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長野の城主が飯を完食。問答の後、津の城下、郊外、港での横丁許可が下りるwww切られずに済んで一安心

飯は、きれいに空になった。

 長野の殿様は、最初こそ不機嫌そのものだった。

 なぜ城から寺まで来なければならないのか。

 なぜ飯屋が城へ飯を持ってこないのか。

 なぜ九鬼水軍までいるのか。

 顔には、言いたいことが山ほどあると書いてあった。

 だが、鮪の椀をすすり、すり身の棒串をかじり、小判型のすり身天を食べ、

 焼き飯を少し口に入れるうちに、その怒りは少しずつ違うものに変わっていった。

「……うまかった」

 殿様は、箸を置いて言った。

 博之は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「腹立つぐらいうまかった」

「それは、ありがたいのか怖いのか、少し迷います」

「怖がっとけ」

「はい」

 九鬼衆が横で小さく笑った。

 殿様はそれを睨みかけたが、もう先ほどほどの鋭さはなかった。うまい飯を食った後の顔である。

「しかし、次に食う時は城でも食いたいもんやな」

 その言葉に、長野家臣の顔がまた青くなった。

 博之も一瞬、背筋を伸ばした。

 だが、殿様は手を上げた。

「すぐに持ってこいとは言わん」

「……ありがとうございます」

「お前の言う筋も、まあ分からんでもない」

 殿様は、境内の外へ目を向けた。

 先ほどまで、領民たちが無料の飯を喜んで食べていた。外ではまだ販売分を買った者たちが、

 鮪やすり身の話をしている。

「お前は飯屋のくせに、面倒な筋を通す。寺を借り、漁民にも飯を振る舞い、港の者にも顔を立て、

 九鬼にも話を通しておる」

「はい」

「ここで、わしが怒ってお前をばっさりいけば、どうなる」

 博之は答えに詰まった。

 代わりに九鬼の男が、ぼそりと言った。

「まあ、津の者には恨まれますな」

 長野家臣がひやりとした顔をした。

 殿様はふんと鼻を鳴らす。

「そうやろうな。飯を食わせてもらった者は、飯を食わせた者に甘い」

「それは、あります」

 博之は小さく答えた。

「だから、今回は許す」

「ありがとうございます」

「ただし」

 殿様は博之を見た。

「やる方向で急げ」

「やる方向、でございますか」

「港町、郊外、城下。横丁を作ってよい」

 境内の空気が少し変わった。

 長野家臣が思わず殿様を見た。

「殿」

「よい。どうせ、この飯は評判になる。止めても無駄や。なら、こちらの筋でやらせた方がよい」

 殿様は鮪の空椀を指で叩いた。

「これだけを寺でたまに食わせるだけでは足りんやろ。鮪も、すり身も、焼き飯も、混ぜ飯も、

 いろいろ出す気やろ」

 博之は少し困った顔をした。

「正直に申せば、出すなら横丁の形でないと続きません。飯会だけでは、

 作る側も運ぶ側も無理が出ます」

「なら横丁を作れ」

「ただし、すぐにはできません」

「なぜや」

「人が残りません」

 博之は率直に言った。

「うちは松坂では、ある程度人が育っております。ですが、伊勢でも津でも、

 新しく雇った下働きは、半月で半分ほど辞めます。飯と寝床は出しますが、

 実際の仕事はきつい。甘い話だと思って来た者ほど続きません」

 殿様は少し目を細めた。

「そんなに辞めるのか」

「はい。特に松坂以外では、まだうちの飯や仕組みに慣れておりません。港町、郊外で

 拠点を作ることはできます。ですが、いきなり城下まで一気に広げるのは、正直、難しいです」

「それでよい」

「よろしいのですか」

「まず港でよい。港で鮪とすり身を作れるようにしろ。漁民を使え。津の魚に値をつけろ。

 銭が回るようにしろ」

 殿様は続けた。

「郊外にも作れ。寺や神社を使って、顔をつなげ。城下はその後でもよい」

「はい」

「最悪、港に拠点があれば、城まで持ってこさせることもできるやろ」

 博之は一瞬黙った。

 長野家臣も、博之を見た。

 ここで完全に否定すれば、また話がこじれる。

 しかし、安請け合いもできない。

 博之は慎重に答えた。

「港に横丁ができ、長野様の領内の者を雇い、津の魚を使い、周りにも筋が通った後であれば、

 城へお届けする形も考えられます」

「ほう」

「ただし、その場合も、冷めた飯ではなく、城の近くで仕上げる形にしたいです。

 鮪もすり身も、熱い方がうまいので」

 殿様は、少しだけ笑った。

「やはり飯屋やな」

「飯屋でございます」

「よい。まず港と郊外を作れ。城下は急がん。だが、忘れるな」

「承知いたしました」

 そこで殿様は、ふと周りを見た。

 寺の住職、九鬼衆、長野家臣、伊勢松坂屋の者たち。

 皆が、この場を見ている。

 殿様は、少し不機嫌そうに言った。

「しかし、ここでわしが寛容なところを見せたわけや」

 博之は目を瞬かせた。

「はい」

「後で褒められるんやろうな」

 長野家臣がすぐに頭を下げた。

「もちろんでございます。殿はたいへん大きなご判断をされました」

 九鬼の男も笑いながら言う。

「いや、お殿様、これは褒められますわ。飯屋を切らずに使う方を選んだ。たいしたもんです」

「お前に言われると腹が立つ」

「すみません」

 博之も深く頭を下げた。

「津の方々にとっても、ありがたいご判断でございます。必ず、港と郊外から筋を通して進めます」

「うむ」

 殿様は満足げに頷きかけて、ふと思い出したように言った。

「それと、寄進の話や」

「寄進、でございますか」

「今回の寺と神社、郊外、それに港や城内の寺社への寄進は、こちらで話を通してやる」

 博之は驚いた。

「よろしいのですか」

「よい。お前があちこちへ銭を撒くと、また話がややこしくなる。今回は、

 わしの方で“文句を言うな”と通しておく」

 長野家臣が、少し慌てたように補足した。

「つまり、松坂屋殿が港と郊外で横丁を作るにあたり、寺社や顔役に一から頭を下げて回る負担を、

 こちらである程度整える、ということでございます」

「それは、たいへんありがたいです」

「ただし」

 殿様は博之を指さした。

「調子に乗るな」

「はい」

「津の者を使え」

「はい」

「津の魚を使え」

「はい」

「銭を津に落とせ」

「はい」

「そして、わしにも食わせろ」

 博之は深く頭を下げた。

「必ず、筋を通したうえでお出しします」

「また筋か」

「はい。筋の通った熱い飯を」

 殿様は、少し笑った。

「口の減らん飯屋や」

 九鬼衆がまた笑い、住職もほっとしたように息をついた。

 長野家臣は、ようやく肩の力を抜いた。今日一日で寿命が縮んだような顔をしていたが、

 それでも最悪の結果は避けられた。

 博之も、心の中で大きく息を吐いた。

 切られなかった。

 それどころか、港と郊外の横丁の許可が出た。

 城下も、将来的には許された。

 寺社への筋も、長野側が一部通してくれることになった。

 これは、大きい。

 大きすぎる。

 だからこそ、また怖い。

 殿様は最後に、鮪の椀をもう一度見て言った。

「次は、もう少し多めに出せ」

「殿様用でございますか」

「わし用もやが、領民用もや。あれだけ喜ぶなら、出してやれ」

 博之は、静かに頭を下げた。

「承知いたしました」

 その日、津の寺での飯会は、ただの炊き出しでは終わらなかった。

 長野の殿様は不機嫌に来て、飯を食い、文句を言い、それでも最後には許可を出した。

 港と郊外に横丁を作れ。

 津の魚を使え。

 津の者を雇え。

 銭を津に落とせ。

 そして、いずれ城でも食わせろ。

 博之は、境内を出ていく長野の一行を見送りながら、ぽつりと呟いた。

「……また、えらいことになったな」

 ヨイチが横で答えた。

「はい。切られずに済んだ代わりに、津が増えました」

「どっちがええんやろな」

「生きているだけ、ましです」

「それはそうやな」

 九鬼の男が笑った。

「旦那、港を取ったな」

「取ってへん。借りるだけや」

「そういう言い方をするやつが、一番怖いんや」

 博之は苦笑した。

 津の港に、また一つ、飯の道が開こうとしていた。

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