな」
「しかも、津が入ってきます」
「怖い」
「津の港と郊外の横丁。津便一万文。戻り荷。鮪とすり身の値段調整」
「怖い怖い」
「さらに、鳥羽の話も出る可能性があります」
「怖い怖い怖い」
「上野・名張方面も見ています。信楽焼、三輪細麺、伊賀の情報、大和の名物」
「怖い怖い怖い怖い」
ヨイチは、少しだけ笑った。
「旦那様、怖がりながら全部やってますよね」
「やりたくてやってるんちゃう。道が開くねん」
「開けてるんです」
「勝手に開くんや」
「旦那様が飯を出すからです」
お花が静かに言った。
「でも、旦那様。これだけ残るということは、それだけ多くの人が食べて、働いて、買って、
銭を使ったということでもあります」
「それは、まあ、そうやけど」
「松阪で金が動き、伊勢で魚に値がつき、津で飯を待つ人ができ、内宮で印が歩いている。
帳簿は怖いですが、悪いことばかりではありません」
博之は、少し黙った。
百七十四万八千文。
数字だけ見れば、異常である。
だが、その裏には、飯を食った者がいる。働く者がいる。買い付けに出る女衆がいる。
港で魚を出す者がいる。寺で喜ぶ者がいる。
それでも、怖いものは怖い。
「……これ、ほんまに飯屋なんか」
博之が呟くと、ヨイチが即答した。
「帳簿上は、もう飯屋だけではありません」
「言うな」
「物流、雇用、寄進、外交、購買、価格調整、寺社対応、領主対応」
「言うな!」
「でも、中心は飯です」
ヨイチは帳面を閉じた。
「そこだけは、変わっていません」
博之は布団に倒れ込み、天井を見た。
「飯で始まって、飯で怖くなってるな」
「はい」
「次の帳簿、見たくない」
「見ます」
「逃げたい」
「逃がしません」
「お前、最初は拾われた側やったのに、今はわしを追い詰める側やな」
「月六千文もいただいておりますので」
「高い帳簿係や」
「安いと思いますよ。この規模なら」
博之は、もう笑うしかなかった。
外では、次の伊勢便の準備が進んでいる。
津便の相談も始まっている。
内宮の常設も、まもなく動き出す。
そして帳簿の上では、百七十四万八千文が、静かにこちらを見ていた。
「……ほんま、怖い飯屋やな」
博之がそう言うと、ヨイチは淡々と答えた。
「旦那様の飯屋です」




